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暗殺少女は魔力人形の夢を見るか  作者: 鰯づくし
3章:暗殺少女と旅の空
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戻れぬ日々

 そして、翌日。


「……イグレットさん?

 なんだか、こう……疲れてませんか?」

「違うから……気にしないで……」


 昨日と違う表情が気になったセルジュが声を掛けるも、張りの無い声でそう返されては、疲れていないようにはまるで見えない、のだが。

 あまり触れられたくない空気が出ていたので、触れないことにした。

 ……反面。


「エリーさんは、なんというか、元気いっぱいですね……?」

「ええもう、描きたくて描きたくて描きたくて!!

 辛いくらいでしたよ、昨夜は!」


 ツヤツヤ。

 そう表現するしかない表情、肌の艶。

 何があったというのだろう。


 ……まさか。

 いや、どうやらそうでもないようなのだが。

 それでも、明らかに昨日とは違う空気に。

 

 ……何が、あったんだ……?


 心の中で何度も、そうつぶやかざるを得なかった。



 そうして、モデルのレティが椅子に座り、セルジュとエリーがそれぞれの構図でそれぞれに画板を構える。

 すでにその時点で、かなり居心地悪そうにしていたのだが。


「……エリーさん、ちょっと待ってください。

 それはさすがに、デフォルメのし過ぎです。

 いずれはそういうのもいいかも知れませんが、今はもっと忠実に」

「はっ?! す、すみません、つい、色々とあふれ出してしまって!」


 ……見たくない。見てはいけない。

 でも、ちょっと見たい。

 そんな感情に、微妙にもじもじとしてしまう。


「まあでも、こういうのもありだとも思うんですよね……。

 こう、エリーさんの熱意みたいなものが伝わってきます」

「そうですか!? ありがとうございます、気持ちだけは目いっぱい籠めてますから!」


 そんな二人の会話に、知らず、顔が赤くなる。

 

 見られている。

 描きあがったばかりのラブレターが、見られている。

 それは、どうしようもなく恥ずかしいのに。

 その意味するところは、レティとエリーの二人しか知らないのだから、セルジュを止めるわけにもいかない。


 もしかして、恥ずかしさで死ぬのかな。


 そんなことまで思ってしまう。

 

 それでいて、セルジュはあくまでも技術的な話をしていて。

 エリーはそれに応じているようでもあり、確信犯的でもあり。

 二人の会話を聞いているレティは、止めることができなかった。


 


 そうして、レティがいたたまれないままモデルになる日々が続く。

 その間に、エリーにもりもりバリバリと描きまくられて、セルジュからスケッチされて。


「うん。……やっと、イグレットさんが掴めたかな。

 明日から、本格的に描いていきますね」


 セルジュが、そう宣言した。

 その間に描かれた、エリーにとってのお宝は、膨大な数になっていた。


「やっと、ですか……。

 師匠でも、そんなにかかるものなんですね……。

 でも、うん、なんだか……質感だとか、そういったものがさらに表現されてるように見えます」


 セルジュの描き上げてきたスケッチの数々を見比べる。

 最初から、素晴らしい作品だったのだけれど。

 それが枚数を重ねるごとに、さらに、さらに……真に迫ったものになっていた。

 

「私だって神様じゃないですから、いきなりは無理ですよ。

 何枚も、色々な角度から描くことで対象の質感を掴んでいかないと。

 ……できれば、外だけでなく、中まで。

 金属と木だと、同じ四角のブロックでも明らかに違うでしょう?

 それをどこまで表現できるか、だと思うのですよね、私は」


 そう言いながら、何も見ずにささっと、二本の四角柱を描いた。

 ……明らかに片方は冷たく硬質な金属であり、もう一方は温かみのある木製だった。

 それを見たエリーは、しばし沈黙して。


「師匠、これもいただいていいですか?」

「え、ええ……それは、構いませんが……」


 通常運転のエリーでもあり、さらに加速しているエリーでもあった。




 そうして、ついに。


「では、今日は本番、の下書きに入りますね。

 イグレットさんには、いつも以上にモデルとして要求していくことになると思います。

 ……まあ、大体こなしてはくれてますけども」


 あの日以降、慣れはしないものの、なんとか表情を作り直すことはできるようになった。

 体をコントロールするのと同じように表情をコントロールするのだ、できないわけがない。

 ……その、はずだ。

 若干、当初は硬かったかも知れない、が。


「ん、わかった……いつもよりも気を付けてポーズを固定する」


 こくり、と頷く。

 いつもより真剣みの増したセルジュを見ていると、自分も身が引き締まる思いがする。

 

 今までも彼の凄味のようなものは幾度も感じていたが、今日は特に違う。

 どうやら今までは本当に練習で、これからが本番らしい。

 そんな彼の眼に晒されるのだ、気を抜くわけにはいかない。


「拝見させていただきます、師匠!」


 普段ならばひたすらに描きまくっているエリーが、雰囲気を感じ取ったのか観察モードだ。

 一瞬たりとも見逃せない。そんな予感がする。


「……あまり見られても緊張しますが……そうですね、見ててもらうのもいいでしょう。

 では、いきますね」


 既に地塗りも終わらせていたキャンバスを、イーゼルに立てかける。


 それを合図に、一つ、大きく呼吸をして。

 要求されたように、窓に向かって斜めに椅子を置き、背筋を伸ばして座る。

 少し顔はさらに右へと向けて……セルジュからは、真横の顔が見えるように。

 指は緩く腹部の前で組み、自然に、しかし凛とした姿であるように。

 そうして、視線はどこまでもどこまでも、遠くを見るように。


 じぃ、と見つめることしばし。

 ざぁ……と、太めの筆を使って下塗りを始める。

 完成形をイメージして、その陰影をイメージして、それをそっと支えられるように。

 まだ、そこには何も見えない。


「これが、下塗り……どんな意味が、あるんだろう……」


 もうしばらくすれば、この下塗りは見えなくなる。

 だから、その下塗りすら記憶にとどめようとする。


 下塗りが終われば、木炭での素描が始まる。

 普段のスケッチよりもさらに淡いタッチ、ざっくりとした捉え方。

 それでも既に、奥行きも質感も、表現され始めている。

 雑然とした空間、差し込む柔らかな光、その中で輝く眼差し。


 そこにさらに、厚みが加わる。

 荒描きで陰影をさらに強く、深く。

 そうすることで、形がさらに、浮かび上がってくる。

 画面の世界の中に、何かが息づき始めていくのが、嫌でもわかって。


「……ふぅ。今日はここまでにしましょうか」


 セルジュがそう声を出すまで、二人とも声も出せず、微動だにできなかった。

 

「はっ!? あ、し、師匠、お疲れ様です!

 ……なんていうか……すみません、凄かったとしか言えないです……」

「同感……。殺気、じゃないけど……そんな張りつめ方してた、ね……」


 口々に、二人してそんな感想しか出せない。

 セルジュは、そんな二人の反応に、むしろ満足そうにしていた。

こんな生き方しかできない人間だった。

そんな生き方を支えられない人間だった。

それでも、互いを嫌ったわけではなかった。決して。


次回:すでに、懐かしいあの日


それは、悲しい程に切なく、甘く。

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