盾なる剣
バタバタと、複数の足音が、ガシュナート王城の廊下に響く。
先を急ぐのは、黒髪に褐色の肌をしたエキゾチックな美女、ナディアだ。
「状況はどうですか?」
「はっ、こちらへと進軍してきた敵に対してジェニーが先制攻撃、しかし散開していたため、効果はやや軽微。
そのまま王都を包囲しようとしていますが、城壁からの射撃が効果的に行われており、危機的な状況ではございません」
「そうですか、ありがとうございます」
答える近衛騎士に対して礼を言いながらも、ナディアは足を止めない。
この彼が信用できない、などということは毛頭無い。
無いが、自身の目で見なければどうにも安心できないのも正直なところ。
そのため、今は王城で最も高い物見の塔へと向かっているのだった。
戦場そのものにはある程度慣れている。
しかし、自身が責任者となっての戦は初めてのことだ。
となれば、正体のわからぬ焦燥も不安もあろうというもの。
せめてそれを何とかしようと、少しでも早く一目みようと、彼女は急いていた。
そこへ、力の抜けた声が不意に聞こえてきた。
「まあまあ殿下、そんなに慌てたって何も変わりゃしませんって。
それよかね、ちょっと図太いくらいにでーんとしてた方が、下もやりやすいってもんです」
「ちょ、ちょっとお師匠様、もう少し言い方というものがですね!?」
次いで聞こえる、慌てて窘める声。
普段より緊張した顔のツェレンが、ドミニクの袖を引っ張っている。
今回のガシュナート防衛戦、先日同盟が成立したコルドールからも援軍が派遣されていた。
バトバヤル自らが兵を率いてくる気満々だったのだが、同盟したての長年の仇敵相手にそれはいかがなものか、と家族家臣総出で止めた、という経緯があったりする。
そのため、大将としては次男のゾリグが。
そしてナディアと同じ年頃の同性、ということでツェレンが監査として派遣されていた。
もちろんツェレンにそんな気はさらさらないが、ナディアに対する監視、として見ている者は少なからずいる。
覚悟はしていたし、向けられるその視線に怯むことはないが、流石にいささか身構えはしてしまうのも仕方あるまい。
そんなツェレンの気苦労は、隣の師匠には全く関係ないようだったが。
「何言ってるんですか、ツェレン様。
慌てる必要もないが無駄も無い方がいいって時には、ちょいとくらい不躾なくらいが丁度いいんですよ」
「り、理屈はわかるのですが、もう少しこう、配慮と言いますかですね?」
ここはコルドールではないのだから、と言いそうになり言葉を飲み込んだ。
ガシュナート人の心が狭いとでも言いたいのか、と言われることは無いだろうが、そう思われる可能性はある。
この場にいるのはガシュナートの近衛騎士とコルドールの近衛騎士。
共に武技の類いだけでなく教養も修めているのだ、色々と頭が回る者ばかり。
当然、言葉の裏を読める者もいるだろうし、無い裏まで見えてしまう者もいるだろう。
だからツェレンなどはヒヤヒヤし通しなのだが、ドミニクはまるで気にした風がない。
「大丈夫ですよ、ツェレン様。ドミニク様のおっしゃること、もっともなことばかり。
私も、少し焦りがあったようです」
まして言われたナディアがこれなのだから、ドミニクが自重するはずもなかった。
「は、はぁ……そう、ですか……いえ、ナディア様がそうおっしゃるのでしたら、私はいいのですが……」
だが他の人達はどうだろう、とちらちら、騎士達の表情を伺う。
しかし、ツェレンの危惧をよそに、ガシュナートの騎士達は気分を害した様子がない。
おや? と不思議そうにちらちら様子を見ていたツェレンに、ドミニクが笑いかけた。
「大丈夫ですってツェレン様。
悠長に腹の底探って居られる連中と違ってね、戦場に出る覚悟のある奴は、そういうこたぁ気にしないもんですよ」
それはそれで、短慮と取られないか? と不安にもなるが、聞いていた騎士達は皆愉快そうに笑っている。
どうやら彼らにとってそれは、むしろ喜ばしい表現だったらしい。
「そういうものなのですね……やはり、そういった呼吸や空気は、まだまだ私にはわからないようです」
「修行初めて数ヶ月でわかられても困りますがね、あたしとしては。
どんな修羅場に放り込んでるんだって、バトバヤル陛下に大目玉食らっちまう」
「……父ならばむしろ、喜びそうですけどね~……」
そう言って遠い目になったツェレンを見て、ナディアが思わず吹き出した。
慌てて手で口元を隠しながら、申し訳なさそうに首を竦めた。
「も、申し訳ございません、お二人のやり取りがあまりに楽しそうで……」
「こ、こちらこそ申し訳ございません、その、お見苦しいところを」
「とんでもない、むしろ羨ましいくらいです。
でも……ドミニク様は、イグレット様のお師匠様でもあるのですよね?」
「あ~……ええ、はい、そう、ですけども」
似てませんね。似てないですよね。
そんな言葉を言い合いかけて、飲み込んだ、その時だった。
「おっと。ちょいと失礼」
不意に、ドミニクが前へ進み出た。
あまりに自然で、そのくせ誰も追いつけない速さの動きに、その場の全員が驚いて足を止めた。
「……ふむ。騎士の兄さん方、悪いがお二人の前で壁になっておくれ。
ツェレン様は剣を抱えて、頭と顔、心臓だけは守ること。いいね?」
言われて、疑問を挟むことなく騎士達が前に進み出て列を成し、ツェレンが慌てて腰に下げていた剣を胸元にかき抱いた。
何しろ、まだ歩き方が少し様になった程度。
変に剣を振り回すとかえって周囲が危ないと言い含められているし、自覚もある。
だからツェレンは、せめて致命的な部位への一撃目だけは防げるように、と言い含められていたし、異存もなかった。
「どうやら、妙なのが来なすったようだねぇ」
ぼやくように言いながら、さらに二歩、三歩。
そこで、足を止めた途端。
窓を突き破り、二体の人影が飛び込んできた。
人影だ。人ではない。
人間の形をしているが、その表面は昆虫を思わせる外骨格で覆われており、手の爪はナイフのように鋭く肥大している。
目、らしきものは昆虫の複眼のように大きく、こちらを、見ているのかどうかもわからない。
いや、確かに、こちらを見た。
正確には、ナディアを、見た。
その場に居る全員が、なぜかそのことを感じ取れた。
「殿下を、殿下をお守りしろっ!」
近衛騎士の隊長がそう叫ぶと、全員が緊張した面持ちで盾を構える。
あの化け物相手に、これが通じるだろうか。
冷や汗とともにそう思わずには居られない程に、目の前の存在は異質で、異様だった。
触れられるだけで吹き飛びかねない、そんな予感に襲われながらも、必死に踏みとどまり、ナディアの壁となる彼ら。
「ああ、そんじゃ頼むよ」
そこに、気楽そうな声が、また掛かった。
え? と浮かぶ疑問、それと共に、僅かにだけ抜ける力み。
気負いも何も無く、ドミニクがまた一歩踏み出したのが見えた。
「GYUAAAA!!」
人ならざる、ガラスをひっかくような悲鳴ともつかない叫びとともに。
その二体の姿が、消えた。
少なくとも、ナディアにもツェレンにも消えたように見えた。
次の瞬間。
ガランガラン、と金属質な音を立てて。
その二体が、転がった。騎士達の作った壁の、直前で。
「お~痛て。さすがにちょいとばかり硬かったねぇ」
そう言いながらドミニクが、いつの間にか抜き放っていた長剣を鞘に収め、右手をぷらぷらと振っている。
何が起こったのか、全く見えていなかったが、それだけで察することができたナディアが声を上げた。
「えっ、ま、まさか、今の魔物を、斬ったのですか!? 二体とも!?」
「うん? さすがのご明察、その通りですよ。
いやぁ、もうちょい柔らかかったら、お見苦しいところをお見せしなくて済んだんですが」
「どこがどうお見苦しいんですか!?」
あっけらかんと言うドミニクに、今度はツェレンが食ってかかった。
いや、食ってかかるというと、少し違うかも知れないが。
「あんな、目に見えないくらい速い魔物を、二体同時に? 連続で?
ともかく一瞬で切り倒すだなんて、人間業じゃないですよ!?」
「しかも、正確に二体とも、首を飛ばしてますね……」
ゴクリ、とナディアが唾を飲み込みながら呟くナディアの視線の先。
確かに、二体の魔物の首が、転がっていた。
もしもドミニクが首を飛ばしていなければ、勢いのままに騎士の一人二人は吹き飛んでいたかも知れない。
それだけの速さと膂力を感じさせる魔物だった。
「ま、さすがにあの一瞬で二体ともってなると、できる奴は限られてますがね。
速いだけなら案外なんとかなるもんですよ」
「普通はなんともできないと思うのですが……」
「いやいや、イグレットの奴でも、多分一体は何とかできましたって」
「イグレット様も普通の範疇ではないと思います! ていうかイグレット様でも一体だけなんですね!?」
そんな師弟の漫才を見ながら、ナディアはとある夜のことを思い出していた。
『多分私は、剣の腕なら世界で二番目だから』
彼女は、そう言っていた。
では一番は誰なのか? と思っていたのだが、どうやらその答えは目の前にいるらしい。
「なるほど、よく似てらっしゃいますね」
剣の腕や、その動きは。
そう思えば。どこか緊張が解けていくのを感じて、ツェレンはくすくすと抑えた笑い声を零した。
戦線は、それぞれがそれぞれの持ち場で力を尽くして維持される。
誰も欠けてはならぬ、とは慈悲の言葉ではない。
切れぬ糸を繋ぐための、冷たい言葉である。
次回:南部戦線異常なし
そして、祈りにも似た甘さの滲む言葉でもある。




