背中越しの言葉
ゆっくりと、深く、静かに呼吸をする。
そうしていながら周囲を、部屋の中を確認する。
……誰も、居ない。
それを確認したレティは、窓へと手をかけた。
鍵はかかっているが、これくらいならば簡単に開けられる、そう思って開けようとした、時だった。
「待って、待ってください!」
思わぬエリーの制止の声に、手が止まる。
信じられないものを見るかのように、エリーへと視線を向け、沈黙すること、しばし。
混乱する頭を必死に抑え込みながら、もう一度深呼吸。
それから、何とか声を、絞り出した。
「どう、したの? エリー、だよね……?」
「はい、私です、エリーです。
でも、今はまだ、だめなんです……」
エリーが、自分を拒絶した。
そのことにレティの混乱はさらに酷くなりかけた。
だが、『今は』という言葉が、なんとか理性を繋ぎとめる。
落ち着け、落ち着けともう一度自分に言い聞かせてから、口を開いた。
「今は、ってどういうこと……?」
「今は、まだ、マスター・キーの影響が……あの時、ゴラーダが持っていた杖がどこまで私に影響を与えているかわかりません。
あなたを視認した瞬間に、敵と認識してしまう可能性が、あるんです……。
私、私……あなたを、敵って、思いたく、ありません……」
エリーの声が、震えている。
彼女だってこんなことは言いたくないのだ。それは、とてもよくわかる。
だが、自分だってこれ以上エリーと離れていたくはない。
……それが、互いに不幸を招く可能性がある感情だ、ということは、わかってしまうのだけれど。
「……可能性、って言ったね?
ということは、そうじゃない可能性も、ある?」
「ゼロではありません。でも、限りなく低い、と思ってます……」
……当たり前だが、エリーが嘘を吐くとは思えない。
であれば……今無理にどうこうするのは得策ではない、のか?
まだ揺らぐ思考を何とか動かし、現状を把握し、認識していく。
部屋の中の様子に、やっと気が付くことができた。
どうやらここは、研究室か何かの類だ、と認識する。
……それが今更であることに、酷く恥じ入りながら、口を開いた。
「……わかった。エリーは、今、この部屋にいるの?」
「はい、明日、明後日まではここにいる予定です。
でも、明々後日は、ここを出て……再度、コルドバに向かう予定だ、と」
「なるほど……」
時間の猶予が、後二日ある。
それだけで、レティの余裕は戻ってきた。
場所がわかっている。現時点で酷い扱いを受けた様子はない。
この部屋、どうやら高位の魔術師が使っているらしいが、その下にいるなら、そうそう間違いもないだろう。
何より。
こうして場所がわかれば、次からはどうとでもできる。
そのことが、何よりレティの心に安定をもたらした。
「その二日で、あの杖の影響はどうにかできそう?」
「わかりません。ですが、幸いこの部屋には、たくさんの関連資料がありますから……希望はあります」
「そう、なんだ。……ごめん、一体どういう状況……?」
「あ、それもそう、ですね……」
レティの今更な問いに、エリーも今気づいたのか、状況の説明を始める。
自分の人格が、決して安定した状態ではないこと。
ナディア王女の管轄下にあること。
王女とジェニーと、それなりの協力関係にあること。
ジェニーの改修のためのアドバイザー的な立ち位置にいること、など。
それらの話を聞き終えたレティは、小さく息を吐いた。
「……流石、というかなんというか……口先一つで、良くそこまでもっていったね……?」
「正直、かなり偶然が重なった結果、ではありますけど、ね……」
例えば、先日コルドールの遺跡であの研究施設に行っていなければ、ここまでの提案はできなかった。
そうでなければ、現状どうなっていたことか……想像もつかない。
「ともあれ、これで二日の猶予と、ある程度の安全は手に入れられた、と……」
「そう、ですね……それは、間違いないです」
そう言いながら、互いに口を噤む。
それは、時間の猶予でもあり、期限でもある。
何よりも。
「でも、今は、一緒に行けない、っていうこと、だね……?」
「ええ……きっと私、あなたを攻撃してしまう……」
これは、先程から感じていること。
エリーの索敵、敵認識は、視覚情報によるものが大半だ。
だから今、こうして背中越しの会話であれば、レティを敵と認識せずに済んでいる、が。
実際に目にしてしまえば……恐らく、あちらの人格が起動してしまうだろう。
その返答を聞いたレティは、しばし沈黙して様々な考えを巡らせる。
自分の能力でできること、自分のしたいこと、エリーの状況で可能なこと。
沈黙は、どれほどだっただろうか。
「そっか……わかった。
今日は、一度戻るから……また明日、ここに来るから……その時、進捗を教えて」
「……はい、わかりました……」
そしてまた、互いに一言も発せないまま、しばし。
もう一度、レティが口を開いた。
「エリー」
「は、はい?」
呼びかけて、また言い淀む。
これは、自分のエゴではないか。何の解決にもなっていないのではないか。
そう思う、けれども。言わないといけない、気がしたから。
「もし、万が一、どうにもならなかったら……。
……永遠に一緒になる方法が、あるから」
その言葉に、弾かれたように後ろを向きそうになり、しかし、それを何とか踏みとどまる。
もし振り向いてしまえば、それこそ永遠に一緒になる未来が待っているだけだ。
だから、そうでない未来のために、感情の動きを押さえつける。
「なんで……なんで、そこまで言っちゃうんですか……」
「仕方ないよ……多分私、エリーがいなかったらもう、生きていけないもの」
「そんなの、そんなの私だって、一緒です!
今だって、私が、どれだけ……ううん、わかってるから、そんなこと、言っちゃうんですよね……」
そして、わかってしまうから、エリーもまた、声を落としてしまう。
だからこそ、レティは自身の命まで差し出してきたのだから。
今更ながらに、その重さが辛く、そして、暖かくのしかかってくる。
「うん……ごめん、今私に差し出せるのは、それだけだから。
だから……そうならないように、しよう。
私は、まだまだエリーとあちこちに行きたいから」
「わ、私だってそうです、まだまだ、美味しいもの全然食べてないんですから!」
背中越し、窓越しの会話。
なんとも間抜けで、切実で……でも、いつもの会話。
やっと、エリーがそこにいる、と実感できた気がする。
「うん、私だって、そう、だから……だから、また、明日……ね」
「……はい、また、明日……明日、これくらいの時間に」
「ん、了解……」
レティが、そう告げて。
数秒。
背中に感じていた視線が、背後にいた気配が、なくなった。
途端、エリーはその場に崩れ落ちる。
「馬鹿、馬鹿っ!
だから、私、道具、なんですってばぁ……」
既に、お互いそんな存在ではなくなっている。そんなことはわかっている。
それでも改めてこうして突き付けられれば、嬉しさと悲しさと切なさと、その他言葉にならない感情が溢れてきた。
会いたい。ちゃんとあって、顔を見て、笑い合って、そして。
だから、そうなるために。
エリーは目元を拭うと、また資料に手を伸ばした。
辿り着き、しかし触れ合うこと叶わぬ夜。
一たびの休息に、しかし気が休まることはない。
どうして、なぜ、どうすれば、ならば。
頭を駆け巡る言葉は、一つの結論へと至る。
次回:決意の夜
それは旋風が巻き起こす嵐の前触れ。
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「元暗殺者ですが、公爵家令嬢付きのメイドになった結果妙に懐かれてしまって、これはこれでとセカンドライフを楽しんでいます」
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