秘蔵の飛び道具
「ナディア殿下へ、火急の知らせにございます!」
息も絶え絶えといった風の兵士がバランディアの騎士に付き添われながら駆け込んできたのは、三国間の取り決めの概要が決まり、一息入れていた昼食の場であった。
普段であれば彼のような一介の伝令兵が通されることはない。
しかし、ゲオルグが責任者となって警備をしている状況で通されてきた、ということは。
どうやらただならぬ事態らしいとみたリオハルトは咎めないでいた。
「火急、とのことですが、ナディア殿下、我々は席を外しましょうか?」
リオハルトの申し出に、ナディアはしばし考え込む。
駆け込んできた兵士は、装備からして烽火台の伝令兵だ。
ということは、内容は狼煙で伝達できるような簡易な内容。
聞かれてまずいような入り組んだ内容を伝えてはこないだろう。
それに、この取り決めで、三国は同盟関係に近い状態になる。
であれば、聞かせることで信頼を得る、ということも悪くはない。
一瞬でそこまで考えたナディアは、首を横に振った。
「いいえ、この場でお聞きいただいても結構です」
ナディアの言葉にリオハルトとバトバヤルは感心したように頷き、伝令兵は困惑したような表情になる。
何しろつい先日まで最大の敵対国だった二国だ、その二国の王の前でこの発言していいものかどうか。
その迷いを見て取ったナディアは、さらに言葉を重ねた。
「安心なさい、バランディア、コルドールとは和平が為されました。
私の名において許します、この場で発言なさい」
「は、ははっ!
では申し上げます! ……南部から軍勢が北進、国境を越え王都へと迫っているとの知らせが烽火にて!
ナディア様には至急お戻りいただきたく!」
「なんですって!?
……いえ、まず、宣戦布告が来たなどの知らせはありませんでしたよね?」
予想外の報告に一瞬取り乱しかけたナディアだったが、すぐに感情を抑え込み、頭を巡らせる。
南部の各国がこちらを狙っている、などという動きもなかったはずだ。
「はい、布告、先触れの類いの知らせはございませんでした!」
その言葉に、リオハルトとバトバヤルは互いに顔を見合わせる。
「そんな馬鹿なことをするような国が南部にあるとは聞いたことがありませんでしたね」
「ああ、俺も初めて聞いた」
宣戦布告もせずに他国へ攻め込むなど、あってはならない無作法。
そんなことをすれば、恥知らずで何をするかわからない国として周辺他国から疎まれるようになるだろう。
一国で経済的にも軍事的にも他国を圧倒している国ならばありえなくもないが、南部にそんな強国はなかったはずだ。
あのゴラーダでさえ最低限の宣戦布告は行っていたくらいだから、今回のそれがどれだけ異常なことか。
「となると、どこが、なぜそんなことを、というのがわかりませんね。
至急戻るべきですが……この大事な時に」
合意もほとんど終わり、後は精査して署名をするばかり。
その状況でこれは、あまりに痛い。
明確な署名なしでこの場を去れば、今までの合意がなかったことにされても文句が言えないのだから。
迷うナディアへと、リオハルトが声を掛ける。
「ナディア殿下、ここコルドバからガシュナート王都へは恐らく馬で一週間程度。
南方国境から王都まで、どれくらいで軍が到着しそうですか?」
「……そうですね、早ければ四日ほど、でしょうか」
「となると……あなたが戻ろうとしても、王都は既に囲まれている可能性が高いのでは」
「それは……その通り、ですね……」
リオハルトの指摘に、ナディアは痛恨の表情で顔を伏せる。
南部からの侵攻など欠片も頭になかったが、現実に起こってしまえば、その可能性はあると考えるべきだったと悔やまれる。
しかし、今更戻るには遅い、とわかっていても、戻らないわけにもいかない。
「もう一つお聞きしたい。
エリーは、王都に置いてきたのですか?」
「え、あ、はい、イグレット様が、人質みたいなもの、とおっしゃいまして」
その言葉に、リオハルトは一つ頷き、笑みを見せた。実に、楽しげな笑みを。
「であれば、あなたが戻られるよりも効果的な手がありますよ」
「はい? 私が戻るよりも、ですか?」
不思議そうに首を傾げるナディアへと、それはもう良い笑顔を向けるリオハルト。
「いやほんと、いい性格になったもんだぜ」
横で見ていたバトバヤルは、呆れたように笑った。
「なるほど、それで私が呼ばれたの」
会議室に呼ばれたイグレットは、事情を聞くと納得したように頷いた。
それから、ちらりとリオハルトへと視線を向けて。
「リオハルト陛下。私のことはどこまで話したの?」
「いや、まだ何も。
秘密にすると約束していたからね」
「……なのに、どうして私が呼ばれることに、二人は納得したの」
言いながら、レティが視線をバトバヤル、ナディアへと向ければ、バトバヤルがニヤリと笑って見せる。
「どうしても何も、お前さんなら何か隠し球持っててもおかしかない。
その上リオハルト殿が自信ありげに言うんだ、疑う方がどうかしてらぁ」
「私も同じく、です。イグレット様なら何とかしてくれると言われると、信じてしまいまして」
「……二人とも、私のことを買いかぶりすぎだと思う……。
確かに私は、この状況をある程度好転させる手段があるけれど」
そこまで言って、レティは考え込んだ。
さて、どこまで言ってしまおうか。
この二人であれば、ある程度話してしまっても良いかも知れないが。
と、ふと周囲を見回したレティは、あることに気がついた。
「リオハルト陛下。もしかして今、この部屋で護衛をしている騎士の人達は」
「うん、あの時現場にいた者ばかりだね。口の堅さは私が保証するよ」
レティの問いに、リオハルトが頷いて返す。
リオハルトは、レティを呼びに行かせている間に、護衛の配置換えも行っていた。
もし話すのならば、という気遣いなのだろうと思うと、リオハルトの配慮の良さに改めて感心してしまう。
後は、コルドールとガシュナートから来ている、それぞれの部下達、だ。
「バトバヤル陛下、ナディア殿下。
二人の連れてきている部下の口は堅い?」
「おう、そりゃもちろん。なんなら俺から厳命もするしな」
「はい、私の方も。あなたのことを漏らさなかった者ですから」
二人の返答に、小さく頷いて返す。
であれば、ある程度は話してしまってもいいだろう、か。
心を決めると、レティは口を開いた。
「実はね、私は……一度行った場所なら、極めて短時間で手紙をやり取りしたりだとか情報を集めたりすることが可能。
詳しいことは言えないけれど、魔術の類いと思ってもらえたら」
その言葉に、ナディアも、さすがのバトバヤルも、驚愕の表情になった。
「なんだそりゃ、そんなとんでもないことできたのかよ、イグレット!」
思わず声が大きくなるのも無理はない。
それができれば、どれだけ革命的なことになるか。
王であればこそ、その効能の大きさは良くわかった。
「あの、ということは、私が手紙で指示を書いてイグレット様にお願いすれば」
「それをすぐに届けることもできるし、返事で詳細な情報を送ってもらうことも可能」
それはつまり、現時点でやるべきことが、極めて短時間でできる、ということだ。
しかも、安全かつ確実に。
返事を聞いたナディアは、しばし呆然とした後に、ぽつりとこぼす。
「そ、そんな都合のいいこと、あるものですか……?」
「あるのだから、仕方ない」
あっさりと返される言葉に、脱力したかのごとく椅子に沈み込んだ。
そんなナディアへと追い打ちをかけるように、ばたばたとまた一人兵士が駆け込んで来る。
「ナディア殿下へ火急のお知らせが!
ガシュナート王都へと侵攻した敵軍が全滅、王都は無事とのこと!」
重なる都合のいい話に、ナディアは目を白黒させていた。
嵐の中を行く鳥も、時に風雨を避け羽を休めることがある。
それは、次へと向かうため。あるいは明日へと向かうため。
飛び立つからこそ休む時がある。
次回:動乱の隙間に
その一時が、また力になると信じて。




