三国協調
「では、今日検討する案件は、以上でよろしいでしょうか」
「ああ、俺は文句ねぇぜ」
当事者として交渉する、というよりは議長として場を仕切っていたリオハルトの言葉に、バトバヤルが鷹揚に頷く。
彼としては、少なくとも最低限のラインを越えなかった、むしろ余裕のある妥協点であっただけに意義などあるはずもない。
それに遅れることしばし、ナディアもこくりと頷いた。
「はい、私も異議はございません。
と、言いますか……あの、お二方とも……本当に、よろしいのですか?」
頷いた後、おずおずといった様子でナディアが二人を伺う。
今回の停戦交渉、明らかにガシュナートのメリットが大きいものだった。
正確に言えば、ナディアにとってメリットが大きい。
ガシュナートから一方的に攻め込んだ形である上に、そのガシュナートから停戦を申し入れた。
通常であれば相当な賠償金を要求されても文句を言えない状況であるのに、バランディアからの要求は微々たる物。
形として、どちらに非があったか、どちらが勝者であるかを明確にする程度の金額でしかない。
当然ナディアとしては嬉しい誤算だが、同時に、その背後にあるものを疑いもする。
そんなナディアの表情と発言に答えたのは、今回は第三者であるバトバヤルであった。
「なぁに、俺は構わねぇさ。イグレットから怒られない程度のところにできたと思うしな。
どちらかと言えば、リオハルト殿が意外だったがなぁ」
明朗に笑うバトバヤルに水を向けられたリオハルトは、思わず苦笑する。
確かに、今回のこの件、自分で見てもかなり甘い条件の付け方だ。
「確かに、今回の案件だけで言えば、かなり大甘な内容にはしています。
ですが、この内容での締結に対して、一つ条件を付けたいという下心はありましてね」
「ほう? なんだ、何か差し出せってのか?」
「それを言ったら、間違いなくイグレットが背後に忍び寄って警告してくるでしょう」
からかうようなバトバヤルに、若干の真剣味を滲ませながらリオハルトは答える。
少なくとも、この条件であれば、イグレットは何も言わないはずだ。
だが、これ以上何かを要求したら……こればかりは、わからない。
賠償金は最低限。所有している魔獣を、バランディアの監督のもと処分。
その他細々したところでは踏み込んだところもあるが、全体として相当に譲歩した内容なのだが。
彼が知るイグレットであれば、その意図するところは見抜いてくれるはずだ、と思う。
「確かにあいつは、国王だろうが容赦なく振る舞う気がするなぁ」
「……そう、ですね……なんとも複雑ですけども」
豪快に笑うバトバヤルの横で小さくなるナディア。
まさにその性質でもって事を為した彼女からすれば、居心地が悪くなるのも仕方あるまい。
そして、その彼女に助けられて話が上手く纏まったのだから、さらなる罪悪感のようなものも感じてしまう。
「複雑なのがもう一つ。恐らく彼女は、こうして話が纏まったことを喜びこそすれ、誇ることなどないだろう、ということです。
彼女がどれだけのことを為したのか、彼女が一番無頓着なのですよ」
「あ~……あいつ、欲ってもんを知らないのかって思うことはある。
例外はエリーだけってな」
ため息を吐くリオハルトに、バトバヤルもどこか呆れたような様子で応じる。
彼女達との交流は決して長い期間ではなかったが……それでも、イグレットとエリーの間にある絆は十分に感じ取れた。
そして、それ以外での淡泊さとのギャップに驚いたりもした。
もちろん、もう少し付き合いが長くて深いリオハルトも、そのことはよくわかっていた。
「それについて思うことも色々ありますが、言っても詮無きこと。
であれば、我々の方で彼女の障害になりそうなものを排除していくのも、一興ではないかと思いましてね」
「ふぅん? どういうこった、そいつは何とも面白そうじゃないか?」
「ええ、どういったお考えかはわかりませんが、とても興味を引かれます」
ここまでの流れからか即座に乗ってきた二人に、笑みを返す。
やはり、彼女を媒介にしたのは正解だったらしい。
決して計算ずくだけではないが、それを無しにしても自分ではないだろう。
恐らく、彼女もそんな自分を責めはしないだろうし。
「こうして今、これまでの軋轢に対しては、ある程度の妥協点が見いだせました。
少なくとも今、我々三国は敵同士ではない。それは、間違いないと思うのですが、いかがでしょうか」
「ああ、もちろんだ。バランディアは言うまでもなく、ナディア姫が率いるガシュナートとなら妥協もできらぁ」
「恐縮です、バトバヤル様。私としても、この三国が調和していく路線は望むところです」
現状のガシュナートに、この二国と対立するメリットはまるでない。
そもそもが、そんなメリットなどなかったのだ。対立はあくまでも感情の問題でしかなかった。
そして今、こうして和解と協調の道が見えたのならば、ナディアは様々なことを考慮した上で、そちらを選ぶ。
二人の反応を予測していたのか、リオハルトは満足そうに……どこかほっとしたような顔で頷き返した。
「ありがとうございます。
であれば、今この状況で、イグレットも含めた我々には、共通の敵がいるのです」
「ほう。俺たちに共通の敵だと? そいつは一体……」
王族とあらば、敵の存在など数えられぬ程。
その中で、この三者に共通する敵、とは……さすがのバトバヤルも考えつかなかった。
ナディアも同様で、二人から向けられる、問いただすような視線に、しかしリオハルトは落ち着いた微笑みを見せる。
「アマーティア教団。お二人とも、何か思うところはありませんか?」
リオハルトの言葉に、二人の顔が動いた。
一瞬の嫌悪、そして敵愾心。あるいは、動揺と懐疑、そして、困惑。
二人それぞれに複雑な表情を浮かべるのを見たリオハルトは、やはりか、と一人内心で得心する。
「思うところ、どころじゃねぇが……リオハルト殿、どこまでわかっている?」
「表向きと、一歩踏み込んだ程度のことは」
「……なるほど? 中々の腹黒っぷりじゃねぇか」
リオハルトの返答に、むしろバトバヤルは機嫌を良くしていた。
交渉相手は、これくらいでないと歯ごたえがない。
むしろ楽しんでいるようなバトバヤルの顔に、リオハルトは揺るがない微笑みを返す。
その二人に挟まれたナディアは、どうにも困ったような顔を隠せない。
「確かに、私も思うところはございます。
しかし、その上で……リオハルト様、一体どのようなお話を?」
訝しげなナディアに、リオハルトは相変わらずの微笑みを見せるばかり。
しばし、間を置いて。
「お二人ともそう思われるのでしたら……私の悪だくみに少しご協力いただけませんか?」
そして語られるリオハルトの悪だくみに、バトバヤルは楽しげに笑い、ナディアは目を見開いた。
諸々の交渉、調整、打ち合わせも終わり、ナディアは用意された客室へと足取り重く戻る。
交渉は問題なかった。むしろ望外の結果、と言って良いだろう。
その上で提案された案件は、交渉ですり減っていたナディアの神経には何ともきつい。
期待される役割を、自分はこなすことができるのだろうか?
そんな思いを抱えながら開けたドアの向こう、見知った顔が出迎えてくれた。
「ナディア様、会議が終わったと聞いたけれど……大丈夫? 顔色があまりよくない」
ナディアの顔色を認めたレティが、小走りに駆け寄ってくる。
それを見て、間近に近づかれて。
とうとう、限界を超えてしまったらしい。
「イグレット様……私、私っ!」
縋り付くように胸に飛び込んできたナディアを抱き留めながら、レティは困惑の色を隠せない。
ナディアがこんなにも感情的になるのは、初めて見る。
それを見て何かを察したのか、侍女が慌てて扉を閉め、周囲にこの状況が見えないようにする。
一体、何が。
「私、私……いいのでしょうか、こんな、こんなっ!」
「え、ええと……?」
涙目になりながらのナディアの訴えに、レティは狼狽えて言葉を返すことができなかった。
彼女には、何もなかった。
夢も、未来も、希望も、絶望も。
そこに差し込んだ一筋の光は、やがて彼女を光り輝く世界に導いた。
今、ここに一人の迷い子がいるとすれば。
次回:彼女の動機
手を差し伸べる、それがまた、誰かに繋がる




