三国会談
「これはバトバヤル殿、随分と早いご到着ですね」
朝もまだ早い時間に来訪を告げられたリオハルトは、少しだけ驚いた顔で来客を迎える。
「わざわざ出迎えてくれるたぁ恐縮だな、リオハルト殿。
最後にあったのは何年前だったか……随分と貫禄が出てきたみたいじゃないか」
「ありがとうございます、恐縮です」
出迎えたリオハルトに、普段のように気さくに応じるバトバヤル。
彼の人柄を知っているのか、リオハルトもその対応に気を悪くした様子もない。
ここは、国境都市コルドバ。
先日ガシュナートからの侵攻を受け、しかし退けたその街に、二人は訪れていた。
被害を受けた外壁の修復も進んではいるが、あれからまだ一月足らず、元通りになるにはもう少しかかるだろう。
そんな、未だ情勢不安定であろう街に、二国の王が顔を揃えた、その意味とは。
「しかし驚きました。ガシュナートとの交渉の場に、本当に同席していただけるとは」
二人して目的の部屋へと向かって歩きながら、リオハルトが口を開く。
そう、今日ここに二人がいるのは、ガシュナートとの戦後処理を話し合うためだった。
バランディア、コルドール、ガシュナートの三国は、コルドバを一つの接点として国境を接している。
そのため、この三国の間では小競り合いが絶えない。
バランディアの第二騎士団がコルドバに常駐していたのは、牽制と万が一の時に即応するためだった。
そして実際にその万が一が先日起こったのだが……それ以前からも大小様々な衝突は起きている。
その中でも、近年バランディアとコルドバは比較的穏やかな関係を築くことができていた。
王妃が統治していた数年は危うかったが、その目が東のジュラスティンにばかり向いていたため、決定的なことが起きなかったことも幸いしたと言える。
もっとも、『杖』がもしもう一本あったら、どうなっていたかはわからないが……。
ともあれ、こんな敵とも味方とも言えない複雑な状況の二国だ、明確な敵国と言えるガシュナート相手の交渉とは言え、協力してもらえるかは怪しいもの、と思っていた。
だが、どこか訝しむようなリオハルトの様子に比べ、バトバヤルの表情は実に朗らかなものだった。
「まあ色々思うところはあるがな、イグレットの奴に頼まれたら断れんよ」
バトバヤルの返答に、危うくリオハルトは吹き出しそうになる。
今、なんと言った? いや、確かにイグレットを使いには出したのだが。
「……なぜ、そこで彼女の名前が?
いえ、そういえば確か彼女は、そちらの剣術大会で優勝したのでしたね」
そういえばも何も、数ヶ月前、彼女に剣術大会のことを教えたのは、リオハルト自身だ。
あの時は、それが彼女の刺激になればと思って口にした程度だったのだが……一体何がどうしてこうなったのか。
見物は勧めた。参加することもあるかも知れないとは思った。優勝もありえなくはないと思った。
だが、なぜ国王であるバトバヤルと気安い関係になっているのか。
「ああ、そりゃもう見事なものだったぜ。
いやぁ、まさかリオハルト殿が知り合いだったとはなぁ。
そうと知ってりゃ、招待したのによ」
実に残念そうなバトバヤル。
豪快な人柄の裏に国王としてすべき計算もきちんとしている彼が、心の底から言っている。
それも、他国の、微妙な関係にある国の王、リオハルトに対して、だ。
どう対応するのが正解か、と頭の中で思考を巡らせながらも笑顔でその言葉に応じる。
「そうですね、私も是非見て見たかったところです。
しかし、それだけ、ですか?」
それだけ、であればどうにも弱い。
毎年一人優勝者が出ているのだ、いかに久しぶりの女性優勝者とはいえ、ここまで贔屓にするはずがない。
ちらり、探るような視線を向ければ、バトバヤルはガシガシと頭を掻きながら苦笑いを見せる。
「まあ、なぁ、ちょいとあいつには借りを作っちまってなぁ。
こんなことで返せるもでんもないが、少しくらいは、ってよ」
「……借り、ですか」
その言葉に、リオハルトも言葉を飲み込む。
自分もまたイグレットには借りを作った身だ、同族意識のようなものを感じてはしまう。
だが、それだけで外交を動かすわけにもいかぬ、と顔に出さずに。
「ふぅん? どうやらリオハルト殿も、イグレットには何かあるみたいだな?」
顔に出さずにいた、はずだ。少なくとも彼の護衛達は訝しげな顔をしている。
それでも見抜かれてしまうのだ、このバトバヤルという男の見る目は侮れない。
であれば、どこまで誤魔化すか、どこまで開示するか。
「そうですね、私も彼女には借りが少々ありまして」
ここまでならば大きく不利にはならないだろう、と開示した情報に、バトバヤルが軽く目を見開く。
そして、次の瞬間。
「はっはっは! そうかそうか、リオハルト殿もか!
いやぁ、大したもんだあいつは、二国の王に貸しを作るなんざ!」
バトバヤルの笑い声が弾け、その勢いに思わずリオハルトは目を瞬かせる。
そして、つられて、ついに笑みをこぼしてしまった。
どこまで予想外なことをしてくれるのだ、彼女は。そのことが、愉快でたまらない。
これが自室で、ゲオルグなど限られた人間しかいない場であれば、バトバヤルと同じように笑っていたかも知れない。
自分の心が浮き立つような感覚を、それでも今は、と押さえ込む。
「そうですね、大したものです。
そして、貸しとも思っていなさそうなのがまた、どうにももどかしいところで」
「言えてるなぁ、恩着せがましいところがまるでありゃしない。
だからこそ、こっちとしちゃぁ、なんとかしてやらにゃと思うんだがな」
楽しげに笑い飛ばす姿に頷いて返しながら、この交渉、どうやら悪い形には進むまい、とリオハルトは確信めいたものを感じていた。
そうして話をしている内に、二人とその護衛は奥まった場所にある部屋へとたどり着く。
部屋の前には精悍な顔立ちをした騎士が二人、守衛として立っていた。
その二人が部屋の中へと二人の来訪を伝えれば、数秒ほどの間を置いて入室を促す声があり、二人は中へと入る。
そこでは、一人の女性が立って二人を迎えていた。
年の頃はリオハルトと同じくらいだが、この場において緊張した様子も見せていない。
なんとも肝が太いことだ、と自分を棚に上げてリオハルトは考えていた。
「お待たせしましたか、ナディア殿」
「いいえ、全く。……リオハルト様、バトバヤル様、本日はこのような場を設けていただき、誠にありがとうございます」
問いかけにゆっくりと首を横に振ったナディアは、しずしずと頭を下げた。
仕草、動作は落ち着いている。だが、組んだ手が僅かに震えたのを、リオハルトは見逃さなかった。
やはり、緊張はある。だが、それを押し殺しての振る舞いもできる。
密偵などの情報から得ていたナディア像とも一致する様子に、予定通りの交渉でよさそうだ、と算段していると。
「なぁに、そんなに固くならんでも大丈夫だ、取って食いやしないからよ。
っていうかだな、お手柔らかにってあいつから言い含められてるから、なぁ」
笑いながら、最後だけため息のように締めるバトバヤル。
隣のリオハルトは、吹き出してしまいそうになるのを笑顔で堪えた。
あいつ、とはイグレットのことだろう。
なるほど、バトバヤルからすれば、往年の宿敵相手に色々な要求を突きつけることもできたこの交渉。
彼女から釘を刺されれば、それも控えねばなるまいと若干哀れにも思う。
そして、あいつ、に反応を示したのがもう一人。ナディアである。
「あいつ、ですか?
それは、もしや……イグレット様でしょうか」
その言葉にバトバヤルの眉が片方跳ね、ついで、リオハルトの方を伺う。
「おい、ナディア姫まであいつのこと知ってんのか?」
「ええ、この会談は、イグレットの尽力で実現したものですからね」
いまいち状況が飲み込みきれていないバトバヤルをさておいて、ナディアは小さくため息を吐いた。
「この会談を準備していただいただけでも十分過ぎますのに、その上バトバヤル様にまで話を通していただいているとは。
私、あの方にどれほどのお返しをしなければならないのでしょう」
言葉とは裏腹に、その表情はどこか浮き立ったもの。
まあ、この状況で沈鬱になられるよりは、前向きな話ができるに越したことはないのだが。
その様子をしばし眺めていたバトバヤルが、隣のリオハルトへと小声でささやく。
「なあ、もしかして、三人目か?」
「もしかしなくても、三人目です」
ナディア側の事情を知っていたリオハルトは、何か吹っ切れたかのように晴れやかな笑顔を見せた。
血は水よりも濃いと人の言う。
生みの親より育ての親とも人の言う。
ではこの出会いは、ぬくもりは果たしてどうなのだろう。
格言よりも確かな答えがここにあった。
次回:繋がるもの
元より、血など流れておらずとも。
※この度、「暗殺少女は魔力人形の夢を見るか」を再編集しなおしまして、Kindle direct publishingにて自家出版することにいたしました。
詳しくは活動報告にてご覧いただければと思います。
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