長い夜の終わりに
魔核を貫かれたベルモンドは、動きを止めた。
このまま刃を一ひねりされるだけで、自身には死が訪れる。
残念ながら、勝負ありと認めざるを得ない。
ふぅ、とため息を一つ。手から力が抜け、カラン、と長剣が床へと転がる。
「……勝負あり、ですな。
最後に一つ、冥土の土産に教えてもらえませんか。なぜ、私の幻術を見破ることができたのかを」
その言葉に、レティはしばし動きを止めた。
彼相手に躊躇など不要、情けは油断につながる、とも思うが。
負けを認めたらしく敵意のなくなった彼相手に、そこまで非情になることもためらわれた。
「……簡単なことだよ。
あなたの幻影は、声はもちろん、足音すら出しているものだったけど、衣擦れの音はしていなかったもの」
「なんと? まさか、衣擦れの音を聞き分けていた、と?」
「私、耳がいいから」
よもやの答えに、ベルモンドは絶句する。
まさか、そんなことで。
そこに、レティからの言葉が重ねられる。
「最初は、魔力の違いで見分けようと思ったのだけど、それは上手く隠蔽されてたから、正直焦った」
「くくっ、そちらは用心していましたからね……しかし、衣擦れ、ですか。まさか、ですな……」
今まで、見抜かれたことはなかった。声と足音だけで十分にだますことはできていた。
それがまさか通じない感覚の持ち主がいたとは。そのことは、新鮮な驚きだった。
おまけに、魔力を感じ取ることもできるとは。実に、相性の悪い相手だったらしい。
「そういえば、あの幻術、かなり魔力を使うみたいだね。
使う瞬間だけ、魔核から魔力が出るのを感じたから」
「なるほど、それで、見抜いているのにも関わらず、幻影達を切り払ったわけですか。
ここを、探るために」
そう言いながら、視線を落とす。
腹部中央に配している魔核を、レティの小剣は正確に捉えていた。
見えないはずなのに、どうしてこうも正確に、とは思ったが、これもまさかの方法。
これだけのことを、幻術によって攪乱されている中で考えて、実行しきった相手。
そんな相手に出会ってしまったことが、運の尽きだったのかも知れない。
「やれやれ、完璧な幻術を、と凝りすぎたのがまさか仇になるとは。
くく、何が最適解になるか、わからないものですな……」
思わず、笑ってしまう。
体が揺れて、小剣が刺さった魔核にヒビが入る感覚があるが、それすらも心地よく感じる。
完膚なきまでの敗北とは、存外甘美なものだったらしい。
重ねて味わえぬのが惜しいほどに。
納得しきったような様子のベルモンドをしばし観察していたレティが、口を開いた。
「私からも一つ聞きたいのだけれど」
「どうぞ、我が主に関すること以外でしたら」
「その辺りは徹底してるんだね……。
さっき、魔族の姿で戦わなかったのはなぜ?」
その問いに、ベルモンドはまた笑ってしまう。
まさか、そんな問いをしてくるとは。そして、答える羽目になってしまうとは。
今際の際に、どうしてこうも愉快なことになってしまうのか、と笑いが止まらない。
「何、簡単なことですよ。
私は、あちらの姿の方が弱いからです。
力は強くなり、動きも速くなりますが……いかんせん、動きが大味になりすぎる。
それでは、あなたに通じないでしょう?」
「それは、否定しない。カーチスの時は、変身してからの方が楽だったくらいだもの」
「でしょうな、あなた相手では」
レティの返答に、にやり、とどこか得意げな笑みを見せる。
判断は間違っていなかった。
その上で、その上を行かれた。
実に素晴らしい敗北ではないか、と。
「そして理由はもう一つ。
何より、あの姿では剣を持てませんからな!」
誇らしげに胸を張りながら、そう言い切った。
その言葉に一瞬驚いたように目を見張ったレティは、すぐに納得したような顔になる。
「なるほど、剣士だから?」
「ええ、剣士ですからね」
小さく笑みを見せたレティへと、笑って返す。
最期にこうして通じ合える強敵と出会えたことは、きっと幸せだったのだろう。
そして、その感慨はレティにも伝わってくるものがあった。
彼は、実に満ち足りている。一人の剣士として。
そして、自分は彼に勝った。だから。
「……何か言い残すことは?」
「何も。
剣士がこれ以上言葉で語るのは、無粋というものでしょう」
「……そう」
ベルモンドの言葉に、小さく頷いた。
きっと、これ以上は。それは、レティにも理解できたから。
「……さようなら」
「ええ、ごきげんよう。
……よい勝負でした」
最期の挨拶を交わして。
カシャン、と何かが砕ける音が響いた。
そして、ベルモンドの体から力が抜け、床へと崩れ落ちる。
その顔は、実に満足そうな笑みを浮かべていた。
「……私も、学ばせてもらったよ」
彼の体を横たえ、手を組ませながら、そんなことを呟く。
それが、手向けの言葉としてふさわしいかはわからないけれども、そう言わずにはいられなかった。
「さあ……終わらせよう」
そう言いながら身を翻し……ゴラーダがいるであろう寝室へと向かった。
魔術的防御のほとんど成されていないガシュナート王城で、一度見知った相手を探すことなど、レティにとっては朝飯前のこと。
程なく寝室を見つけ、中の気配を探り……少なくとも扉前には誰もいないことを確認して、『跳んだ』。
すでに寝静まっていてもおかしくない時間、しかし室内には未だ明かりが灯っていた。
そして、ゴラーダ本人も、まだ寝付いてはいなかったらしい。
唐突に室内に現れたレティに気づき、しかしゴラーダは慌てず騒がず、剣を手にする。
「なんだ貴様、どこから入ってきた?」
「さあ。あなたに教える必要はないね」
剣を持つ手、表情から、動揺はしている。
しかし、それを押さえ込むだけの胆力はあるらしい。
流石に、それくらいのものは持っていてもらわなければ、困る。
「ち……お前が来るってことは、ベルモンドのじいさんはやられちまった、ってことか」
「その通り。……もしかして、事前に何か言われてた?」
「はっ、今夜襲撃があるかもとは言っていたがな。
まさか、やられるったぁ思わねぇじゃねぇか。それも、お前みたいな女によ」
言いながらゴラーダは、剣を抜き放った。
その表情には、女だと侮る表情と、ベルモンドを倒した存在だという恐れが入り交じり、奇妙に歪んでいる。
そのせいだろうか、それなりに剣を持ち慣れているように見えるのに、まるで落ち着きがない。
浮き足立っている、という表現が一番適切だろうか。
「なるほど。あの杖といい、魔獣を操る道具といい、彼におんぶに抱っこしていたから、いなくなったら困る、と」
「うるせぇ、知ったような口を!!」
色々と図星だったのか、堪えていた限界を迎えたのか。
激高するゴラーダの声を、レティは冷めた表情で聞き流していた。
「そう。なら、確認したいことも済んだし、終わらせよう」
「くっそ、くるならきやがれ!!」
わめきながら、ゴラーダが剣を構える。
ベルモンドを倒すほどの相手に敵うわけもない、とわかってはいても、抵抗せずにはいられない。
そして、レティは抵抗すら許さない。
「なっ!?」
レティの姿が、目の前から消えた。
驚愕し呆然と立ち尽くすゴラーダの首筋に、背後から腕が巻き付いてくる。
と、思った瞬間には、首筋に冷たい感触が滑り込む。
ぶつん、と何かが途切れる音。
そして、ゴラーダの体から力が抜ける。
「……まともに相手してあげるわけ、ないじゃない」
冷たく言い放ちながら、ゴラーダの首から短剣を引き抜く。
煤を塗って刃が光らないよう加工した、暗殺用のそれを。
そして、死後硬直が始まる前に、と寝台の上へと転がし、寝ているように偽装する。
「ある程度、で後はナディア王女がやってくれるらしいけど……」
さて、どうなるか。
ともあれ、やるべきことはやったのだ。
ゴラーダが身近においていた例の杖『マスター・キー』を手にすると、レティは王女の部屋へと向かって『跳んだ』。
夢か現か幻か。
人の所業は時代とともに流れ、去って行く。
しかし、泡沫のようなそれが弾ければ、小さな波紋となって広がりもして。
次回:受け継ぐもの
広がる先にあるものが、未来というのならば。




