呉越同舟
「バランディア王都での神聖教会発足演説は上手くいったそうですよ」
ガシュナート王城前、見渡す限りの砂と、僅かばかりの緑。
灼熱、と言っていい強烈な日差しを浴びていながら、涼しげに彼、第三騎士団副団長がつぶやく。
「……さすがお姉ちゃん達。やってくれると思ってた」
隣に立つ小柄な少女、ジェニーが頷き、答える。
淡々とした口調の中でも、エリーに対する絶対の信頼のようなものが窺えて、彼は思わず笑みを見せた。
「そうですね、エリーさんもイグレットさんも実に素晴らしい腕をお持ちだ。
あの二人が健在であれば、仕損じるところが想像できないくらいですよ」
思い出すのは、コルドバ防衛戦。
ゲオルグと共に城壁の上から見ていた光景は、鮮烈の一言だった。
見る間に撃ち落とされていく敵、間隙を縫うようにして切り裂いていく黒い影。
一騎当千という言葉は、まさにあの二人のためにあるかのよう、と思ったのは、まだほんの二ヶ月ほど前だ。
だが、どこか懐かしむような言葉に、ジェニーは若干表情を曇らせた。
「二人が一緒のところは、一度しか見ていない、けれど。
……なんと言っていいのか」
何しろ、その時は敵同士だったのだから。
おまけに、結果として無事であったとは言え、そして自身の意思でなかったとは言え、コルドバをふき飛ばしかねない攻撃をしたのだから。
「はは、素直に『凄かった』で良いのですよ。
彼女達の働きは、それだけのものがありました」
対して副団長は、気にした様子も無くさらりと言ってのける。
それが演技ではないように見えるから、ジェニーはさらに困惑してしまうのだが。
「それは、確かに凄かったのだけど」
そこで一度言葉を切り、僅かに沈黙。
どれくらい考えていただろうか、しばらくして顔を上げ、副団長を見上げる。
「あの時、あそこにいたから思うのだけど。
……どうしてあなたたちは、私の直衛に付いてくれているの?」
ちらり、と周囲にも目をやれば、彼女の周囲を守るように騎士と歩兵が合わせて二千ばかり、周囲に展開していた。
ジェニーの言葉を予想していたのか、聞いた副団長はくすくすと抑えた笑みを零す。
「おや、これはおかしなことを。それが私達の任務だからですよ」
「それは、わかっているのだけれど。
それを、どうして受け入れられているのかな、って。
私は、ついこの間まで、あなた達の敵だったのに」
らしくなく饒舌な自分に、どうしてしまったのだろう、とも思うが。
それでも、どうして、と気になる気持ちの方が強く出てきてしまう。
だがこれもまた予想の範囲内だったのか、副団長は考える時間すらなく、答えを返した。
「こんな稼業に手を染めていれば、昨日の敵と手を組むことなどザラですからね。
大事なのは、目的が一致しているか。裏切る恐れがないか。その二点です。
あなたとナディア殿下は、その点に関して疑うところはありませんから」
返された言葉に、また沈黙が訪れる。
目的は、確かに一致している。
また、少なくともナディアが裏切ることなどはありえないし、ナディアが裏切らねばジェニーも同様だ。
「……確かに、あのゲオルグという人は裏切らない気がする。
イグレットにも、頼りになると言われたし」
「おやおや。
……ふふ、閣下にお伝えすれば喜ぶでしょうな、その評価は」
一瞬だけ驚いたように目を見開いた副団長だが、またいつもの穏やかな表情に戻る。
それでも、目元は先ほどよりも柔らかくなっているように見えるが。
「でも、あなたも不思議だけれど。副団長なのに、こんな最前線に出てくるなんて」
「簡単なことです。私がここに居なければ、閣下ご自身がここにおられたでしょうから。
あの方は、とかく自分の身体を張りたがる」
やれやれ、と困った風に首を振る副団長を、ジェニーは不思議そうに見ていた。
「……あまり困っているように見えないのだけど。むしろ、少し嬉しそう」
「おやおや。見抜かれてしまうとは、私もまだまだですな」
ジェニーの言葉に少し驚いた副団長は、すぐに隠すのをやめて笑みを見せる。
そんな彼を見ていたジェニーは、しばらくしてまた疑問を口にした。
「あなた自身の命より、彼が大切?」
「それは難しい問いですね。閣下が大切といえばそうですが、少し違います。
あの方がいなければ第三騎士団はまとまらない。
それは、ひいてはバランディアという国の存亡に関わりますからね」
答えながら、ちらり城壁の方を見やる。
遠くてよく見えないが、面白くなさそうな顔をしているであろうことは手に取るようにわかった。
「あの方は、何のためらいもなく部下のために体を張る。
だから下もついてくる、そんなところがあります。
まあ、だからこれ以上の出世も望めないでしょうが。
当然そんな性格ですからポカも少なくないですが、そこは私のような真面目だけが取り柄の人間が補えばいいだけのこと。
私の代わりはそれなりにいますが、閣下の代わりはそうはいない。そういうことです」
そこで一度言葉を切った副団長は、にこやかな顔で小柄なジェニーを見下ろした。
「あなたも、ナディア殿下のためにこうして前に出張ってきているでしょう?」
「……私は、そういうものだし」
少し言いよどむようなジェニーの言葉に、副団長は小さく首を振る。
「今のあなたは、命令だから従っている、それだけには見えませんがね」
「……それは、まあ……否定は、しないけれど」
ジェニーも、ちらりと王都を振り返った。
さすがにナディアは、城壁に出てきてはいない。恐らく奥の方で帰りを待っているはずだ。
それでも、ジェニーの心にはナディアの顔がはっきりと浮かんで見える。
「そういう、自分のため、以外の何かを持っている人は、そこも抑えておけばそうそう裏切らない。
だから私はあなたを守るために、ある程度のリスクを冒せるのです」
「なるほど。だからあなたも、そうそう裏切らない、と」
「ふふ、そうとっていただいて結構ですよ」
ジェニーに万が一があれば、一気に王城が危うくなる。
当然、城壁に居るゲオルグは退かないだろうし、後詰めの第三騎士団員も同様だ。
この男は、そんな危険を冒すような男ではない、とそう思う。
「なら、撃ち漏らしがあったらお願い」
「ええ、任せてください、そのためにここにいますから」
ジェニーの視界に、敵軍が見えた。
前回と規模の変わらぬ大軍、ただし、今回は大きく広がって展開してきている。
「さすがに、学習してきてるか……」
これだけ広がられては、ジェニー一人で全て落とすのは難しい。
敵も、そこはさすがに考えたようだ。
「……何、大丈夫です。あちらのあの配置、見覚えがあります。
対処の仕方もわかっていますから、あなたは敵が密集しているところを狙う、そのことだけを考えてください」
「了解した」
ジェニーがこくりと頷くのを見て、彼も頷き返す。
それから、少しだけ考えて。
「それから、後一つだけ。あなたのことは、ジェニーとお呼びしてもいいですか?」
「……構わない。あなたの名前は?」
「そういえば申してませんでしたね。クラウスと言います」
「そう」
彼、クラウスの名前を知った。固有名詞を知り、個体として区別できるようになった。
それだけだ。
それだけ、なのだが。
「では、クラウス。私の周囲は任せるね」
「わかりました。ジェニー、存分に」
先ほどよりも、彼の言葉が頼もしくなったのは何故だろう。
「変なの」
そう小さく呟いて。ジェニーは、眼前の敵を見据えた。
全てを切り裂く剣は、全てを防ぐ盾を貫くか。
言葉遊びのような思考を、現実が千々に切り裂いていく。
剣を剣でを切り裂けば、盾など要らぬのだと。
次回:盾なる剣
その鋭さ、防ぐ者無し。




