藪をつついて虎を出す
「旦那様、こちらが『老人』からの資料になります」
「ああ、ありがとう。……今回は随分な量になっているね」
ジュラスティン王国、タンデラム公爵邸の、公爵私室。
そこで書類仕事をしていた公爵のもとにリタがやってきて、資料を差し出した。
それを受け取った公爵は、渡された資料の束に僅かばかり目を見開く。
普段は手紙程度で収まる情報が多く、ここまでの量は記憶にない。
困惑したような顔をする公爵に、リタは苦笑を見せた。
「ええ、なんでもアマーティア教団の様々な不正とその物証も入っているとかで」
「なんだと?
危険だからと踏み込んでいなかったところに、敢えてかね。
確かにこちらとしても、渡りに船ではあるのだが……」
そう言いながら公爵は、手にした資料を数枚ぺらぺらとめくる。
目に飛び込んでくるのは、以前から疑惑を持っていた様々な不正行為の詳細な情報。
かゆいところに手が届くそれらの情報の量に、思わず乾いた笑いが出てきてしまう。
アマーティア教団の神官達は、大半は至極真っ当だ。
だが、上に行けば行くほどに、腐った存在が増えていく。
中には私腹を肥やし、王侯貴族もかくやと言わんばかりの贅を尽くしている者もいる。
さらに、そんな神官と癒着している貴族もいる始末。
「……渡りに船、どころではないな、これは。
色々と大掃除がはかどりそうだ」
資料をめくる手を止めずに、公爵は小さくため息を吐く。
その様子を見たリタは、不思議そうに小首を傾げた。
「旦那様、あまり気が進まないようですね?」
「まあね。彼らを排除するということは、文官や武官を排除することでもある。
ということは彼らが担っていた仕事に滞りが生じ、そのしわ寄せが最終的に来る先は、大体私だ」
「ああ、なるほど、それは……お察しいたします」
リタの普段の仕事は令嬢のお付きであるため直接的には知らないが、公爵の多忙さはそれでも窺い知ることができる。
それがこれ以上、となれば憂鬱にもなろうというものだ。
「ですが、大掃除はなさる、と」
「ああ、それは仕方あるまい。
別に私はね、私腹を肥やすなと言うつもりはないんだ。例えそれが神官であろうとも。
だが、それはあくまでも法の範囲内、定められた規則の中でなら、の話だ」
「なるほど……今回の件は、それを逸脱していた、と」
リタの相づちに、公爵は重々しく頷いた。
「それも、大幅にね。
不正を許せば国の制度そのものに緩みが生じ、いずれは崩壊へと繋がる。
さらに、限りある税を無駄遣いすることにもなる。
今回はそれに加えて、限りある人民も無駄遣いしている、ときた。
これは流石に見過ごせんよ」
苦々しく呟く公爵の言葉に、リタは驚きで軽く目を見開いた。
しかしすぐにいつもの表情へと戻り、落ち着いた声で問い返す。
「ということはまさか……人身売買の類いも?」
「流石、鋭いな。我々も手をこまねいていた案件を、どうやって調べたものか……。
確かに盲点だったよ。目を向けていなかったのも事実だ。
まさか教団が流通の手引きをしていたとはね。それも、巡礼手形まで使って」
「そんなものまで使っていたのですか?
随分と安くなったものですね、巡礼手形も」
巡礼手形。
アマーティア教団が発行する通行手形で、巡礼者として認定された者のみが手にすることができる、はずのものだ。
その効力は強く、それを見せればほとんどの関所は検査も無しに通ることができるほどのもの。
それが、今回悪用されていたのだ。さすがにリタも公爵も呆れた顔を隠せない。
「全くだ。
だが、おかげでこちらも踏ん切りがついたよ、例の件に関して」
「例の件……バランディアから打診のあったあれですか」
「ああ、流石にことが大きすぎて躊躇いもあったが……ここに至っては仕方あるまい。
彼らは少々やりすぎた。そして、それはいずれ、この国を揺るがすどころではなくなるのは明白だからね」
バランディアとガシュナートの軍事衝突に、教団が噛んでいた。
そんな情報を、なぜか既に『老人』は掴み、公爵に提供している。
恐らくそれが氷山の一角に過ぎないだろうことは、言われるまでもない。
「となると、これから随分忙しくなりますね」
「全くだよ。『老人』にもまた力を借りねばなるまい」
「あ~……そのことなんですが……」
公爵の言葉に、リタが言い淀む。
珍しく歯切れの悪い様子に、公爵は怪訝な顔になった。
「どうしたのかね。まさか『老人』に何かあったのかい?」
「いやぁ、あった、というか、『老人』の身内にあったというか、なんというか……。
『老人』から一つ伝言を預かっていまして。『しばらく休業する』と」
「……なんだと?」
思わぬ言葉に、公爵はそれしか返すことができず、絶句する。
彼が休業するなど、長い付き合いの中でも初めてのこと。
それに対する驚きもあるが、この急激に事態が進行する中で彼からの情報が得られなくなることはどうにも痛い。
もちろん公爵とて様々な情報源は持っている。
持ってはいるが、しかし、一番早く、かつ一番信用できる情報源をこの状況で失ってしまうのは避けたいことでもあった。
「どういうことだね、彼が休業など、聞いたことがないのだが」
「それが、ですねぇ……彼の『孫娘』が『神罰対象者』に指定されてしまいまして。
『わしの身内を的にかけるなんざ、良い度胸だ』と鼻息荒くしてましたから……多分、教団に喧嘩を売るつもりなのではないかと」
乾いた笑い声と共にリタがこぼすと、聞いていた公爵は沈黙した。
リタの空しい笑い声が響くことしばし。
ゆっくりと、公爵が口を開く。
「……彼が、そう言ったのかね?」
「ええ、確かにそう言いました」
「そうか……」
呟くように言うと、公爵は椅子の背もたれに身体を預け、しばし天井を見つめる。
やがて、小さく首を振り。
「教団も、知らなかったとはいえ、踏んではならん虎の尾を踏んでしまったようだな」
その言葉に、隣で静かに付き従っていた家令のロバートは和やかに頷いて見せた。
「左様でございますな。久しぶりに、暴れる『魔獣狩り』が見られるやも知れません」
「じいさんそんな二つ名あったんですか!?」
昔を懐かしむようなしみじみとした声音で、物騒なことを平気な顔で告げるロバート。
リタは思わず、素に近い声で突っ込みを入れてしまった。
そんなリタを二人は愉快そうに見やり。
「なんだ、知らなかったのかね。彼は昔、武闘派として随分名を売っていたのだが」
「いや、普通に初耳ですよ!? いえ、強いのは知ってましたけど!」
「まあ、そこで自分の名をひけらかさないのも彼の良いところではありませんか」
「むしろ教えておいて欲しかったですよ、そんな物騒な二つ名!」
楽しげな主従と、若干切れ気味に突っ込むリタ。
普段と違うやり取りになってしまったのは、『老人』の人徳のなせることなのか、あるいは二人の意地の悪さなのか。
ともあれ、しばしそんなやり取りをした後、空気を引き締め直すかのように公爵が一つ手を打った。
「彼の事情はわかったとして、では今後は彼からの情報抜きで動かねばならん、ということだな」
「あ、それに関しまして、代わりの情報屋を数人紹介されています。こちらにリストが」
「……さすが、抜かりがないな……では彼らを活用しながら、事に当たるとするか」
公爵の言葉に、ロバートとリタも頷く。
『老人』が自身の戦いへと赴いたように、彼らもまた、自身の戦場で戦わねばならぬ。
いずれの戦場であっても、過酷さだけは変わるまい。
と、話が一段落付いたところで、公爵が何かに気がついたようにリタへと視線を向けた。
「ところでリタくん。ここでの話を、まさかアイリスに漏らしなどしていないだろうね?」
「え、嫌ですね、そんなことしたら、お嬢様がどこに飛び出すかわからないじゃないですか」
「そうだね、君はそこのところをよくわかっているよね」
そして二人は乾いた笑い声を響かせる。
その中でロバートは一人、楽しげな笑みを浮かべているのだった。
動乱の日々に訪れた、わずかばかりの平穏。
今この時だけは、と噛み締める。
ぬくもりを。やすらぎを。あるいは絆を。
それが嵐の前の静けさだとわかっていても。
次回:つかの間の、つかぬこと
あるいは脆く儚いものだとしても。




