その手のひらが、掴んだものは
少し時系列が前後します。
前話の、アザール伯爵の部分と公爵の部分の間になります。
バランディア王国での動乱が終わってから一週間程経ったある日。
バランディア王都から戻り、ようやっと体が本調子になったレティとエリーは、アザールの冒険者ギルドを訪れた。
おおよそ一段落着いたことで、今までのことを報告しに来たのだ。
二人が顔を出した瞬間に、受付嬢が裏へとダッシュ。
すぐに息を切らしたトーマスと共に戻ってきた。
「お、お前ら、お前ら、無事、でっ」
「うん。ただいま」
息を切らせながら、何か感極まったような表情のトーマスへと、あっさり挨拶をするレティ。
その言葉を聞いた瞬間に、へなへなとトーマスはその場に尻もちをつく。
「……どうしたの? 運動不足?」
「んな、んなわけないだろぉがよぉぉぉ!!
と、とにかくお前ら、こっちに来い!!」
慌てて立ち上がったトーマスは、いつもの裏の部屋へと二人を連れていった。
「……いや、何がどうなったらそんなことになるってんだよ……」
二人から事の顛末を聞いたトーマスは、頭を抱えていた。
レティがエリーを連れていくところまでは、聞いていた。
だが、その後の怒涛の展開と、二人の直面した危機、そこからの生還……どこに驚けばいいのか、わかりもしない。
……もちろん、レティが『跳んだ』ことや、エリーがやったことはぼかしている。
「まあ……なんというか、色々と偶然が重なったというか……」
「まさかあんなことになってるとは思いませんでしたし、ね~。
わかっていたら、もう少し準備できたんですが」
「それは仕方ないんじゃないかな……時間も惜しかったし」
「ああ、それもそうですね~」
そんなトーマスを尻目に、当の二人はのほほんとしたものだ。
当たり前のように言葉をかわす二人の様子を見て、何度目かわからないため息を吐く。
「だから、何で当事者のお前らがそんなに落ち着いてるんだよ……」
「え、だって……無事に終わったんだし」
「無事じゃねぇよ、生きては帰ってきたけどよぉ!」
ああ、なんだろう、この二人の肝の据わり方は。
これが、現場で修羅場を潜ってきた人間の胆力というものだろうか。
……いや、自分も冒険者だったが、ここまでじゃない。
何かが違うのだろう、この二人は。
「ああ、まあ、お前らが凄く大変だった、ということは良く分かった。
……こっちも、生きた心地がしなかったぜ、戻ってくるまで……」
ともあれ、この二人が帰ってきた、それだけは間違いない。
「二人とも、よくやってくれた。ありがとう」
トーマスは、深々と頭を下げた。
そんな彼へと、レティは軽く手を振って応じる。
「仕事だし、ね。
……ああ、そうだ、トーマスにちょっとお願いがあるのだけど」
「ん? お願いってなんだ、今ならなんでも聞くぜ」
どん、と胸を叩いて見せると、そう、と頷いて見せて。
「ボブじいさんへの連絡用のハトを借りたいのだけど」
「ん? そりゃ全然かまわんが、どうした?」
「伯爵もついでに殺っといたから、その後のことをお願いしとこうかと」
「ついでに、で殺っとくなぁぁぁぁ!!!」
やっと落ち着いた、と思えばこれだ。
なんでこいつは、こうも簡単そうにこんなことを話すというのか……。
「え……依頼は、元々それでしょう?」
「そうだが!
……それでか、伯爵家近辺がざわついてんのは」
「落馬事故に見せかけておいたから、その処理じゃないかな……」
「なるほど、で、じいさん経由で公爵辺りに話をつけさせるわけか」
「バランディアの方は、話を付けてあるよ」
淡々と告げるレティを、じっと見つめる。
この手際の良さは、なんだ。『現場』ではもちろん有能な奴ではあったが。
なお、トーマスの知らないことではあるが、アザール伯爵の趣味が遠乗りであることは、以前エリーが聞き出していた。
……レティとそこまで何度も絡んだわけではないのだ、考えても無駄かも知れない。
「そこまでやってくれたんなら、後はじいさんがちゃんとやってくれたら、か」
「……多分、ね」
あのじいさんがしくじるとも思えない。
これで、終わるのだ。
この街は、これ以上の騒動には巻き込まれないのだ。
そう結論付けると、どさ、とソファへ背中を投げ出し、ふ~…と大きく息を吐きだした。
「お前ら、ほんっと、ほんっとうに……良くやってくれたよ……」
天井を見上げる。
これ以上、彼女らの顔を見ることができない。
大粒の涙を堪えながら、トーマスは震える声でそう告げた。
「まあまあ、こんな綺麗なお嬢さんが二人も……
すみません、こんな狭いところで……すぐに支度しますから」
「いや、連れてきた俺が言うのもなんだけどよ、無理すんなって、俺に任せろっての」
「でもあんた、いっつも、悪いわ」
「あ~……気にすんな、これくらいよ」
いつもとまるで違うトーマスの、気遣い優し気な声に思わず二人して顔を見合わせてしまう。
連れてこられたのは、トーマスの家。
ここまで骨を折ってくれた二人にせめてもと、二人を夕食に招待したのだ。
出てきた奥さんは、言われていた通りあまり体の調子は良くなかったようで、トーマスがそれを甲斐甲斐しく支えている。
赤ん坊の世話に食事の支度の手伝い、奥さんも頑張って働いているのを的確にサポートしていて。
「あの、奥さん、私も何か手伝いますよ」
「あら、悪いわ、えっと、エリーちゃん……?
ごめんなさいね、気を使わせちゃって」
「いえいえ、このまま座ってるだけも落ち着かないですから」
そう言いながら、エリーは腕まくりして台所へと向かった。
……家事が全くできないレティは、ただ座っているだけだ。
「ごめんなさい、トーマス、こっち手伝ってもらえる?」
「おお、わかったわかった、すぐ行く!
……ああ、すまんイグレット、ちょっと預かってくれ」
「え、あ、ちょ、っと……」
赤ん坊をあやしていたトーマスが、簡単に抱き方をレクチャーしてはくれたが。
こんなに柔らかで壊れそうな存在を抱いたことがないレティは、どうしたらいいか途方に暮れる。
あまり人見知りはしないのか、おとなしく腕の中に納まってくれている赤ん坊に、少しずつ落ち着いてきたが。
そうすると、段々と感じる、腕の中の柔らかさと、暖かさ。
じぃ、と見つめられて、見つめ返して。
あ~、と意味のない言葉に、どうしたら、と思案顔していると。
手を、差し出された。
同じ人間のものとも思えない、小さくて、壊れそうで、柔らかな、手。
指、とはこんなに丸々として短いものだっただろうか。
それが、自分の髪の毛を一房掴み、おもちゃにする。
ぅあ~、と言いながら、口に入れられた。
驚きで、目をぱちくりと瞬かせてしまって。
なすがまま、されるがままに、硬直してしまって。
「だ、だめ、汚い、から……」
「ああ、ごめんなさい、イグレットちゃん、その子何でも掴んじゃって」
そんな奥さんの声に、え、え、と動揺しながら。
壊さないように、ちょい、ちょい、と指で払おうとすると、今度はその指を掴まれた。
……弱い。
なのに、振りほどけない。
確かめるように、にぎにぎと何度も握られる指、じぃっとそれを見つめる瞳。
なんだろう、これは。
こんなに弱くてもろい存在なのに、どうしてこんなに。
ふと、顔を上げた。
せわしなく使われるトーマス、優しそうに笑う奥さん、ニコニコしながら手伝うエリー。
そして、自分の指を掴む、赤ん坊。
……ああ。
これが、自分の成したことなのか。
自分が、守ったものなのか。
自分の胸に込み上げる熱いものの名前を、彼女はまだ知らなかった。
夕食は、質素ではありながら、精いっぱいのものだった。
何よりも、奥さんを気遣ういつもと違うトーマス、エリーの巧みな話術で盛り上がるその場は、なんとも暖かくて。
こんな風に思う食事は、久しぶりのことで。
とまどうような、嬉しいような。
そんな時間が、きっと嫌いではなく。
奥さんと赤ん坊が寝室に戻っても、余韻に浸るように酒杯を重ねている。
……エリーは相変わらず絡み上戸で、トーマスもすっかりできあがっていた。
抱き着いて絡んで来るエリーをあしらっていると、トーマスがじぃ、と見つめてくる。
「……トーマス? どうか、した……?」
「ああ、そう、だな……。
なあ、イグレット。なんでここまでしてくれたんだ?」
酔った赤ら顔で、それでも真剣な声で聞いてくる。
その質問に、不思議そうに小首を傾げ。
「え……だって、仕事じゃない」
「いや、そう、だけどよ。
……それでも、こりゃぁさすがにコトがデカくなりすぎだ、途中で抜けられても文句の言えないヤマだったんだぜ?」
最初は、ただの伯爵殺しのはずだった。
それが、転がり転がり、最後には隣国をひっくり返す大事件へと発展した。
どう考えても一人の暗殺者の手にはあまる。
途中で投げても、自分はもちろん、誰も文句は言わなかったはずだ。
「ああ、それは……」
なぜ、だろう。酒の入ったグラスを両手で抱え、考える。
今までを、一つ、一つ、振り返って。
「……だって、最初にトーマスが筋を通してくれたじゃない。
だったら、私が投げ出したら、筋が通らない」
自分の出した答えに満足したのか、うん、と小さく一つ頷いてグラスに口をつける。
しばらくして、ん?と不思議そうに、返事のないトーマスの方を見た。
トーマスは、言葉もなく固まっていた。
……俺が? 筋を、通したから?
途端に、脳裏に湧き上がる、あの時の記憶。
どうしようもない状況に突如現れた彼女。
無理な願い、それを飲み込んで引いた時の苦悩。
全てが、思い出された。
俺が。 あの時。
この、戻ってきた日常は、自分があの時筋を通したからだというのか。
ブルブルと体が震えてきて、最早涙を堪えることができない。
唇を噛み締め、嗚咽を堪えながら涙をぼろぼろと流すトーマスを。
レティは不思議そうに眺め、エリーはそっと手ぬぐいを差し出し、労わっていた。
取り戻した平穏。だが、それはあっさりと崩れ去る。
ただ、まだそれは、ささやかなもので。
次回:トラブルは突然に
大したことはない。往々にして、そこから始まるもので。




