帰るべき場所
ゲオルグとルドルフがガシュナート王都に到着したのと入れ替わるように、レティとエリーは北へと向かった。
ゆっくりと再会を喜び合う時間もないのは、状況が状況だけに致し方ない。
仕方ないが、どうにも後ろ髪を引かれる思いもある。
「二人とも、気をつけてね」
「ああ、もちろんだ。こんなところで死ねるかよ」
「私などは、いざとなればすぐに逃げ出せますから、大丈夫ですよ」
二人それぞれに、心配するレティへと笑って返してきた。
確かにルドルフはまだ、荷運びを担っているだけだから逃げ出すこともできなくはない。
けれど、ゲオルグはガシュナート王都に入ったバランディア軍の指揮を執ることになるのだ、逃げ出すことなどしようはずもない。
ジェニーがいて、これだけの戦力が集まっているのだから、そうそう負けることはあるまいが。
しかし、相手がどこまでの戦力を投入してくるかがわからない以上、油断もできない。
もし仮に、エルダードラゴンが大量投入でもされれば、いくらなんでも対処に困るところだ。
さすがに、エンシェントドラゴンなどはいるまいが……もし万が一そんな存在がいれば。
非常識な存在が相手だけに、決して安心などはできなかった。
それでも、いつまでも留まっているわけにもいかない。
むしろ、心配するのであれば、さっさと終わらせてしまった方がいいに決まっている。
「じゃあ、さっさと終わらせてくるね」
「お前が言うと、ほんとにそうなりそうだから怖ぇなぁ」
気負いも無く軽やかに言ってのけたレティに、ゲオルグは思わず笑いながら返したのだった。
そこから北上して、コルドバを過ぎ、クォーツへ。
流石に道中は馬も使い、できる限り急いで向かう。
その後は、会談を終えてバランディア王都へと戻ったリオハルトと合流し、打ち合わせをした後アマーティア教主国へと向かう段取りだ。
「……この湖も久しぶりだね」
「そうですね、まだ数ヶ月、というところですけど……随分久しぶりな気がします」
湖の畔に立つ二人は、念のためにと被ったマントのフード越しにそんな会話を交わす。
あの時。あの日々を過ごした時は、まだ秋だった。
今はすっかり冬の色となり、見慣れていたはずの湖は、昼の日差しを受けてなお、どこか色あせても見える。
遮る物の無い広い湖面を渡ってくる風は身を切るほど冷たく、二人は、思わず身震いなどしてしまった。
「なんだろうね、寒いのは別に慣れているはずなのに……妙に寒い」
「私でさえ身震いするんですから、多分気温のせいじゃないのかも知れませんね。
もう少しゆっくり見ていたいところですけど、先に家の方を確認してきましょう?」
「うん、そう、だね」
少しだけ歯切れ悪く、レティは答える。
歩き出して、一度だけ振り返った。
あの時、彼が声を掛けてきた場所を。
もう誰も声をかけてこない場所を。
少しだけ、息を吐き出して。
それから、かつて彼が暮らした家へと向かった。
「マチルダはちゃんと手入れしてくれてるみたいだね」
「ふふ、さすがマチルダさん、というところでしょうか」
かつてセルジュがアトリエとして使っていた家が見えてくると、二人してそんなことを言い合う。
少しだけ胸はまだ疼いてしまうけれど、それを誤魔化すように殊更明るく。
彼がいなくなったから買い取った家。
だから、彼がいないのは当たり前だ。
当たり前だけれど、それが、やはり。
この感情は、悲しいのか、寂しいのか、それとも他の何かなのか。
そんなことを自答しながら、レティはエリーとともに扉へと向かう。
と、その扉が、急に開いた。
「……え? ちょっと、イグレットちゃんにエリーちゃんじゃないか!
久しぶりだね、やっと戻ってこれたのかい!」
まさにそのマチルダが、家から出てきたところだった。
二人の顔を見た瞬間、驚きのようなものを浮かべるも、すぐに見慣れた笑顔を見せてくる。
なんとなく、その表情を見てほっとしてしまった。
「うん、久しぶり、マチルダ」
「お久しぶりです、マチルダさん!」
それぞれに挨拶を返せば、自然と笑みも浮かんでしまう。
なんとなく、帰ってきた、という実感があった。
「それにしても二人とも、随分予定より遅くなってたから心配したよ。
いや、無事で戻ってこれたんだから、いいってもんだけどさ。
ああ、あんまりここで話し込むのもなんだ、まずは入りなよ。
ってあたしの家じゃなくてあんた達の家なのに、変な物言いだね」
久しぶりに会えたせいか、よく回る口がさらに滑らかになってしまったようだ。
もちろん二人とて、遠慮するいわれも無い。
「そうだね、折角会えたんだから、色々話もしたいところだし」
「何より、お家の面倒を見ていただいてたお礼も言いたいですしね」
二人して頷けば、マチルダに誘われるまま、家の中へと入った。
足を踏み入れれば、鼻をくすぐる馴染んだ匂い。
そこに懐かしいとすら感じてしまうほどに、時間の経過も感じてしまう。
少しだけ違うところがあるとすれば。
「随分綺麗になってる……こまめに掃除してくれてたみたいだね」
「さすがに毎日ってわけにゃいかないがね、少なくとも週に一度は来てたよ」
「わあ……お家のこともあるのに、大変だったでしょう? ありがとうございます」
テーブルについて部屋の中を見渡したレティがそうつぶやく。
何でも無い事のように言うマチルダに、エリーが頭を下げた。
釣られるようにレティも頭を下げ、二人してのお礼にマチルダは照れくさそうに手を振る。
「よしとくれよ、ちゃんと手間賃ももらってる、仕事みたいなもんなんだからさ」
「でも、最初にお願いしてた期間より長くなってるし。
あ、そうだ、その分を払わないと」
「いやいや、そんなの構わやしないよ!」
そんなやり取りをすることしばし。
何とかマチルダに超過分の手間賃を受け取らせたレティは、満足そうな顔を見せた。
受け取らされたマチルダは苦笑していたが、ふと何かに気付いたような顔になる。
「そういや二人とも、遅くなったのはあれかい、コルドバの戦で足止めくらったのかい?」
マチルダの言葉に、二人は思わず顔を見合わせてしまった。
どうしたものか、と思案げな顔をしながら、目と目で会話することしばし。
「足止めを食らった、というか、巻き込まれにいったというか」
「……なんだいそりゃ。え、まさか戦に参加したってのかい!?」
「まあ、ちょっと、ですね。ほら、私達冒険者ですし」
もちろん、ちょっとどころではなかったのだが、流石にそれを説明するわけにもいかない。
マチルダからすれば、ちょっと参加した、というだけでも十分に大事なのだろうし。
「ちょっと、ってあんた達……ああ、もしかしてそこで何かあったのかい?
詳しく聞く気はないけど、イグレットちゃんが『神罰対象者』に指定されたとか聞いて、びっくりしたよ」
あっけらかんとした声に、レティは幾度か目を瞬かせる。
隣で聞いていたエリーも、思わず目を見開いていた。
「なんだい二人とも、そんな変な顔して」
「いやだって、びっくりした、って……それだけで済ませることにびっくりなのだけど」
「ええ、結構大事ですよね? 『神罰対象者』って」
口々に言う二人に、マチルダは軽く手を振りながら笑って見せた。
「だってねぇ、急にそんなこと言われても、だし、言いに来た人はともかく、街の神官様もやる気ないみたいだし。
そもそもイグレットちゃん、あんたがそんな大それたことするわけないじゃないか」
「あ~……まあ、そう、だね。心当たりはないし」
思わず目が泳ぎそうになるのを押さえ込み、ポーカーエフィスを決めこむレティ。
大それたこと、はいくつもしてきているが、それこそここで言うわけにもいかない。
どうにも微妙な反応をしそうなところへ、エリーが助け船を出してくれた。
「神官様も、やる気がないみたいなんですか?」
「そうなんだよねぇ、よくわかんないんだけど。まあ、神官様も手違いか何かって、わかってるんじゃないかね?
だから街の連中も『神罰対象者』を探せ~ってな雰囲気じゃ無いよ」
そもそも『神罰対象者』など、もう長い間出ていない。
その上、悪名高き者ならともかく、まるで聞いたことのない若い女性。
よほど信仰心に篤い者でなければ、言われるがままに狩りだそうとはしないだろう。
「だからね、あまり気にしないでここに住んでも大丈夫さ」
安心させようと笑いかけてきたマチルダに、あ、と今更ながらに気付く。
それから、申し訳なさそうにおずおずと、レティは口を開いた。
「あの、ごめん、マチルダ。実は、まだ色々落ち着いてなくて……ここには、一晩泊まるだけ」
「すみません、本当は私達もゆっくりしたいんですけど……」
口々に言う二人に、今度はマチルダが驚く番だった。
おやま、と口と目を開き、しかし、また笑顔に戻る。
「そうなのかい、それはちょっと残念だね……まあ仕方ないか。
そういや、ベッドもまだ一つしかないしね」
「……うん、まあ一晩なら大して問題無いし」
「そうですね~、野宿に比べたら全然問題ないですよ~」
「冒険者らしい言い草だねぇ」
と気楽に笑うマチルダ。
だが微妙にレティの視線は泳いでいるし、エリーは誤魔化すように少しだけ早口だった。
さすがに、別にベッドは一つで構わない、とまで言ってしまうのは気が引けるところ。
そんな二人の微妙な反応を気にした様子もなく、マチルダがふと何かを思い出した顔になる。
「あ、そうそう、出て行ってる間はまたここの面倒も見るけどさ、ちょっと前ほどは来られなくなるのは勘弁してくれないかね?」
「それはもちろん構わないけど……どうかしたの?」
問われて、マチルダははにかむように笑い……そっと、下腹部に手を当てた。
「それがね、どうも……授かったみたいなんだよね」
「え、それって、まさか」
「セルジュ師匠の!?」
「他に心当たりもないからねぇ……とんだ置き土産だよ、ほんと」
思わず声を上げるエリーに、呆れたような声音を作るマチルダ。
けれどその声にも表情にも、隠しきれない喜びが滲み出ている。
「わあ、おめでとうございます! そっかぁ、師匠のお子さんが……」
「おめでとう、なんていうか……上手く表現できないけれど」
「はは、二人ともありがとうね。
そういうわけだから、こっちも落ち着くまではあんまり来るわけにはいかなくてね」
「身体冷やしたらいけませんし、むしろしばらくお休みされてもいいくらいですよ~」
照れくさそうなマチルダに、エリーは首を横に振って見せる。
そんな二人を眺めていたレティは、うん、と何か決意したかのように頷いて。
「そうだね、できるだけ早く帰ってくるから……落ち着くまで、しばらく掃除とかはいいよ」
「そうかい? 気を遣わせちゃって悪いねぇ」
「何言ってるんですか、気を遣うに決まってます!」
「いやぁ、二人目ともなると、案外慣れちまうところもあってねぇ」
窘めるように言うエリーと、気楽そうに笑うマチルダ。
この光景を、失うわけにはいかないな、とレティは思う。
「本当に、早く終わらせないと、ね」
小さく小さく、自分にだけ聞こえるように、そう呟いた。
時に巻き込まれ、時に駆け抜ける日々に訪れた、空白のような一日。
他愛も無い語り、戯れのようなふれ合い。
あるいはそれ以外が夢であったかのような安らぎは、だからこそ儚い。
次回:二人の夜
それが、消え去らぬように。




