動乱の隙間に
「なるほど、それで急に『跳んで』来たんですね」
レティの説明に、エリーはなるほど、と頷いた。
ナディアが立ち直ってから、その後の対応について協議などしている内に、時刻は既に夜。
ガシュナートに残る人々へ向けたナディアからの手紙を預かって、レティはガシュナート王都へと『跳んで』来ていた。
「うん、そういうこと。
さっきも確認したけれど、ジェニーは今、寝てるんだよね?」
「ええ、随分前に休眠状態に入ったのは確認しています。
少なくとも見られてはいないですし、ここなら気付かれることはないかと」
レティの問いに答えながら、エリーは周囲を見回す。
ここは、ナディアの私室、から通じている隠し部屋。
以前、一度泊めてもらったことのある部屋だ。
そこに備え付けられたベッドに二人並んで腰掛けながら、現状の確認をしているところ。
レティはナディア達に、手紙のやり取りには一晩か二晩かかる、と告げている。
もちろん本来はもっと早く終わるのだが、まだ全てを明かすかどうか迷っているところで例えばジェニーに見られるのも都合が良くない。
幸い、ジェニーは夜になると基本的に休眠状態になると聞いていた上に、対策会議が夜に及んだため、手紙を届けに来たときにジェニーに見られることはなかった。
「そう、良かった。
ジェニーにばれたら、その後のこともまた考えないといけないし……」
「そうですねぇ、あまり大っぴらに話したい能力ではないですし……。
バトバヤル陛下とナディア様にだったら、教えても大丈夫そうな気はしますけど、ね」
「それは、私も思ってる。
これからも、私のこの力は使わないといけない場面が来そうな気がするし……そこで、何度も誤魔化せる相手ではないとも思うし」
そこまで口にして、ふと黙り込む。
しばしの沈黙の後に、エリーへと視線を向けて。
「こうやって話さないでいると、騙してるようで申し訳ないような気もする。
向こうも、そう思わないかな」
「難しいところですね……あのお二人なら、話さなかった理由を察してくれそうな気はしますけど」
「そうなんだよね。でも、察してくれる人だから、話さなくてもいずれ気付かれる気もするし……。
……ごめんねエリー、久しぶりに会えたのに、こんな話ばかりして」
レティが頭を下げて謝ると、エリーは小さく首を横に振り、レティの手に自分の手を重ねた。
「大丈夫です、気にしないでください。
むしろ、そういう大事な話を私に相談してくれたことは、信頼感を感じて嬉しいくらいです」
微笑んでみせたエリーの顔をしばし見つめて。
ふ、とレティもまた、微笑みを返す。
「ありがとう。この話は、私達の今後にも影響が出そうだから、相談した方がいいかなって」
「……またそうやって、不意に嬉しいことを放り込んでくるんですから、レティさんは」
一瞬言葉に詰まり、ちょっと視線を逸らしながらエリーはぶつくさと小さく呟く。
当たり前のように、二人一緒の未来を考えてくれている。
そのことは今更だけれど、それでもやはり、嬉しい。
レティがその気になれば一人でどこにでも行けるだけに、尚更だ。
だが、当のレティ本人はきょとんと不思議そうな顔をしている。
「え、何か嬉しいこと、あった? 当たり前のことしか言ってないつもりなのだけど」
「うん、レティさん、それ以上言われると私の理性が限界を迎えますから、先にお仕事を終わらせちゃいましょう?」
「あ、うん」
何度か見たことがある今にも襲いかかってきそうな表情を見て、レティもこくりと頷いてみせる。
それはそれで、とも思うが、今は時間を気にしないといけないところだ。
「まずは、このナディア様からの手紙を、誰か上の人に渡したいのだけれど」
「あ、それなら大丈夫です。上級騎士の知り合いもいますし、複数の将軍にも顔を覚えてもらっていますから」
「流石と言うかなんと言うか……」
「出立前にナディア様が言い含めてくださっていた、というのもありますけどね」
エリーならある程度人脈を作っているだろうとは思っていたが、予想以上の状況にレティは苦笑を浮かべる。
もちろん、仕事が順調にいくのだから、歓迎すべきことではあるのだが。
「さすがに、手紙を渡すのは明日の朝になりますし、返事はお昼とかになってしまうかも知れませんけど」
「それは仕方ない、かな。
なら、数回に分けて情報を伝えるようにしようか。
取り急ぎ伝えるべきこと……城の損害や死傷者の数、敵の規模だとかを先に伝えるようにして、手紙の返事はまた後で」
「そうですね、それならナディア様も安心するでしょうし」
「……そういえば、城壁の被害とかまるでないみたいだったけど……エリーが迎撃したの?」
安心、と聞いてふと思い出す。
ナディアの部屋へと入る前に周囲を確認した時、王都は落ち着いた空気だった。
見れば、城壁は相変わらずその威容を誇っていたように思う。
そもそも、二度目の伝令が来たタイミングを考えれば、数時間で撃退できたことになるはずだ。
そんなレティの問いに、エリーは満面の笑顔で答える。
「はい、正確には、私とジェニーで撃退しました。
ジェニーったら凄いんですよ、やっぱり戦略級の火力は違いますねぇ」
にこにこと嬉しそうに答えるエリーをしばし見つめていたレティは、不思議そうな顔を見せた。
「なぜ、そんなにジェニーのことで嬉しそうに。もしかして、仲良くなった?」
「え、あ、流石レティさん、わかっちゃいます?
ちょっと色々あって……ふふ、ジェニーったら、私のことお姉ちゃんだなんて言うんですよ?」
急にテンションが上がったエリーを見て、問いかけたレティは呆気に取られ、ぱちくりと瞬きを数度。
いかにして二人が仲良くなったか、なんてことを語り出すエリーを、止めることもできず、眺め。
「なる、ほど……?
まあ、仲良くなるのは良いことだけれど……。ちょっと、びっくりした」
出立前の二人の様子、特にジェニーの様子を思い出すに、そんなことを言い出すとはとても思えなかった。
それから僅か一週間あまり、いや、時期を考えるに数日か。
そんな短期間でジェニーを懐かせたエリーは、流石、と言う言葉でも足りないところだろう。
「私もびっくりしましたけどね、ジェニーがあんなこと言い出すだなんて」
うんうんと頷くエリーを見ていたレティは、まぶしそうに目を細めた。
それに気付いたエリーが、不思議そうな顔でレティを見る。
「あれ、レティさん、どうかしましたか?」
問いかけに、少しだけ沈黙して。
それから、笑みを返した。
「ううん、エリーは凄いなって。私だけじゃなくジェニーもそうやって、懐かせるだなんて」
「え~、でも私、特別なことなんて何もしてないんですよ?
単にあの子が素直な良い子ってだけですよ」
「素直な良い子、にさせちゃう何かがあるんじゃないかな、エリーには」
からかうように言いながら、内心で納得もした。
ジェニーがエリーの言う通りに動いてくれたのなら、被害なしで撃退できても不思議ではないところだろう。
「ジェニーは、攻撃した後身体に異常とかはなかった?」
「ええ、大丈夫です。身体への負荷を抑える方法を教えましたから」
「流石エリー、抜かりないね」
「一撃で終わる保証もなかったですし、ね。
城の外で迎撃したので、こちらへの被害はなし、敵はほぼ全滅です」
「そういえば、敵は結局どこの国だったの?」
聞かれて、エリーは一瞬だけ口ごもった。
しかし、黙っているわけにもいかず、口を開く。
「それが……南部諸国の連合軍でした。それも、アマーティア教団の旗を先頭にして」
「……まって、それって、アマーティア教団の名の下に挙兵したっていうこと?」
「多分、そういうことなんじゃないかと……でも、先触れも宣戦布告もないから、憶測でしかないんですよ」
先触れがなかった、とはリオハルト達も言っていた気がする。しかし、それは一体どういうことなのか。
教団の旗を掲げているならば、その威光で降伏を勧告した方がよほど、と考えたところで、レティは顔を上げた。
「エリー、敵軍の編成は?」
「はい、遠目だったので正確ではないですが、騎兵五千の歩兵が二万、それから……キメラなどの魔獣が五千以上」
「ここでも魔獣……でも確か、魔獣はアマーティア教団から供給されていたとナディア様も言ってたし、不思議じゃないか……。
でも、その編成ってことは、多分向こうは、一気に落とすつもりで来ていたよね」
「恐らく、そうかとは。私とジェニーがいなければ、恐らく一日持たなかったと思います」
ガシュナート側の軍はおよそ二万。それだけの数の魔獣を止めるには不十分と言わざるを得ない。
当然、あちらもそこは計算ずくで来ていたはずだ。
エリーとジェニーが計算外だっただけで。
そしてその計算が外れてしまった今、あちらがどう考えるか。
「……この分だと、教団の指示でまた再編成して来るかも知れないね」
「あちらの狙いがわからない以上断言はできませんけど、その可能性は高いですね……」
レティの言葉に、エリーも頷いて返す。
まだしばらく、平穏な日々は来そうにない。
「二次攻撃への備えを始めたリオハルト陛下は流石、というところかな」
「あ、そうなんですか? 流石、抜かりないですねぇ」
恐らく、彼が絡んでいる以上、打つべき手は打たれるだろう。
であれば、後はそれを成功に導くだけ、だ。
「だから、もうちょっとあちこち飛び回ることになると思うし、しばらくまた寂しい思いをさせるかも知れないけど……」
「ええ、わかってます。私は大丈夫ですから」
そう言いながら、エリーはレティの腕へとすり寄り、自身の腕を絡みつかせる。
間近の距離、耳元へと唇を寄せて。
「でも、大丈夫って安心させてください」
甘えるような声で、ささやいた。
そんなことを言われて、レティも我慢できるような良い子では、ない。
王女の私室、その隠し部屋。
そんな秘められた場所で、二人だけの時間が密やかに過ぎていった。
悪意は善なる仮面を被ってやってくる。
にじみ出るそれを、抱える自身は気づけぬまま。
そして、往々にして自身に返ってくることを予期しない。
次回:牙を剝く悪意
それが、自身を引き裂くとも知らず。




