カーテンコール
ごう、と空気が震えた。
音が、風が、爆ぜる。
そして、地面が打ち砕かれた。
だが、そこには誰もいない。
彼が狙った女はすでに間合いを取っていた。
その姿に釣られて真っ直ぐ向かうも、踏み込んだ僅か後、方向を変えられないタイミングで横に流れて視界に捉えきれない。
強烈な威力を生む巨体は、苛烈な慣性も生じさせる。
振り下ろす拳を止めるには、その体は、腕は、あまりに重すぎた。
空しく地面を打ったその刹那、振り下ろした腕に、踏み込んだ足に生じる痛み。
いや、痛み、のはずだが。もはやそれを、痛みと認識することもしていない。
怯まず動くその体を観察しながら、レティは小さくため息を吐いた。
「……わかってはいたけど。もう、とっくに人間じゃないんだね」
どうにも、若干の哀れみは感じてしまう。
不死の存在に作り替えられたということは、それを為した存在がいる、ということ。
つまり今の彼は、ただの道具になり果てていた。
まだ、先程までの鎧姿の方が幾分もましだったろうに。
もうこうなってしまっては、意志ある存在とは言えまい。
それは。
まかり間違えば、自分が辿っていたかも知れない道筋。
グレッグがもう少しだけ、利己的な男であれば。
もしもあの日、依頼を受けなければ。
何よりも、あの時、勝てなければ。
惨めに使い捨てられる道具になり果てていたのは、きっと、自分だ。
だから、少しばかり、哀れに思う。
それは、自業自得ではあるものの。
「ナンデダァァァ!!! ナンデダァァァァァ!!」
咆哮は、永遠に答えの得られない問いかけ。
問いかける彼自身が、既に答えを聴く耳を持っていないのだから。
であえれば、与えるべきは。
思考は、彼の腕が横に払われたことで中断させられた。
長大とはいえ、所詮は腕。間合いをとれば、掻い潜れる。
そして、かわしてできた隙に、踏み込んだ。
今度はこちらの番、と思ったその瞬間。
彼が無理に踏みとどまり、足を振り上げたのが見えた。
バキン、ベキン、と何かが折れる音。
軸足から鈍い音を響かせながら振り上げられた足が、振り下ろされる。
だが、二動作も必要とする蹴りなど、当たるわけがない。
振り下ろされる足、そのギリギリを見切って避けて。
くるり、回避運動を回転に変えて、強烈な横薙ぎの一撃で斬りつければ……くるぶしから下が、斬り飛ばされた。
「ナンデダァァァァァ!!! フザケルナァァァァァ!!」
もはや、意味がありながら意味のない叫び。
ただ魂に刻まれた言葉を呪詛のように吐き出すだけ。
……刻まれた言葉がそれだというのなら、その人生は、どんなものだったのだろう。
そうしてしまった最大の要因は、自分ではあるけれども。
「なんでだろうね? 次は、考えられるといいのだけれど」
彼の、次は。与えられるのだろうか。信じる教えの無いレティには、見当もつかないが。
終わらせてやらねばならぬのだろう、ということだけはわかった。
ぐちゅり、ぶちゅり。
肉が潰れ、血が踏みつけられる鈍い音を響かせ、彼が踏みとどまる。
痛みなど感じないのだろう。斬り飛ばされた断面で、そのまま地面を踏みつける。
嫌な音を響かせながら強引に身体を捻り、レティの方を向く。
その顔に、目に、浮かぶ表情はひたすらに、恨みつらみ。
それに突き動かされて、無理に踏み出してきて……膝を、ついた。
彼の体重をささえるには、まともな足首があって初めて精いっぱい。
であれば、もはや腐りかけた肉に支えられるだけの力は。
そんな自明の事を、彼だけがわからずに、前ににじり寄ってくる。
崩れたバランスを、強引に肉体の力だけで立て直しては崩れ、立て直しては崩れ。
「知らなかった。こんなにも、身に付いてなかったんだね……」
しなやかに見えた動きは。重さを感じさせなかった動きは。
全ては、彼の類まれなる肉体によるもの。ただ、それだけのものだった。
悲しいくらいに、今となってはそれが浮き彫りにされてしまっている。
見る影もないのに、覚えている。彼の身体の動きは、確かにこうだった、と。
「檻の中の虎、か……」
流石と言うべきか、悲しいかなと言うべきか。
ドミニクの言っていたことは、まさに的を射ていたらしい。
こちらに向かってくる。腕を振り上げる。振り下ろす。
全てが、異様な速さで、異様に緩慢だった。
見える。動ける。かわせる。どころか、反撃も入れられる。
悲しいくらいに、丸見えだった。
そしてまた、刃が閃く。
立て続けに加えられた斬撃に、ついに左腕が耐えられなくなり、斬り落とされた。
バランスを崩し、ぐしゃり、地面に倒れ込む。
だが、すぐに跳ねるように起き上がり、レティを睨んできた。
まだ、終わらない、そう告げるかのようで。
「フザケルナァァァ!! フザケルナァァァァ!! オレハ、オレハアアアア!!!」
まだ少しだけ、『彼』が残っていたのだろうか。
もはやそれも風前の灯火のようではあるが。
ギュリ、と音が響く程に拳が握られる。振り上げられる。
油断は、しない。それがいかに丸見えであろうとも。
化け物と化した彼は、何をしてくるかわからないのだから。
振り上げられた腕を見ているようで、見ていない。
見ているのは、彼全体。何をしでかすつもりなのか、それを見落とさないように。
そして、振り下ろされる、瞬間にまた横へと流れる。
拳は空しく空を切り、地面だけを砕く。
そして。
ガギン、と響く鈍い音。
完全に体勢の崩れた彼、その脇腹へと、狙いすませた一撃。
魔力をこれでもかと放つ、魔核へのそれは。
「っ……さすがに、硬い、か」
以前砕いた魔族の魔核とは比べ物にならない硬度。
凝縮されている魔力の密度が桁違いなのだろう。
で、あるならば。
「打つ手は、まだあるから、ね……」
そう言いながら、また横に流れた。
少しでも広い範囲をとでも思ったか、開かれた手のひらの一撃を、軽やかにかわす。
そして、振り下ろされたばかりの腕へと、全力の横薙ぎ。
地面を踏みしめ、踏み込んだ力を、脚の力を、股関節の力を、背筋を、体幹を。
全ての力を体軸に沿わせ回転に変えた力は……あっさりと、彼の腕を斬り飛ばした。
ぐしゃり、悲しい音を立てて彼が地面に突っ伏す。
もがく彼の側へと、滑るように寄り添って。
「……さようなら」
そして、もう一度。
地面を蹴る。間近の距離に、踏み込んで。
踏み込んだ勢いを、踵を踏みしめて、受け止める。
地面と、大地と一体化したような感覚。
「ありゃま。掴んじまったか」
見ていたドミニクが、そう呟いた。実に、楽し気に。ほんのわずかにだけ、悔しそうに。
あの境地に至れたのは、レティよりも幾らか歳がいっていた時だった。
「ま、師匠が良かったんだろうねぇ」
そう、嘯く。
明らかに、レティの身体のキレが違った。
踏み込む勢いも、自身の体重も、大地の硬さも、重さすらも。
全てを彼女の力に変え、それを余すことなく背筋に、腕にと伝えていく。
そして、それが繰り出された。
精緻の極み。
積み重ねられた修練の生み出した力が、積み重ねられた技術によって正確に、寸分のぶれもなく、そこへと吸いこまれるように突き入れられる。
ストン、と、ほんのわずかな音。
魔核を、貫いて。
直後。
それが砕け、ため込まれていた魔力が爆発的に放出された。
その爆風が収まった後。
そこには、砕け散ったカーチスの残骸と。
静かにたたずむレティの姿があった。
砕かれたのは彼の身体。そして、彼の策謀。
講じた手段は防がれて、後は野にも山にもなること叶わない。
せめて、せめてもとの悪あがき。それが通じる相手かも知らずに。
次回:策謀の終わりに
鉄壁のような淑女は、薄く笑った。
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