二人の夜
ひとしきり話し込み、気付けばあっという間に夕方。
それこそ冷えさせるわけにはいかない、と二人してマチルダを送っていき、帰りがけに食べ物なども買い込んで。
やっと二人で、家に落ち着いたといえば、落ち着いた。
「ほんとに、街中で買い物しても何も言われなかったね」
「むしろ『あたしはわかってるからね』とか応援されましたよ?」
テーブルに荷物を置いて座りながら、二人してそんなことを言い合う。
いわれの無い『神罰対象者』指定。
色々な意味で実感のないそれが、さらに実感をなくしてしまうような一日。
リオハルトがそんな嘘を吐くはずなど無いが、本当のことなのか、と疑わしくさえある。
「教会になんてほとんど行ったことないけれど……教会がここまで求心力を失っているとは知らなかった」
「でも、こないだの……その、師匠のお葬式の時とか考えても、ちゃんと機能はしてましたよね」
「そうなんだよね……ちゃんと宗教としての機能は果たしてる、と思う」
少しだけ、エリーの顔にもレティの顔にも陰りが入る。
あの経験は、暗く重い経験として、今も二人の心に重しのようにぶら下がっているのだから。
それでも、こうして話題にすることができるようになったのは、時間の成せる技なのだろうか。
互いにあの時に思いを馳せ、沈黙が落ちること、しばし。
不意に、レティが顔を上げた。
「……もしかして、教団本部の求心力とか指示する力が落ちてきている?」
「え、それなら説明はつきますけど……それって、ありえるんですか?」
「まあ……確かに、考えにくいのだけれど。
落ちていたら、そもそも南部からあんなに軍勢派遣できないだろうし」
「ですよねぇ」
そしてまた、二人して首を傾げる。
ガシュナートでも、コルドバ、クォーツと辿る道すがらでも、さしたる不自由は感じなかった。
実は道中一度襲われはしたが、苦も無く撃退できた程度の相手でしかない。
いや、本当はそれなりの腕を持つ刺客だったのだが、試合で無い、なんでもありの対人戦において、レティとエリーのコンビに勝てるものなどそうはいないというだけの話である。
当の本人達に、その自覚はさらさらないが。
「……あ、もしかして、南部諸国では相変わらずだけど、バランディアでは求心力が落ちている、とかはどうでしょう?」
「それは、ないわけではないけれど。
……いや、まって、確かにそれならあるかも」
思い出すのは、リオハルトの提示した今後の作戦。
その内の一つは荒唐無稽と言えるほどのものであり、成功すれば強烈だが、失敗の可能性も大きいものだった。
普通であれば。
「あのリオハルト陛下が、何の仕込みもなしにあんな作戦を打ち出すわけがない」
「言われてみれば、確かに……どんな仕込みかはわかりませんけど、事前に何か、教団本部と仲違いするような工作をしていても不思議じゃありません」
本人が聞いていれば「酷い言われようだなぁ」と爽やかに笑って流しそうなことを、二人きりだからとあけすけに。
……いや、本人が聞いていても問題は無いのかも知れないが。
ともあれ、彼の仕込みである可能性は十分にある。
「流石の陛下も、『神罰対象者』は予想外だったみたいだけど……結果として、その仕込みに助けられた形、だね」
「そうですね~、陛下様々です。
でも、そう考えると……つくづくあちらさんは、足下が見えてないみたいですよねぇ」
と、不思議そうにエリーは小首を傾げる。
いかに絶対的な権力があろうと、その手足となる下々が離れてしまっては裸の王様だ。
だからこそ王は、時に民に施し、あるいは監視の目を光らせる。
そう考えると、アマーティア教主国の動きはどうにも鈍い。あるいは、緩い。
「……リオハルト陛下が言ってた。彼らにとって結果は、動き出した時にはもう決まっているものだった、って。
だから、状況を確認して適宜修正していくっていうことが苦手なのかも知れない」
「なる、ほど……? それだけ『神託』って強力なんですね、本来は」
「うん、本来は。実際、南部諸国は完全に裏から支配されてるみたいだし」
「だけどバランディアにコルドール、ガシュナートは違う、と。
ふふ、それもこれもレティさんのおかげですね!」
うんうん、と頷いていたエリーの出した結論に、意表を突かれたレティは思わず目を瞬かせる。
自分の関わってきたことを考えれば、確かに否定もできないのだが。
「いや、私一人でしたことじゃないし……それに、エリーがいなかったらどうしようもなかったと思う」
「やだレティさんってば、おだてても何も出ませんよぅ♪」
なんて言葉と共にばしんばしんと肩を叩かれると、何か懐かしいものすら感じた。
なんだか、随分と前からエリーとこうして過ごしているような。
そんな錯覚に、思わず口元が緩んでしまう。
「何も出ない、という割に、手は出ちゃうんだ?」
「え~、これはほら、スキンシップってやつですよ、きっと」
そう言うと今度は、ちょんちょん、と戯れるように軽く突いてくる。
しばらく突かれるがままに任せていたレティだったが、不意に、はしっとエリーの手首を取った。
反応できない早さでのそれに、びっくりした顔で固まるエリー。
そんな表情を見てくすくすとレティは笑いながら、掴んだ手首や手の平へと指を這わせ、感触を確かめる。
「じゃあ、これもスキンシップ、だよね?」
「えっ、あ、はい、そう、ですね……?」
くすくすと笑うレティの、瞳の中に浮かぶ悪戯な何か。
それを目にしたエリーは、知らず頬がかすかに熱を帯びるのを感じた。
こくん、と思わず喉を鳴らしてしまって。
「……エリー、何か期待しちゃってる?」
「ふえっ!? い、いえ、別になにもっ!」
唐突なレティの問いかけに、思わず裏返った声を返してしまう。
期待していない、と言えば嘘になる。なる、が。
「そ、それにほら、ご飯作らないとですし!」
「ああ、確かにエリーのご飯も食べないとだね……」
「……も? ご飯も、なんですか?」
耳が捉えた言葉に、思わず問い返す。
それが招く結果を、薄々と予感していながらも。いや、予感しているからだろうか。
「うん、ご飯も。でも、どっちも食べても、いいよね?」
囁くように言いながら、掴んだままのエリーの手、その甲に唇を触れさせる。
期待していた通りの感覚に、思わず背筋をびくんと反応させてしまうエリー。
このまま流されてしまいたいと思う気持ちと、しかし先にご飯をと思う理性。
その狭間で揺れるエリーは、どんどん混乱の渦に飲み込まれていく。
「いい、ですけどぉ……ちゃ、ちゃんと順番を、守らないと……」
「ああ、それもそう、だね……じゃあ、ちょっとだけ、味見だけ、ね?」
味見だけ。そう言いながらレティは、指先へと数回、唇を落とした。
その度に、エリーの頬が朱に染まっていく。
「し、仕方ないですね、味見だけ、味見だけですからね?」
ついに、エリーが折れた。
そしてもちろん、味見だけで終わるわけがなかったし、エリーもわかってはいたのだが。
もう、それ以上抗うことはできなかった。
夜の闇に浮かぶ明かりは、時に心の、そして体の支えとなる。
絶やさぬように薪をくべ、その明かりを、ぬくもりを人は求める。
時にそれが、諍いの素となろうとも。
次回:反省と、それから
あるいは、絶やさぬと思う心こそが。




