彼女の動機
「なるほど、条件が良すぎて動揺していたところに、まさかの話が出てきて、それがまた大変そうなことだ、と」
「は、はい、そうです……取り乱してしまい、お恥ずかしいです……」
落ち着かせようと座らせたソファに二人並びながら、どうしたのか確認したレティは納得したような顔で頷いた。
片や、話し終えたことで少し落ち着いたらしいナディアは、申し訳なさそうに俯いている。
交渉ごとには慣れているつもりだった。
実際、隣国の王二人を相手にしながら、なんとか立ち回れた、とも思う。
しかし、二人に比べて場に慣れていないことは明白だったし、そのことで随分と消耗もした。
だからといってこんな醜態を見せてしまっていい訳もない、と恥じ入っていると、ぽん、と頭に手が置かれた。
「大丈夫。むしろ、リオハルト陛下相手に、ちゃんと交渉しきれただけでも大したもの」
労いの言葉とともに頭を撫でられると、ナディアの動きが止まる。
驚いたように目を見開いた顔でレティを見ることしばし。
くしゃり、と顔がまた歪んだ。
「そ、そのような優しい言葉をかけないでください、イグレット様。
私、思わず縋ってしまいそうになります」
彼女はバランディア側の人間。ガシュナートの新たな王になる自分が甘えて良い存在ではない。
そう自分に言い聞かせるも、彼女の手はどうにも心地よく逃れることができずにいる。
何よりも、彼女の纏う空気。
王宮の中で馴染みのある、あの笑顔の下に隠れた、ギラつくような目の光りがない。
欲望渦巻く王宮の中、むしろゴラーダの欲望に振り回される世界で育ったナディアには、何とも清涼なものに感じられた。
バトバヤルが彼女のことを欲がないと評していたが、だからこそ、こうも抵抗感無くいられるのだろう。
だからこそ、甘えることに慣れてはいけない。
きっとこの一件が終わってしまえば、会えることはほとんどないのだろうから。
そんなナディアの表情が、気持ちが、どれだけ伝わったのだろうか、レティはしばらく沈黙していた。
どこか違うところを見るかのように視線を何もないところに向けることしばし。不意に口を開く。
「ナディア様は、少し誰かに頼ることを覚えた方がいいかも知れない。
私でなくても、例えばジェニーとか」
「ジェニー、ですか……それは……もう既に、かなり甘えてしまっているような」
ジェニーと打ち解けてからの自分を思い出してしまえば、思わず赤面もしてしまう。
マナ・ドール、人形であるはずの彼女に、随分と。
それは、曲がりなりにも成人した人間としてどうかと思うほどであり、それも改めたいところではあるのだが。
などというナディアが抱える内心の悩みなど知るよしも無く、レティはまた言葉を返す。
「なら、今私に甘えている分を、今度はジェニーに甘えたら。
申し訳ないけれど、私はエリーのものだから、いつもは傍にいられないし」
「ええ、それはもちろん、イグレット様はエリーのものですから、わかっております。
……ですが、『いつもは』とは……まるで、また傍に来てくださるようなことを」
「え、行くよ? 例えば、助けてくれとか言われたら、きっと」
あっさりとした声音に、かくっと身体が崩れそうになった。
何を言い出すのだこの人は、と恐る恐る、上目遣いでレティを伺いながら。
「あの……助けて欲しかったら、言ってもいいのですか?」
「もちろん。ああでも、冒険者としての力が必要な時は、依頼の形だと嬉しいかな。
リオハルト陛下にはそうしてもらってるから、そうでないと筋が通らない」
少しだけ申し訳なさそうな声に、幾度も瞬きをしてしまう。
むしろ冒険者として当然の要求だというのに。だというのに、だ。
なぜだろう、エリーは苦労するだろうな、と同情にも似た気持ちが浮かぶ。
「冒険者としての力が必要な時は、とおっしゃいましたが、それではまるで、そうでない時も呼んでいいみたいではないですか」
「うん、まあ、そういうことがあれば。
といっても、私が役に立てることなんて……ああ、マナ・ドールとの付き合い方とかだったら?」
困ったように眉を寄せ、頬を指でかきながらの言葉に、ナディアは言葉に一瞬詰まる。
ただでさえ都合の良いことばかりだった、彼女との出会い。
その彼女から聞こえてくる、どうにも都合のいい言葉。
今度こそ何かの罠か? と一瞬だけ思うも、即座にそれを却下する。
目の前の彼女は、どう考えてもそんなことを考えている人間の顔ではない。それは、よくわかった。
「もちろん、そういったことを教えていただければ大変ありがたいのですが……。
イグレット様、なぜ、私にそこまでしてくださるのですか?
出会って間もない、最初は敵だった私に」
その言葉に、今度はイグレットが黙り込む。眉間にしわを寄せ、何やら迷うような様子を見せることしばし。
観念したかのように、ふぅ、と小さく息を吐き出し、口を開く。
「一度、知り合ったから。エリーを取り戻すのを助けてくれたから。
というのも大きいのだけれど……ジェニーのことが気になるから、もある、かな……」
「ジェニー、ですか?」
予想外の言葉に、ナディアは口元を押さえながら小首を傾げた。
ジェニーこそ敵として遭遇し、なんなら彼女を殺さんと攻撃してきた存在だ。
そのジェニーを気にかける、とは?
疑問がそのまま顔に出ていたのだろう、ナディアを見たレティは、少し照れたように視線を外しながら言葉を続ける。
「……ジェニーは、似ている。少し前の私に。だから、放っておけない気がして」
「似ているのですか? ジェニーが……わかるような、わからないような……」
強いて言うならば、言葉数が少ないところは似ているかも知れない。
だが、どちらかと言えば落ち着いた大人の雰囲気があるレティと比べると、首を傾げてしまう。
そんなナディアの反応に、レティは小さく笑った。
「本当に、前はそうだった。私が変わったのは、エリーのおかげ。
だから、もし私がジェニーに何かあげられるなら、あげたいって思った」
「それで、何かあったら、と」
「そういうこと。何もないのが一番ではあるけれど、きっと難しいだろうし」
彼女たちの今までと、ナディアとジェニーのこれから。
もちろん同じであるはずはないけれども、重なる部分もきっとある。
それは、いいことばかりでは決してないだろう、とも思う。
それでも。
「考えてみれば、ジェニーをコルドールの遺跡に連れて行くときには、お願いしないといけませんものね」
「そうだね。知り合い価格で、安くしておくよ?」
こうして何かと助けてくれる彼女がいてくれるなら、きっと何とかなるのだろう。
だからナディアは、軽い冗談に笑顔で返す。
「あら、そこは、お友達価格と言っていただけないのですか?」
その笑顔は、どこか吹っ切れたような清々しさがあった。
歯車は狂い、計算は外れ、結果は明後日の方へと向かう。
狂いを知らなかったが故に狂いを直す術を知らぬ姿は、道化か、あるいは。
それでも彼らは、力を誇る。
次回:一つの宣戦布告
綻びを直さぬ先にあるのは、果たして。




