人生の仕舞い方
レティが駆け込んできてからかなり経って、医者と衛兵がやってきた。
かなり先行してたせいか、医者は息も絶え絶えで、衛兵は信じられないものを見るような目でレティを見ていたが。
ともあれ、すぐにセルジュの確認が行われる。
その間、二人はずっと座り込んだままだった。
「……これは肺病の悪化ですな、間違いなく。
薬は処方しておったのですが……残念ながら、きつい発作がきたんでしょう」
セルジュの体に触れて診察していた医者が、首を横に振りながらそう告げた。
それを聞いて、衛兵もわかったと言わんばかりに頷く。
外傷もなく、発見者はセルジュと親しくしていた二人。
現場の状況を見ても急変による病死に疑いは持てない。
「ならば、運悪く一人の時に、ということですな。
では、私は戻ってその旨報告を上げますので。
ああ、神官にも連絡しておきましょう、葬儀のこともありますから」
そう言いながら衛兵は戻って行った。
医者も、沈鬱な表情で挨拶をして帰っていく。
そうして、部屋には二人だけが残された。
セルジュの側に座り込んだまま、彼らが去っていくのを見送って。
また、沈黙。
ぼんやりと、セルジュを眺めて。
どれくらい経っただろうか、レティが口を開いた。
「……そっか、葬儀、出さないと、ね……」
「ですよ、ね……すっかり、頭から抜けてましたけど……」
あまりにもらしくない、ぼんやりとした声。
互いにどこか思考が上滑りで、相手の言葉を半分も理解できているか怪しい。
何より。
「葬儀……まともなの出したことないから、どうしたものか……」
「ですよね……私も、戦場での簡易的なのしか……」
人の死など、数えきれないほど見てきた。
だがそれは、常に非日常の場であった。
今こうして、日常の中にある死に直面して、次にどうしたらいいのか、わからない。
形式はわからない、が。
しかし今、したいことは。
「……まず、セルジュを……ベッドに寝かせてあげよう」
「そうですね、こんな床の上で、いつまでもなんて、ですよね」
のろのろと、身体を起こす。
触れる。それだけで、心がまだざわめく。
それを押さえつけながら、エリーはセルジュの体を抱き上げる。
見かけよりも力のある彼女からすれば、これくらい軽いはずなのだが。
重い。
冷たいせいだろうか。力が抜けてしまっているからだろうか。
やけに、重い。
その重さにまた涙が出そうになるのを堪えながら、寝室へと向かう。
レティが先行して扉を開け、布団をめくり、そこにセルジュを寝かせる。
そっと布団をかけてやりながら。
「指、拭いてあげた方がいいのかな……」
「あ~……どう、でしょうね……このままの方が、らしいような気もしますけど……。
でも、拭かれちゃいそうな気がしますねぇ」
そんな、どうでもいいようなことが口を衝く。
茫洋とした、まだ現実感を伴わない感覚。
いや、現実を感じてもいるからこそ、そのせいで溢れ出しそうになるものに、蓋をしている。
溢れさせてしまえば、それに耐えられる自信がない。
「じゃあ、このままにしとこうか……誰かが拭くのなら、私たちはこのまま……。
こんなに……誇らしげにされたら、ね……」
改めて、彼の顔を見る。
誇らしげだ。満足そうだ。
それはそれでいいことなのだろう、きっと。
だが、一人で勝手に満足して、一人で勝手に逝くのはいただけない。
それでも、これは彼の人生なのだから。
彼が最後に掴んだのがこの色なのだとしたら、無碍にもできない。
「そうですよね……なんなんですか、ほんとに。
なんでこんなに満足そうなんですか。何してんですか、ほんと、師匠ってば」
エリーが呆れたように、笑う。
笑っているような、声がする。
……たまらず、抱きしめた。
びくん、とエリーの体が跳ね。
やがて、ゆっくりと弛緩していくと、レティの体にしがみついてくる。
震える体、声も出せないくらいに、感情が高ぶっていて。
そこへ。
「イグレットちゃん! エリーちゃん!
セルジュが、セルジュが、って、本当かい!?」
そう言いながら、マチルダが駆け込んできた。
迷うことなく寝室に入ってくると、抱き合う二人と、ベッドに横たわるセルジュを見て。
その顔と、指に着いた絵の具を見て。
くしゃり、顔が歪む。
「この、馬鹿、唐変木……何勝手に、満足そうな顔してんだい……。
もうちょっと、だったんだろう? 明日、話すとか言ってたじゃないか」
ぺしん。
乾いた音がする。
マチルダがセルジュの胸元を叩いた音は、あまりにも軽く、乾いていた。
ぐず、と鼻をすする音が一つ。
天井を向いて、すぅ、はぁ、と深呼吸を一つ。
二人を振り返った顔は、まだ涙で歪んでいたけれども。
「二人とも、大変だったね……驚いたろう?
セルジュを寝かせてくれて、ありがとう、ね」
微笑んだ顔は、あの絵を彷彿とさせるもので。
その腕に二人まとめて抱きしめられたら、もう、無理だった。
「うぁっ、あああっ! マチルダさん、マチルダさん!
師匠が、師匠がぁ! 師匠がぁ!」
「マチルダ……ごめん、ごめん……セルジュが……セルジュが……」
堰を切ったようにエリーが号泣して。
ぽろぽろ。ぽろぽろ。
溢れ出したものを止めることもできずにレティが告解のようにぽつぽつとつぶやいて。
「うん、うん……わかってる、わかってる……。
大丈夫、わかってる、から……。あいつも、わかってるから」
その全てを、マチルダは優しく受け止めた。
彼女の眼の端にも、光るものがあったけれども。
淡々と、淡々と進んでいく処理。
それは人の世に必要な合理的な仕組み。
だがこれは、理に合わない。理不尽を目の前に、三人は。
次回:絵の行方
そして彼女の瞳に宿るのは。




