旅路に、見えるもの
翌朝。出立の用意をして宿屋のおかみさんに宿を引き払うことを告げる。
名残を惜しんでくれたのは、部屋を綺麗に長く使ってくれた上客がいなくなるからか、多めに心づけを渡したからか。
ともあれ、見送りに出てくれたおかみさんへと軽く手を振ると、二人はギルドへと向かう。
受付の娘は二人の格好を見て察したのか、少しだけ寂しそうな笑顔になって裏へと向かう。
流石に昨日よりは落ち着いた足取りでトーマスがやってきて、二人を奥へと誘った。
「その格好、やっぱり出て行くのか?」
「うん、次に向かうとこができたから」
「……そうか。長いようで短い間だったが、本当に世話になった。
二人とも、本当にありがとう」
訪ねてきた仲間がまた出て行く。
冒険者を送り出す。
慣れたことだ。
だが、今回ばかりはその重みが違い、少しだけためらった。
それでも、この二人が決めたことだ、引き留めることなどできはしない。
深々と頭を下げるトーマスに、エリーもお辞儀を返す。
「いえいえ、こちらこそお世話になりました」
「……奥さんと、赤ちゃんにも、よろしく」
エリーに続くように、レティも頭を下げた。
顔を上げると、ハトが豆鉄砲を食らったような顔をしたトーマス。
不思議そうにレティは小首を傾げ。
「……どうか、した?」
「いや、なんだ……昨日から思ってたんだが……。
イグレット、何か変わったか?」
じっと、思わずレティの顔を見つめる。
何が、とはっきりとはわからないのだが、表情に、言動に、以前にはなかったものを感じる。
こんな社交辞令のような挨拶もできる奴だっただろうか。
「……さあ、どうだろう。自分ではわからないけど」
そう不思議そうに返すレティの横で、何故かエリーが優越感丸出しのどや顔をしていた。
しばらく他愛もない雑談をした後、ギルドを出る。
「いつでもまた来てくれ、歓迎するぜ」
と見送ってくれたトーマス。
目に涙を浮かばせた受付の娘と、しっかり握手して。
そんな光景を奇異の眼で見ている冒険者達に見送られながら、二人は街の外へと向かう。
やがて、西へと向かう門までたどり着く。
まだ条約締結はなされていないが、バランディアから正式な停戦交渉の使者が来たことで街は落ち着きを取り戻し、早速商売っ気の強い商人の荷馬車隊が西へ向かおうとしていた。
賑わう人の波を縫うようにして門へとたどり着き、出立の手続きを取る。
……ギルドカードを見せると、驚くほどにスムーズに手続きが終わったのは、戻った平穏のおかげだろうか、トーマスの手回しだろうか。
門衛へと会釈して、門を出て。
なんとなしに、振り返る。
「……なんだか、不思議なものだね」
「どうしたんです? 急に」
街の外へと向かう門。
幾度か潜ったそこを、また潜った。
それだけの、はずなのだが。
「この街には、ウォルス程の馴染みはないはずなのに……同じくらい名残惜しい」
「ああ……それは、うん、わかる気がします。
なんだか、色々ありましたし……思い入れは、ありますよね」
西へと向いたその門は、あるいは戦火にさらされていたかも知れなくて。
だが、今はそこに爪痕は刻まれていない。
出発の準備に忙しい商人たち。
その周囲で、手伝っているのか遊んでいるのか、駆けまわっている子供たち。
少しだけ険の取れた兵士達の表情。
夏の空に翻る、ジュラスティン王国とアザール伯爵家の旗。
来た時の、どこか緊張感の漂う賑わいとは違った空気。
活気がある、というのはこういうことだろうか。
「……なんだろうね……。
……多分、嬉しい、のかな……この景色が」
「そう、ですね……きっと、そうだと思います」
エリーが見つめるその横顔。
柔らかく弧を描く眉、少し下がった目元、ちょっとだけ上がった口の端。
……微笑んでいるレティが、そこにいる。
その横顔を、ニコニコといつまでも飽きることなく、見つめていた。
やがて、十分に名残を惜しんだのだろう、身を翻して、歩き出す。
夏の盛りの日差しは、昼前で既に高く、熱い。
二人は日よけの帽子をかぶり、薄手の白いマントを羽織る。
この辺りの気候は、海が遠いせいか夏でも湿度は低く、雨は少ない。
日差しを遮り、風の一つも通れば、からりとした空気で過ごしやすい。
「いい天気ですね~」
「そう、だね……空が、青い……」
見上げた空は、濃い夏の青。
雲一つないその青を、目を細めて眺める。
しばらく眺めていて。ぽつり、呟いた。
「……そう、だよね……空って、青いんだよね……」
「そう、ですよ。青いんですよ」
今初めて気付いたような声に、目を細める。
多分、何も知らない人が聞いたら「何を当たり前のことを」と呆れるだろう。
だがエリーからすれば、その言葉が嬉しかった。
すぃ……と鳥が空を横切る。その細く鋭いシルエットは燕だろうか。
それを追いかけるように視線が動けば、遠くには山並み。
夏の日差しをたっぷりと浴びた木々が濃い緑を蓄えていて。
そこから麓へと降りていけば、広がる草原の若草色。
その間を縫うように続く街道は白い石畳で覆われていて、時折その傍に植わっている木の緑もやはり濃ゆい。
「空は青で、山は、緑……当たり前、だよね。
……当たり前、なんだけど……」
当たり前なのだけれど。
それでも、いつも見ていた景色とは違って見えるのは、何故だろう。
きゅ、と手を握られる。
おや、と思って隣のエリーを見れば、優しく微笑んでいて。
……何だか、見られたくないところを見られたような気恥しさがあって、目を反らす。
でも。ああ、やっぱり。
「歩きにして、良かった、かな……」
そう呟いた。
一度たどったはずの道のりは、違う色を見せる。
それは自然の仕業でもあり、あるいは見る側にも由来して。
次回:再訪、あるいは初めての
そして、だからこそ欠けがえなく




