雪山の一夜
そして、宿場町で一泊して、翌日。
「エリー、手を。そこの岩に足をかけて」
「は、はいっ」
先に上へと登っていたレティが手を差し伸べ、エリーが言われるままに手を握り、足を使い、岩の多い山道を登っていた。
朝方宿場町を出てから街道をある程度進んだ二人は、昼前に森に差し掛かったところで馬を返している。
無事にバランディア王都まで帰り着いてくれるだろうか、としばらくは心配していたが、とっくにエリーは心配する余裕もなくなっていた。
「ここを使っていた密偵は、相当に身のこなしが軽かったみたいだね」
「そ、そう、みたい、ですね……」
その険しい山道を苦も無く進むレティに、疲労の色が濃いエリーが息を切らせながら返事をする。
エリーとて幾度も従軍経験があり、強行偵察を含む徒歩行軍にも慣れているのだが、これはいかんせん勝手が違った。
ある程度見つかるリスクを計算に入れての強行偵察では、ここまでの山道は使っていない。
それよりも、速さが優先されるケースばかりだったからだ。
だが、今使っているのは、バランディアの密偵がかつて使っていたという侵入ルート。
見つからないためならば何でもする。そう言っているかのようなルートだったのだから。
おまけにここは山国、冬ともなれば、雪も相当量降ってくるのだから。
「こんな、人間が通ることを拒否してるような道……よく進もうと思いましたよね、その人……」
「え、そこまで言うほどじゃないと思うのだけれど……」
「あ、うん、そうですよね、レティさんにはそうですよね……」
さくさくと進み、なんなら小剣で下草や小枝を払ってルートを確保しているレティの姿に、エリーは遠い目になる。
恐らくレティ一人であれば払う必要もないであろうこと、ほぼほぼエリーのためにしてくれているだろうことは理解していた。
もちろん、それに対して感謝はしている。レティ一人で進むよりも遙かに労力が必要であるし、それを厭わずにサポートしてくれていることもわかっている。
だが、あまりに軽やかに、普通の道を歩くのと大差ないような顔でいられると、不条理ながら理不尽なものを感じてしまうのも事実だった。
「うう……なんでレティさんはそんなに軽々と動けるんですかぁ……」
「え……訓練?」
「こ、ここでもやっぱり訓練なんですね……私も、色々落ち着いたら訓練しようかなぁ」
ぼやきながら、エリーはよいしょ、と段差を越えてレティの待つ方へとゆっくり歩みを進める。
魔術で強化されているとはいえ、エリーのベースはフレッシュゴーレム、タンパク質系素材で構成されたものだ。
人間のように軽量で柔軟である反面、アイアンゴーレムのような無茶なパワーも出せない身体でもある。
それに不都合を感じたことは、今の今まではなかった。
今ばかりは、もう少し出力が欲しいとも思うが。
あるいは、人間の筋肉にも似た素材で構成されている以上、訓練で能力が向上することもあるのだろうか。
自身のデータベースにその情報はないが、それは誰も試したことがないからだ、というのはなんとなくわかる。
エリーのような兵器は、均質であることを求められた。
良かろうが悪かろうが、想定される性能よりもブレていては作戦の構想段階で誤差が生じてしまい、結果にも悪影響があるからだ。
だが、こうして個人として行動する以上は、ブレなど関係ない。
むしろ、今後のことを考えれば、個体性能は良いにこしたことはないだろう。
と、エリーは思っていたのだが。それを聞いたレティは、どうにも複雑な表情だった。
「あれ、レティさんどうかしましたか?」
「いや、その……エリーがやりたいというなら止めないけれども。
落ち着いた後だったら、それより絵の練習をして欲しいな、って」
気付いて問いかけたエリーに、しばし言い淀んだレティは歯切れ悪く答える。
聞こえた答えに、エリーはしばし目をぱしぱしと瞬かせて……それから、ぱぁっと明るい笑顔になった。
そして、今まで苦労していた山道もなんのその、たっと駆け出してレティに飛びつく。
「んもう、レティさんってば!
そんなに気が利いて優しいだなんて、さすが私の旦那様!」
「あ、ちょっ、エリーってば、急に何? 何で急に元気になってるの?」
尻尾があれば全力で振っていそうなエリーの様子に、面食らったような顔でレティは応じる。
動揺はしているが、それでもしっかりと受け止める辺り、さすがと言えばさすがなのだろう。
そんなレティの動揺にも気付かないくらい、エリーは上機嫌に笑っていた。
「うふふ、だって、だってレティさんが、そんなに私のこと考えてくれてるんですもの、元気出ないわけがないじゃないですか!」
「え、そんな当たり前のことで喜ばれても……?」
「そういうところなんですよ、レティさん!」
喜ばれているのか叱られているのか、よくわからない、とレティは首を傾げてしまうけれども。
少なくともエリーが上機嫌であることだけは間違いないようだったから、何も言わないでいた。
そして、当のエリーはさっきまでの疲労感など微塵も感じさせない力強い表情でレティに笑いかける。
「行きましょう、レティさん。私達の未来のために!」
「え、あ、うん。それは、もちろんそうなのだけれど」
押されっぱなしのレティが、それでもうんと頷いて見せ、また山道を進み始める。
ここから先は、多少はましになっていくはず。であれば、変にああこう言うよりもそのまま進むほうがいいだろう、と考えてのことだった。
もっとも。
「レ、レティさんごめんなさい、少し、少し休憩を……」
「あ、うん、大丈夫、問題無い」
精神が肉体を凌駕している時間はそんなに長くは続かず、途中でまた疲労困憊になったエリーを気遣うレティの姿が見られることになるのだが。
そして、山道と格闘すること数時間。
「あ……この洞穴が、言ってたやつかな? ここで休憩していこう」
「は、はいぃぃ……やっと、やっと休めるぅぅ……」
山道を下った先にあった洞穴をレティが目ざとく見つけ、そこにふらふらのエリーとともに潜り込んだ。
外から見えないような位置に火が焚かれた跡があるのを見つけて、ここが件の密偵が使っていた洞穴なのだと確信すれば、レティも少しだけ気が緩んだ。
それから気を取り直して火を焚き、水を飲んで食料を食べて。
人心地ついた頃には、日も暮れ始めていた。
「今日は、このままここで夜を明かした方が良さそうだね」
「そうですね~……本当は、夜陰に乗じて、の方がいいんでしょうけど」
「その方が良いのは確かだけど……私も、見知らぬ土地の夜道は、ちょっと遠慮したい」
「ですよね~……」
互いにそんなことを言い合いながら、焚き火の前で互いに身体を寄せ合う。
炎に照らされた身体も、触れあう肩も、それぞれに暖かい。
いや、もしかしたら触れあう身体の方がよほど? そんな愚にも付かないことを考えてしまう。
「……レティさん、雪山で遭難したら、裸で暖めあうのが良いらしいですよ?」
「それは私も聞いたことがあるけれど、今は遭難まではしてないよね?」
冗談なのか本気なのかわからない口調のエリーに、レティは苦笑して返す。
流石に、敵地の、しかも洞穴で事に及ぶつもりは毛頭無い。
エリーもそれはよくわかっているのか、今日ばかりはあっさりと引いた。
「いよいよ明日、か……」
ぽつり、そうつぶやく。
地図によれば、ここからアマーティアの王都までは一日もあればつく距離。
ついたその日に仕掛けるか、下調べしてから仕掛けるか、それは現地を見てから、だが。
「いよいよ、ですね……」
支援も何もない敵地のど真ん中での、ほとんど情報もない『魔王』と目される相手との戦い。
流石に二人も、緊張の色は隠せなかった。
「……情報がない中で迷っても仕方ない。まずはしっかり体を休めよう」
「それもそうですね、どうしたって答えは出ませんし」
頷きあうと、二人は互いのぬくもりに縋るようにしながら、目を閉じる。
これが最後になるかも知れないという懸念と、最後にするものかという決意を胸に秘めながら。
人は人に備え、軍は軍に備える。
見えている物はその大きさに比例し、往々にして足下が留守になる。
まして忍び込むのが見えぬ蟻であれば、肌を噛まれたことにも気付かない。
次回:蟻の入る隙間
気付かぬその顎には、一滴の毒がある。




