花咲くように彼女は笑う
「わかるかトーマス、わかるじゃろ?」
「あ、ああ、わかるわかる、わかるから!」
「そうかわかるか、ならもっと飲め飲め!!」
「うぉっ、ちょ、ちょっと待ってくれ、これ以上はっ!」
レティとリタが待合室に入ってまず目に飛び込んできたのは、肩を組みながらドボドボとトーマスのジョッキに酒を注ぐボブじいさんの姿だった。
グラスではない。ジョッキだ。
見れば、最初に使っていたであろうグラスはテーブルの端に遠ざけられ、既に酒瓶は二本目に差し掛かっていた。
「あ~もう、何やってんのさ、じいさん。式もまだだってのに、もうこんなに飲んじまって」
腰に手を当てたリタが、呆れながらテーブルと二人を交互に見やるが、窘められたボブじいさんは悪びれた様子もなくヘラリと笑う。
「いやぁ、すまんすまん。どうにも酒が旨くてついつい、のぉ」
そう言い返しながら振り返ったボブじいさんは、ピタリと動きを止めた。
リタに続いて入ってきたレティの姿を認めると、目を見開きながら凝視することしばし。
「お、おお……イグレット、イグレットじゃな……?」
「え、うん、そうだけど……?」
普段とあまりに違うその様子に、若干困った顔になりながらレティが返すと、途端にボブじいさんの目から涙が溢れ出した。
「おおおお! なんと、なんと綺麗になってまぁ!!
お前さんのそんな姿が見られるなんて、わしは、わしは!!」
「ちょっ、じいさん落ち着け! 絞まるっ、首が絞まるっ!! くっそ、なんだよこの馬鹿力は!?」
感極まったのか、思わず、といった感じでボブじいさんの腕に力が入れば、それがトーマスの首へと食い込んでいく。
首をへし折らんばかりの圧力に生命の危機を感じたトーマスが両腕で引き剥がそうとするも、ボブじいさんの左腕はびくともしない。
徐々に白くなっていく視界に、「あ、これはマジでまずい」とトーマスに若干の諦めが入ったその時。
「こらじいさん、落ち着きなって」
ペチン、とリタが頭をはたけば、正気を取り戻したのかじいさんの腕が緩む。
途端、慌ててトーマスはその腕から抜け出し、大げさな仕草で何度も何度も深呼吸をした。
「た、助かった……」
「トーマス、油断しすぎ。それに今のはこうやって……」
「いや、今欲しいのは実践的なレクチャーじゃなくて慰めの言葉なんだけどな!? くっそう、こういうとこは変わってねぇな、イグレット!」
レティの容赦ない追い打ちに、トーマスは色んな意味で涙目になりながら食ってかかる。
割と必死な辺り、真面目に危なかったのかも知れない。
「ほ~ら、じいさんが加減を忘れるからこうなる。イグレットの晴れの日に、死体を出すのも縁起が悪いだろ?」
「そこは俺のことを心配しろよリタ!」
「確かに、わしの手で汚すわけにはいかんのぉ……」
「じいさんも! くっそ、なんだよこの、ないがしろな扱い!」
危うく召されかけた事を完全にスルーされたトーマスは一人吠えるが、リタもじいさんも聞こえてない振りである。
流石に少々哀れに思ったのか、レティがトーマスの方をぽんぽんと叩いた。
「人間、諦めも肝心」
「慰めになってないんだよ、ちくしょう! こうなったら、俺も飲んでやる!」
と、トーマスが酒瓶に手を掛けたところで足音が聞こえてきた。
「なんだいなんだい、随分とやかましいねぇ。ひょっとして、先に宴が始まってたのかい?」
ぼやくように言いながら、一人の老女……もとい、淑女が顔を出す。
「あ……ドミニク、師匠。やかましくてごめん」
「いやいや、あんたが謝ることじゃないよ、確かに随分と賑やかだがねぇ」
後付けながらも師匠呼びをされて、嬉しそうに目を細める辺り、ドミニクも少々浮かれているのかも知れない。
そんな彼女の表情に、珍しい物を見た、とばかりにレティが目を幾度も瞬かせていると、その隣から声が上がった。
「ドミニク、じゃと? その顔、その声……まさか、あのドミニクか!?」
「いや、あのって言われてもね……ん? まさかあんた、ボブかい?」
「おお、そうじゃとも、ボブだともさ! こんなところで会えるとは! それも、イグレットの師匠じゃと!?」
「ははっ、まさかあんたがイグレットの知り合いとは、世間は狭いねぇ!」
思わぬところで盛り上がりだした老人、もとい年配二人に、レティ達は呆気に取られている。
いや、それはレティ達だけではなく。
「あ、あの、ドミニク師匠、もう入っても大丈夫ですか? なんだか随分盛り上がってらっしゃいますけど……」
念のためにと、先にドミニクが安全を確認してから待合に入る予定だったツェレンが、おずおずと声を掛ける。
その声に、若干申し訳なさそうな顔で振り返りながら、ドミニクが笑って頷く。
「ええ、入ってもらって大丈夫ですよ。多分今ここは、世界で一番安全な場所ですから」
「し、師匠がそこまで言うって、相当ですね……?」
帰ってきた笑顔の明るさに比べれば、ツェレンの表情はどうにも戸惑いが抜けない。
それでも、見慣れた、そして懐かしいレティの顔が見えれば、花がほころぶような笑顔を見せるのだが。
「ああ、イグレット様、お久しぶりでございます。お元気そうで……そして、とてもお綺麗です」
「え、えっと、その……あ、ありが、とう……?」
じぃ、と見つめられ、次の瞬間には熱っぽいため息を零しながらの賞賛を受けて、思わずたじたじとなるレティ。
それでも、こちらへと歩いてくるツェレンを見れば、どこか嬉しそうに目を細める。
「ツェレン様も元気そうで何より。それに、しっかり訓練してるみたい。歩き方が、綺麗になった」
「え、そ、そうですか? そう言っていただけると嬉しいですし、頑張ってはいますけれども、師匠からはまだまだと……」
唐突な褒め言葉に、照れてはにかむツェレン。
それを聞いていたドミニクが、珍しくばつの悪そうな顔をした。
「あ~、イグレット、ばらすんじゃないよ、全く。
人が折角、まだまだって言って煽ってたのにさぁ」
ポリポリと頭を掻くドミニクに、ツェレンは呆気に取られて口をぽかんと開け、レティは『やっぱりか』と言わんばかりのジト目を見せる。
と、そこにさらに、大柄な男性が入ってきた。
「おうおう、なんか盛り上がってんなぁ。いいねぇ、特別な日って感じでよ。
おっ、イグレット、元から別嬪さんだが、今日は一際別嬪じゃねぇか!」
随分と気安く声を掛けてくるが、一国の王である。今は全くそんな空気を纏っていないが。
「バトバヤル陛下までそんなことを……」
どう返したらいいのかわからないレティは、困ったように視線を泳がせる。
決して、不快では無い。しかし、どう反応したらいいのかわからない。
そんなレティの気持ちを察したのか、リタが耳に口を寄せて、囁く。
「そういう時はね、笑顔で『ありがとう』って言えばいいのさ」
「え……なんだか、こう……言いにくいのだけれど」
それが、照れくさいという感情であることは、なんとなくわかる。
認めるのも受け入れるのも、それこそ照れくさいのだが。
それでも。
きっと、そう返せば喜んでもらえるのだろう、ということだけはわかった。
だからレティは、自分の内側から沸き起こってくる感情を笑顔に換えて、答えた。
「……ツェレン様、バトバヤル陛下、ありがとう。
師匠も、ボブじいさんも、トーマスも、リタも、来てくれてありがとう」
途端、あれだけ騒がしかった空気が、一瞬にして収まった。
おや? とレティが小首を傾げたのが合図だったかのように、ボブじいさんはまた滂沱と涙を流し、トーマスすら何かを堪えるかのように天井を見上げる。
ツェレンは頬を染めながら呆けたようにレティを見つめ、バトバヤルやドミニクは感慨深げにうんうんと何度も頷いた。
その空気に、また困ってしまったレティは、縋るような目をリタへと向ける。
「ねえリタ。これ、どうすればいいの……?」
「ん~……いやぁまいったねぇ。あたしももう、わかんないや」
同じく困ったような笑みを見せながら、リタはそっと目尻を拭った。




