剣の舞・アンコール
「しょ、勝負あり!!」
凍り付いたように固まっていた審判が片手を挙げ、声を響かせる。
その声は、震えていた。
凄い勝負を見てしまった、というのはもちろんそうなのだが。
二番目に近い位置で、カーチスの顔を見てしまったのだから、声を出せただけ大したものだろう。
その声、どっと観客が湧き上がり、大歓声が響く。
その歓声の中心で、カーチスとレティが向き合っていた。
いや、カーチスは、放心したように天を煽いでいる。
どうして、こうなった。
そんな言葉が脳内で渦巻いている。
動きを止めたままの二人の間に漂う緊張感に気付いたのか、あるいはカーチスの顔に気づいたのか、観客席最前列がざわざわとし始める。
「あ~あ……ちっくしょう、これで全部、おジャンじゃねーか」
ぼそり、彼がこぼす。
天を煽いだまま、どこか投げやりな口調で。
しばらくそうしていた彼の口元が、歪む。
「はっ、ははっ、これで、全部、かよ。
ははははっ、ははははははははっ!!!!」
狂気じみた笑い声が響き、観客達が静かになっていく。
どよどよと困惑したような声、ひそひそと抑えたような声。
例外なく全員が、彼を見ていた。
ぐいん、と急に首が動いた。
どこか虚ろな目で、レティに顔を向け見つめる。
「お前だ。やっぱり、お前なんだな」
「言っている意味がわからないのだけれど」
カーチスの言葉に、小首を傾げる。
もちろん、彼がどう動こうがすぐに対応できるよう、警戒は怠っていない。
対してカーチスは、随分と無防備に見える。
そっけないレティの言葉に、だが、愉快そうに口の端を歪めた。
「お前だよ、お前だ。あの時も。今も。
お前はいつも邪魔をする!!!!!」
叫びに、大気が震えた。比喩でなく。
あちこちで悲鳴が聞こえ、観客達が混乱し始めている。
確かに大きな声だった。だが、そんな衝撃波のようなものを生じる程では当然ない。
そんなものは、人間の出せるものではないから。
「ああ、そういうこと」
一人、レティは納得していた。
彼の叫びも、その現象も。
彼の身体の中心に隠されていた、核のようなものが、暴走を始めている。
間近の距離、レティは、それが放つびりびりと震えるほどの魔力を感じ取っていた。
「前はともかく、今回はたまたまだったのだけれど」
「知らねぇよ、ふざけるなよ、ふざけるナヨ、フザケルナァァァァァ!!」
叫びと共に、彼の中の何かが、弾けた。
爆風のような風が吹き荒れ、観客席から一際大きな悲鳴が上がる。
その風に乗って、とん、とレティが距離を取った。
放心したように立ち尽くす審判に向かって、声を掛ける。
「逃げて。それから、観客の避難誘導」
「はっ!? あ、わ、わかった!
い、いや、君はどうするんだ!?」
「私? 私は……」
ゆっくりと、カーチスらしきものへと、視線を向けた。
「私は、あいつのお相手。ご指名だし」
「そ、そんな、無茶だ!」
「でも、私が逃げたら、巻き込まれる人が出るし。
時間稼ぎするから、その間に、お願い」
ゆっくりと、カーチスらしきものが、視線を向けてきた。
その視線が向けられたレティの、傍にいるだけで怖気が走る。
だめだ、ここにいては無駄死にだ、と男の中の何かが告げていた。
「く、くそっ……すまん、死ぬんじゃないぞ!?」
駆け出し、避難誘導の声を掛け始めた審判の背中を、ちらっと一瞬だけ見てから、改めてカーチスを見る。
鎧を内側から圧迫するような筋肉の膨張。
曝け出された顔は歪み、目が虚ろに窪んでいく。
ぶちん、と音がして、鎧のパーツが弾け飛んだ。
ゆっくりと、彼の身体が人以外の何かに変わっていく。
「レティさん!!」
王族席にいたエリーが叫び、愛用の小剣を投げたのが見えた。
見た目からは想像もつかない腕力を持つエリーの投擲は、狙い違わず小剣をレティの元へと運ぶ。
それを、ぱしっと受け取った。
「ありがとう、そっちをお願い」
と言ったのが聞こえたのか、唇で読み取ったのか、エリーがコクコクと頷いた。
目論見はまだわからないが、この状況で一番狙われる可能性が高いのは、王族であることは間違いない。
であれば、結界を使えるエリーと、レティ以上の腕前であるドミニクは、王族の側にいるべきだ。
それは、事前に打ち合わせていた。
だが、カーチスがああなるなど予想していなかったし、心配でないわけがない。
それでも落ち着いてその場に立つレティを、信じるしかなかった。
「さて。随分と男前になっちゃったね」
ふぅ、とため息を付きながら、小剣を鞘から抜き放つ。
理屈の上でも感情の上でも、あれを相手にするのは自分であるべきだ。
それは、わかっているのだが。
「さすがにそれは、どうかと思う」
カーチスだったものを、見上げた。
肥大した筋肉に覆われた身体、身長は3mをゆうに超えている。
オーガだと言われても納得するような巨躯と、鼻が曲がりそうな腐臭。
色々と誤魔化していたものが溢れ出し、暴走した魔力に飲み込まれてしまっている。
『フザケルナ……フザケルナ……』
その口から洩れるのは、ひたすらに、恨み言。
もはや、完全に亡者に堕ちたのだろうか。
「ふざけてるのは、そちらだと思うけれど。
まあ、いいや」
何かよからぬことを考えていたのだろう。
そして今や、人間の姿を捨てて化け物になっている。その肉は一体どこから来たのやら。
不思議なくらいに、落ち着いていた。そんな冗談じみたことを考えられる程に。
これもドミニクのせいだろうか、と愚にもつかないことを思いながら、小剣を構える。
「もう少しだけ、付き合ってあげる」
彼が、握った拳を振り上げて。振り下ろした。
音の壁を撃ち抜きそうな勢いで地面を打つ、が。
レティは既にその場から流れていた。
そこを目掛けて拳を横に払うが、レティの鼻先をかすめるも届かない。
その勢いで向き直り、正面にレティを捉えた。
と、思った瞬間に。
レティが前へと踏み込んだ。
彼が反射的に繰り出した拳は紙一重でかわされ、挙句、小剣が躍り、その腕を一度二度、斬りつける。
硬く分厚い表皮が、しかし、ざくりと切り裂かれ……ドロリとした何かが流れ落ちた。
だが、最早痛覚もないのか、構わずその腕をまた、振り払う。
その腕を、刀身に左手を添えた格好で受け、勢いに逆らわずに後ろに飛んで、離れた。
「……変なの。早くなってるのに、遅い」
ぽそり、そう呟く。
そう、巨大化した後、明らかに一撃は速く重くなっているというのに、それが先程よりもよく見える。
触れれば弾け飛びそうな拳は、先程の長剣よりも脅威を感じない。
あまりに力任せで、あまりに動きが丸見えだ。
足さばきだって、見られたものではない。
「これが、哀れ、という感情なのかな」
敵に向けるべき感情かはわからないが。
彼がまだ何か奥の手を隠していないか、に気を付けてはいるが。
するり、ゆるり。かわし、受け流し、避ける。
彼を中心に円を描き、付いて、離れて。その度に彼に傷を刻み込んでいく。
「……終わらせてあげる」
そう告げて。もう一度、攻勢に転じた。
拳が立てる音は、哀れなる亡者の怨嗟の声か。
届かない。届かない。届かない。
涼し気に踊る彼女には届かない。
積み上げられた恨みは、筋違いの怒りは、全て空しく床を打つ。
次回:カーテンコール
幕は、彼女の手で下ろされる。
※派生作品始めました!
「元暗殺者ですが、公爵家令嬢付きのメイドになった結果妙に懐かれてしまって、これはこれでとセカンドライフを楽しんでいます」
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1章で出てきた、リタが主人公の派生作品です。
公爵家にメイドとして勤めるリタの姿をぜひご覧ください!




