湖の街、クオーツにて
リオハルトとの面会も終わり、王城を後にすると。
どちらからともなく顔を見合わせて。
「……相変わらずだったね」
「そうですねぇ、相変わらずでした」
顔を見合わせて、思わず笑いあう。
少しだけ、王様らしくはなったけれども。
その芯の部分は相変わらずの彼だったことが、なんとなく嬉しい。
笑いあいながら、やがて話題はゲオルグの騎士なりたての頃のエピソードを改めて振り返ることになったりして。
街の人たちにも聞こえるような声の大きさでしゃべってしまった。
……後日、ゲオルグが王都にやってきた時に、街の人たちに色々とからかわれて。
リオハルトが噂の出どころだろうと怒鳴りこんだのは、また別の話。
その日は、王都の宿で一泊して。
王都から、さらに西へと向かう。
辿り着いたのは、クオーツの街。
海と見紛う程に大きな湖の側にある街だった。
「……何これ」
茫然と、そう呟く。
大きな大きな、巨大な、水たまり。
極端に言ってしまえば、それだけの代物なのだが。
それが、実際に……ここまでの規模で目の前に広がると、言葉を奪う程になってしまうのかも知れない。
遮るものの無い、開けた視界。
湖岸に立てば、右から左へと空の青、それを写し取った水の青が視界の全てを覆う。
それでいて、その遥か向こうに霞む、山の稜線。
確かに、この向こうにも地面が続いているのだという実感と。
本当に続いているのかわからない非現実的な感覚が同時に襲い来る。
見慣れた人にとっては当たり前の光景ではあるのだろうが、今のレティには強烈な光景で。
しばし、その光景の前で立ちすくみ、茫然とただ、眺めていた。
「凄いですよねぇ……恐らくこの大陸一番の湖なんじゃないでしょうか」
昔、何度かこの辺りにも来たことがあるエリーは、比較的落ち着いてはいた。
それでも、この光景は来るものがあるらしく、若干声が上ずっている。
レティも、知識としては、知っていた。
だが、実際に見ると、想像を遥かに越えている。
なるほど。
自分が知っていたことなど、まだまだ取るに足らぬものだったらしい。
それが、なんとも……おかしくて。
……あるいは楽しくて。
くすくす、と唐突に笑みをこぼす。
「レティさん?」
「ああ、ごめんね……。
なんだろう、この感覚……笑うしか、なくて。
ああ、こんなに凄いものが、世界にはあったのかって。
……色々と知っているつもりだった自分がおかしいのかも……」
自虐ではなく。純粋に、そう思う。
ああ、自分はまだ、何も知らなったのだと。
……それが、妙に……嬉しい。
「ねえ、エリー」
「はい、何でしょう」
「これからも、色んなところに、一緒に行ってくれないかな……。
……私は、何も知らなかったことが、良く分かった。
そして、ね……知らなかったことを、知りたくなったの。
……だめ、かな?」
ちょっとだけ、ずるい自分を自覚する。
隣に立つ彼女が、こう言われて断るわけがないことを知っている。
それでも、ちょっとだけ。
ちょっとだけ……甘えてみたくなったのだ。
「レティさん」
「ん……何……?」
こほん、とエリーが咳ばらいをする。
と、思ったら。
「何当たり前のこと言ってるんですか、一緒にいないわけがないでしょう?
レティさんは私のマスターなんです、運命共同体とも言える存在なんですよ?
そんなレティさんをほっといて、どっか行くわけないでしょう、行きたいところに行かないわけないでしょう。
嫌って言ってもついていきますからね、異論は認めません、認めませんからね!!」
物凄い早口でまくし立てるように、言い募る。
その勢いに、ぽかんとした表情になってしまい。
言い終わって、満足したのかどや顔を見せるエリーの顔をしばし見つめ。
……おなかの底から湧き上がってくるものに身を任せ、くすくすと声を漏らす。
ああ、やっぱり。
どや顔のままのエリーの手を、そっと、取る。
「……ありがとう。
エリーがいてくれて、良かった」
そう、微笑みかけた。
……はぅ。
そんな小さな声と共に。
顔を真っ赤にしたエリーが、その場で崩れ落ちた。
「だから、そういうところなんですよ、この女たらし!
こんな人前でそんな殺戮兵器を繰り出すとか、酷いにもほどがあります!」
ようやっと立ち直ったエリーが、それでもまだぷるぷるとしながら、訴える。
「えっと……そんな、言われるほど……?」
酷く理不尽な扱いを受けている気分になりながら。
でも、そんなに悪い気分でもなかった。
そんな戯れをしていたところに、だった。
「あ、あの、そこの方!
そこの、黒髪の貴女!」
突然、そんな声がかかる。
「……え。……私?」
周囲を見回しても、黒髪は自分だけだ。
不思議そうに、声の方を見る。
茶色の髪はぼさぼさと手入れがほとんどされていなくて。
無精ひげがその顔を覆い。来ているシャツも、よれよれで。
まだギリギリ浮浪者ではないものの、かなり際どい所にいるような人相の四十絡みの男が、そこにいた。
「そう、そこの貴女です!
お願いです、私のモデルになってくれませんか!!」
「……え?」
唐突なお願いに、呆気に取られたように、固まってしまう。
と、二人の間に突然エリーが割って入り。
「聞き捨てなりませんね。
レティさんにモデルの依頼など、マネージャーの私を通していただけますか!」
「なっ、やはり名のある方だったのですね……。
すみません、後払いになりますが、お金は必ず!
その方の美しさを、是非に絵の中へ留めおきたいのです!」
「……ほほう。中々見る目がおありですね。
詳しいお話を伺いましょうか」
当事者である自分をそっちのけで、話が進んでいく。
それを、呆気に取られたまま、眺めて。
「エリー……いつから、私のマネージャーになったの……」
そもそも、マネージャーとは、何だろう。
そんなどうでもいい疑問を浮かべながら。
ようやっと、それだけ、言葉を差し込んだ。
その技術を求められる人生だった。
これからもそうだと思っていた。
だが、今求められたものは。
次回:画家と、その依頼
どんな顔をすればいいのかわからない時もある。




