人ではなくなった、ナニカ
そこに顕現したのは、人の形をした、何か。
確かに、大まかなフォルムは人間のものだった。
それは、腕が二本あり、足も二本あり、頭部が一つ、という意味では。
だが、それは間違いなく、人間ではない。
先程まで豪奢なドレスを着ていた美女の面影はどこにもなく、生理的嫌悪を催すような悍ましい姿。
あちこち節くれだった、昆虫のような外骨格に包まれた全身。
肘や膝からは棘のようなものがいくつも飛び出し、大きく開かれたその手、携えた爪は大振りなナイフのように鋭く、肥大化していて。
何よりも、その頭部。
カマキリを思わせる逆三角形の顔、飛び出した二本の角、複眼のように肥大化した瞳。
それが、ぎょろりと周囲を見渡して。
宰相に止めを刺したレティへと、視線が向けられた。
瞬間。
弾かれたように横に飛び退ったレティの、ほんの一瞬前まで居た場所が、吹き飛んだ。
もう一跳び、大きく距離を取って、小剣を構えなおしながら、異形を見据えると。
「殿下、下がって!!
できるだけ、下がって、散って、避けることだけ考えて!」
初めて聞く、レティの叫び。
その意味するところを二重に理解すると、リオハルトはすぐに声を出した。
「下がれ!!
総員、退避!! 散開し、各個の判断で回避せよ!!!」
異形と化した女王から視線を逸らさぬようにしながら、騎士達は急ぎ後退し、散開する。
無駄な意地を張るものなどいない。
何しろ……見えなかったのだ。
跳び退ったレティの動きをギリギリ追えたものはいたが。
その彼女へと飛び掛かった女王の動きは、追うことができなかったのだから。
ふ、ふ、と小刻みに息を強く吐き、吸い、強制的に空気を肺に叩き込む。
少しでも動きが鈍れば、殺られる。
ビリビリと物理的に感じられるほどの緊張感に、喉が渇く。
ゆっくり。
床をその爪で切り刻み、吹き飛ばした女王が体を起こした。
ゆらぁり…ゆっくり、ゆぅっくり、こちらを、見て。
鋭敏になった感覚が捉える、視覚以前の、感覚。
とっさに、前へと前転しながら飛び込む。
ぐぉう!! という、空気を押しつぶすような重い音と。
ギィン!! という、金属同士がぶつかり合うような音。
前転したそのすぐ横を通り抜けた女王、それと交差する瞬間に足首へと振るった一撃。
刃は、その外骨格に防がれた。
ダメか…、そう思いながら、構えなおす。
女王も、ぐるぅり、と振り返り、これ見よがしに爪を突き出すような姿勢を取ろうとして。
わずかに、片足が揺らいだ。
切れてはいない。血は出ていないから。
だが、ということは。
……衝撃は、通る? 中はまだ、人間?
であれば。
まだ、勝機がないわけではない。
交わし、すれ違いざまに一撃。その地道な繰り返しで、あるいは。
くるり、刃を返す。
刃ではなく、その峰を当てるために。
衝撃を与えるために。刃が折れぬように。
構えなおした次の瞬間に。
己の体を僅かなりと傷つけた不遜な存在を睨みつけた異形が、吠えた。
「GYUUUUAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!!」
魔力の塊を叩きつけられるような咆哮、それは魔力があるものほど感じ取れて。
ぐらり、頭が揺れるような感覚、必死に自分を繋ぎとめる。
そして、まだ感覚を失わない頭が捉える、冷たい感覚。
「足元! 魔力、避けて!!」
そう叫びながら、周囲に視線を送ることすらできない。
足元に集まってくる、凶悪な魔力の塊。
これが、天と地を繋いだら。
その先に起こることは容易に想像できて。
しかし、自分がその周囲を濃密な魔力に取り囲まれ、そこから逃れるのが精いっぱいで。
「AAAAAAAAAA!!!!!SYOOOOOOOOOOO!!!!!!」
ギリギリ、駆け抜けたその跡を、落雷が撃ち抜く。
王子や騎士達のいる場所はまだ、雷の密度は薄くて、王子は感じ取り、かわし切って。
幾人かの騎士も、感じ取れたのか、かわせた。
……数人の騎士が、雷に、撃たれた。
気遣う暇なく、落雷は襲い来る。それを、必死にかわし、逃げて。
「こ、のっ!!!」
落雷をかわして崩れた態勢、そこへと飛び掛かってくる気配を感じて。
敢えて崩れて、転がって。
ココ
と感じた場所へと、小剣を差し出すと、ガツン!!と強い衝撃。
勢いで小剣が弾き飛ばされそうになるのを必死にこらえ、すぐに体を起こし……反転した異形と目が合った、気がした。
考える前に横に飛ぶと、砕かれた床の破片が襲い掛かってくる。
その痛みを無視して、着地して、直ぐに前に転がるように飛び込み、前転。
背後で響く床が砕かれる音を聞きながらもう一度跳び、転がり、身体を起こす。
はぁっ、はぁっ、と呼吸が荒げるのを抑えることができない。
小剣をなんとか構えなおし、異形を見据えると、若干、左膝がおかしな動きをしているだろうか。
だが、歩く分には歩けているし、右足は……跳躍するには十分な筋力があって。
飛び込んで来る。
と、理解する前に体が動いていた。
横へと飛び、転がる。すぐに体を捻って。
床が砕ける、重い音。その付近へと短剣を投げつけると、カキン!と硬い音。
跳躍の衝撃を、片足では受け止めきれなかったのか、深く沈み込んでいたその足元へと、当たりはした。
だが、流石にそれは、軽かったらしい。
ほとんど、影響が見られなかった。
すぅっ! と大きく息を吸いこんで。
僅かな隙に、少しでも、空気を。
取り込む、と思う間もなく、吐き出しながら、跳び退る。
交差際に差し出した小剣は、今度は届かなかった。
ジリ貧、なのはわかっている。
それでも、続けるしかない。
まだ、生きている。
王子も、騎士達もまだ生きている。
ならば、諦めることなど、できはしない。
意思を込めて睨みつけながら、小剣を構えなおした。
万事はまだ、窮しない。
だが、取れる手段など、限られて。
そこで脳裏に浮かんだもの、それは。
次回:たった一つの冴えたやり方
選びたくは、ないけれど。




