残したい場所
それぞれがそれぞれに別れを告げて。
棺の蓋がゆっくりと、名残を惜しむかのようにしながら閉じられる。
そうして、参列者たちの手で、土がかぶせられていく。
言葉少なく作業が進む中、ざっ……ざっ……と土がこすれる乾いた音だけが、やけに響いた。
目に一杯涙を浮かべながら歯を食いしばり体を震わせているテオと、そのテオを抱きしめているマチルダはその光景をじっと見つめている。
棺が完全に土で見えなくなって、さらに土が盛られて。
完全に埋まったころに、テオが小さくつぶやいた。
「さよなら、とうちゃん……」
まだ少し、声は震えていたけれど。
真新しく建てられた墓標を見つめる目には、少しだけ大人びた強さが滲んでいた。
一通りが終わって神官が葬儀の終わりを告げると、誰となく大きく息が吐き出された。
まだしんみりとした空気は残っているが、そこかしこでガヤガヤと雑談が始まっていく。
そんな少しざわついた空気の中、レティとエリーはマチルダたちの側へと歩み寄っていった。
「マチルダ、お疲れ様」
「ああ、イグレットちゃん達かい。
ありがとうよ、葬儀まで出てくれて」
「何言ってるんですか、弟子にモデルですもの、当たり前ですよ」
まだ多少憔悴した様子はあれど、マチルダは、いや、レティ達も少しずついつもの調子を取り戻しつつあった。
三人して少しだけしんみりと会話をしていると、ふとマチルダの足元に目がいく。
マチルダの影に隠れるように、少年が張り付いていた。
「……マチルダ、その子が……?」
「ああ、そう、この子がテオ、あたしとあいつの息子さ。
ほれテオ、お姉ちゃん達に挨拶しな」
そうマチルダに促されても、すぐには出てこない。
しばらくテオがもじもじしていると、エリーがストンと腰を落として視線を合わせた。
「こんにちは、テオくん。私、エリーって言います。
お父さんのセルジュさんの、弟子なんですよ」
「……とうちゃんの?」
「ええ、お父さんの、弟子、です」
にっこりと笑いかけられると、不思議そうにエリーの顔を見つめる。
ついでマチルダの顔を見上げて、思案顔になり。
「かあちゃん……とうちゃん、真面目に絵描いてたの?」
「あんた、間違いなくあたしの息子だよ……」
恐る恐る尋ねてくるテオへと、呆れたような声をこぼした。
マチルダがセルジュの名誉回復のために、絵を真面目に描いていたことを説明していると、一人の男が近づいてくる。
年の頃は中年と言っていいところ、たっぷりと顎髭をたくわえた商人風の男だ。
「マチルダ、ちょっといいかい」
「おや、大家さん、すみませんね、参列してもらって」
「いや、それはいいんだよ、お互い様だからね。
で、こんな時に何だがね、セルジュの借りてた家なんだが、どうしたもんかね」
さすがにこんな場所で、という遠慮もあって声は抑えてはいたものの。
なんとも世知辛い内容に、マチルダも、当の大家本人も困ったような顔をしてしまう。
「ああ、確かに、ね……道具やら何やら多いし、どうしたもんか」
「今月分はもうもらってるからいいんだけどね、来月になる前にどうにかしてもらわんと。
別れたお前さんに言うのもなんだが、他に言える相手もいないからね」
二人して、ため息を吐く。
働いているとはいえ、セルジュの家の家賃まで払えるような稼ぎはない。
セルジュから先日押し付けられた大金貨を使えば、来月はなんとかなるが、しかしその先は?
大家とて無碍にしたいわけではないが、ただでいつまでも、というわけにもいかない。
と、そこへ割って入る声。
「ねえ。来月の家賃を代わりに払ったら、続けて借りてもいいの?」
「へ? あ、ああ、そりゃもちろん構わんんが……あんたは?」
見知らぬ女、それも随分と若くて綺麗な女からの突拍子もない発言に、大家は虚を衝かれた顔になる。
ちらりとマチルダの顔を伺うが、どうやらマチルダとは知り合いのようだと確認していると。
「私はイグレット。セルジュの絵のモデル。
この子はエリー、セルジュの弟子。
問題なければ、私たちであの家を借り続けたいのだけど」
淡々と、さも簡単なことであるかのように言われて、つられて大家も首を縦に振った。
はっ、と我に返ったようにぶるぶると小さいく首を振って。
「払えれば、だが。お前さん、その若さで払えるのかい?
一月大金貨一枚だよ?」
「ああ、それくらいなら」
あっさりと出てくる大金貨に、大家もマチルダも目を丸くする。
そんな二人を前に、しばし思案気な顔になって。ふと、気付いたように。
「……買い取りたいって言ったら、いくらする?」
「そ、そりゃあ……大金貨100枚、ミスリル銀貨で10枚ほどはいただかないと、だが」
さすがにこの金額を言えば腰が引けるだろう、と吹っ掛けたのだが。
言われた少女は、涼しい顔のままで。
「そうなんだ。
……エリー、買っちゃってもいい?」
「え? あ、それは、レティさんが買いたいなら、いいですけど……。
その、いいんですか?」
あっさりとそう言いだす少女に、大家は絶句する。
この女は何者だ? そう顔に書いてあった。
そんな大家をそっちのけで、エリーは申し訳なさそうにレティの顔を伺う。
たった一月かそこらとは言え、慣れ親しんだアトリエ。
敬愛する師匠が残した道具や習作の残るその場所を、残しておけるのならば。
確かに、そう考えたけれども。
窺うようなエリーの視線に、レティはあっさりと頷いて見せた。
「うん、私がそう思ったし、エリーがそう思うなら。
あの場所を、残したい」
エリーが絵を描き続けるのならば。
きっとあの場所があることは、無意味ではないはずだ。
そんなレティの考えが伝わったのか、エリーはレティへとしがみついた。
「だから、そういうところですよ……」
そう、小さくぼやきながら。
「大家さん、あの二人はあたしが保証しますよ。
貸すにせよ売るにせよ、ね」
「マチルダがそう言うんなら、大丈夫なんだろうねぇ……。
じゃあ役場の方に話はつけておくから、今度きちんと契約を取り交わそうか」
そんな若い二人を見ながら、話は具体的に進んでいた。
吹っ掛けた手前、あっさり飲まれては引くに引けない。
そもそもあの物件自体、湖の側というロケーションこそいいものの、街からは外れていて、管理が面倒な物件ではあったのだから。
手放せるのならば、そう悪くもない、という計算もあった。
「わかりましたよ、ちょっと今はまだごたごたしてるから……落ち着いたら、こっちから出向くんで」
「ああ、それまでにはもろもろ用意しておこう」
確認すると、頷きあう。
互いに長くこの街に住む身、顔なじみ同士であればこんなもの。
もちろん、本契約は役場に出向くなり、役人が立ち会うなりの必要はあるだろうが。
ともあれ、あの場所をあのまま残すことはできるらしい。
その事実に、マチルダは安心したように大きく息を吐き出した。
人の口に戸は立てられぬが、知らない物は出てこない。
知っている者が戸を立てる時、その意味するところとは。
次回:嘘から出た真
立てられた戸を、すり抜けるのはお手の物。




