牙を剝く悪意
そして翌朝、手紙をエリーに託したレティはコルドバへと帰還していた。
知らせを待ちわびていたナディアはもちろんのこと、リオハルトにバトバヤルも朝早くから顔を揃えている。
善は急げと報告すれば、それを聞いたナディアはほっと胸をなで下ろした。
「良かった、被害は出なかったのですね……ジェニー、よく頑張ってくれました」
遙か遠くにいるジェニーへと思いを馳せながら、ナディアは呟く。
そんなナディアをそっとしておきながら、リオハルトはレティへと質問を向けた。
「ご苦労様、イグレット。
ジェニーというのが、例のマナ・ドールかい?」
「その通り。色々あって、今はエリーに懐いてる」
「……なるほど、それは流石というべきなんだろうね」
愛想が良く話術に長けて機微もよく読む、とエリーのことを評価しているリオハルトからすれば、納得もする。
それが、コルドバへと砲火を向けた相手をも、となると複雑なものもあるが。
複雑な気持ちを笑顔で飲み込んで、リオハルトは頷いて見せた。
「流石だよね、エリー。
将軍達にも顔を繋げたみたいだし、手紙も難なく渡してもらえた」
「……もしかして彼女には、外交官の素質があるのかな」
「さあ、それはわからないけれど。外交で雇う時には依頼料出してね」
「それはもちろん。払うべきところには払わないとね」
冗談めかして言うレティへと、同じく笑って返すリオハルト。
同じく笑っていたバトバヤルが、不意に表情を改めた。
「しっかし、南部連合軍ってのは気に入らねぇな。
何やら南部で変な動きがあってるってのは把握してたが、ここまで足並み揃えてくるのも気味が悪い」
「アマーティア教団の旗を掲げていたらしいですし、教団が背後にいると考えて間違いはないでしょう。
教団が何を考えているかは、しかとはわかりませんが」
「あまり愉快なことじゃねぇ、ってのは確かだな」
「……何なら、御伽話のように世界征服を企んでいるかも知れませんね」
くすりと笑いながら発せられたリオハルトの言葉に、バトバヤルは沈黙し、値踏みするように一瞬目を細めた。
考えること、しばし。
やがて口を開いて。
「リオハルト殿、何を、どこまで掴んでいる?」
「さて、どこまで話したものか……まだ確証を得ていない、疑念の段階なのですが」
「それでも十分だってのはわかってるだろうに」
呆れたようなバトバヤルに、リオハルトは肩を竦めて見せる。
もったいをつけているようでもあり、慎重を期するようでもあり。
だからバトバヤルも、急かさずに次の言葉を待つ。
「まず、アマーティア教主国は現在、魔族がかなり上層部まで食い込んでいる可能性が高い。
これは、お二方ともご納得いただけるかと思います」
「ああ、改めて言われると何だが、確かにその疑念は抱いてる」
「私はもはや確信、と言ってもいいですね……魔獣の提供など、そうでなければできません」
リオハルトの言葉に、二人はそれぞれに反応を返した。
今更、アマーティア教主国が魔族と無関係、などと誰も信じることはないだろう。
ある意味今更な情報を踏まえて、リオハルトはさらに一歩踏み込んだことを言う。
「その大元締めが、教主国の国王だとしたら?」
「……連中のやってきたことを考えれば、不思議でもない。
が、まさか、とも思うな」
「確かに、国王であればあれだけことも為せるでしょうが……。
しかし、教主国の国王はつまり、教皇様ですよね?
魔王を封じた血筋の人間が、なぜ魔族と手を?
魔族も、なぜ憎き敵であるはずの教皇と?」
ここまでは二人も考えたことはあったらしい。
巡礼手形、南部諸国への強制力。
いかなアマーティア教団と言えど、幹部程度の指示命令で為せるものではない。
となれば、と行きつくのは当然だった。
だが、魔族が教皇に従うはずがない。かつて『魔王』を封じたのは、まさにその教皇だったのだから。
「ええ、教皇と魔族が手を結ぶはずがない。
ですが、もし教皇が別の存在になっていたとしたら」
「まさか、入れ替わってるってのか?
だが、それもおかしかろう。教皇の『神託』が失われたなんて話は聞いてねぇぞ。
人格はともかく、あればっかりは、入れ替わった奴の演技ではどうにもならんはずだ」
『神託』と呼ばれる異能。未来に起こることを予知する能力。
各国の王族に稀に見られることがあり、現在の教皇にして教主国国王アウグスト・セギュール・モントーヤもその力を持っていることは知られている。
王が振るえば絶大な力を発揮する『神託』が失われた、となれば、その影響もまた大きい。
しかし、そんな話は聞いたことがない。
「……もしかして、魔族の『魔核』を取り込んだ?」
ぽつりとつぶやいたレティの言葉に、ナディアとバトバヤルはぎょっとした顔になり、リオハルトは笑みを深めた。
二人の顔を見比べたバトバヤルが、それでもまだ半信半疑な顔で問いかける。
「おい、まさか当たりなのか。しかも、その話の流れで言やぁ」
「ええ、恐らく彼は封印されていた『魔王』の核を取り込んだ。
動機はわかりませんが、起こっている事象に説明がつきますし、密偵の報告もそれを裏付けています」
「ただし、明確な証拠はない、か。
封印されていた場所においそれと忍び込めるわけもなし。
教皇の体を探るわけにもいかねぇし、と」
「そういうことです。よほどの偶然でもない限りは難しいでしょう。
しかし、状況としてはそう考えて動かざるをえない」
その言葉に、重い沈黙が落ちる。
ため息とともに口を開いたのは、バトバヤルだった。
「つまり、かつて封印するのに十万からの大軍を要した『魔王』を相手取らにゃならんってことか」
「今回に関しては、もしかしたらそんな大軍は要らないかも知れませんがね」
そう言いながら、リオハルトはレティへと視線を向けた。
それを受けて、レティは不思議そうに首をかしげる。
「……私?」
「うん、可能性があるとすれば、君とエリーだと考えている」
頷いて見せるリオハルトに、しかしレティは腑に落ちない顔だ。
伝説のような相手に、今の自分をなぜここまで自信満々に彼は推してくるのか、それがわからない。
そして、わからないことがもう一つ。
「あの、リオハルト様、一つよろしいでしょうか。
もし仮にそうだとして……あちらの打っている手がことごとく外れているのはなぜなのでしょう。
『神託』の力を持っている教皇……であれば、間違いなど犯さないのでは?」
言われてみればその通りである。確かに、とうなずいたバトバヤルとレティ。
そして、その言葉を予想していたかのように笑みを崩さないリオハルト。
「まさにそこが、私がイグレットに託したいと考える根拠なのです。
ただ、ここから先の話は、私の一存ではできません」
一度言葉を切ったリオハルトが、レティへと向き直る。
「説明するためには、君の力について説明しないといけないのだけれど、どうだろう」
「……ええと」
問われて、口ごもった。
話した方がいい、とは思っている。しかし、まだ心の準備ができていない。
そんなレティの心情を察したのか、リオハルトは小さく頷いた。
「急な話だし、少し考えてもらってもいいかな?」
「……わかった、ちょっと頭の整理をつけさせてもらったら」
そこで一度話が終わり、気が付けば昼時。
昼食の時間ということで一度解散となった。
そして、その日の昼一番、リオハルトの下へ一人の神官が訪ねて来た。
アマーティア教団の高位神官の証を身に着けた彼の謁見要求を、断ることは難しい。
教団の威光が十分である時ならば、断るということは教団の、ひいては信徒の不満を煽ることになるからだ。
教皇に対する疑念が深まっているところではあるが、まだそのことは対外的には発表していない。
そのためリオハルトは謁見を受け入れた。
受け入れたことを、結果として良かったとリオハルトは判断した。
謁見した神官は、リオハルトにこう告げたのだ。
「イグレットなる女が『神罰対象者』に指定されました。即刻ひっ捕らえ、教団へと差し出すように」
と。
自覚のない悪意は周囲をいたずらに傷つける。
そして自覚のなさ故に理を失い、その言葉は空しく踊る。
踊った末に訪れるものを知ることも無く。
次回:舌戦と舌禍
引き金を引いたのは、さてどちらか。




