因縁、その向こう
しばらくレティの事を見ていた剣士だが、誰かに呼ばれでもしたのか急に顔の向きを変えた。
視線が外れたことで、感じていた圧力のようなものが弱まりはしたが。
とはいえ、決して遠くもない距離。
意識を逸らすわけにもいかず、目を離せずにいた。
そして、レティの方をもう一度だけ見て。
にやり。
と、笑ったように見えた。フルフェイスの兜で、表情など見えるわけもないのに。
そうして。
呼ばれたらしき方向へと、ゆっくりと歩き去っていった。
その姿が完全に見えなくなるまで、目を逸らすこともできず見送り。
完全に人混みに消えたところで、溜まっていた息を吐き出した。
「ふぅん、何やら訳ありみたいだね。
あんたがそんなになるだなんて、珍しい」
「うん、まあ、ね……ここだとちょっと」
もし仮に、彼だとして。
その彼と何があったかなど、こんな人混みの中で話せるものではない。
困ったような顔のレティから何かを察したのか、ドミニクは軽く頷いてみせた。
「ま、あんたの予選は最終組なんだ、どっかで一息入れながら話す時間もあるさね」
参加者の募集締め切りギリギリでの推薦だったため、レティは予選最終組。
最後に駆け込みでくる連中、勿体つけてくる連中、わけありの連中が組み込まれる、玉石混交の組だ。
「そういえば……さっきのあいつは、どの組なんだろう」
「あいつがいた辺りは、一組目の連中が集められるとこだったからね、多分最初の組だよ。
……見てくかい?」
ドミニクの言葉に、しばし考えて。こくり、と頷いた。
「多分、見たら確信できると思うから」
「なるほど、それももっともだ」
頷き返すドミニク。
そこに、エリーが横から声を掛けてきた。
「あ、じゃあ折角ですし、ツェレン様のお誘いに乗りませんか?」
「……ツェレン様のお誘い?」
初めて聞く言葉に、小首を傾げるレティ。
「実は、先日の酒宴の時にお誘いいただいてたんです。
予選を、王族席から見ませんかって」
「いつのまにそんな話を……でも、それなら丁度いい、かな。
……もしかしたら、話を聞いててもらった方がいいかも知れないし」
嫌な予感が、ひしひしとする。
なんとなく、放ってはいけない気がした。
エリーの申し出に、ツェレンはもちろん、バトバヤルも喜んで応じてくれた。
なぜならば。
「つまり、ドミニク姐さんの解説付きで見れるってことだろ?」
「そりゃまあ、お望みとあらば。ああ、ついでに酒の一つ二つも欲しいところですねぇ」
「そら、ないわけがないだろ、姐さん」
ということである。
ともあれ、歓迎されて王族専用の席から予選を見たのだが。
「なんですか、あれは……」
茫然としたツェレンの声が、誰にともなく呟かれた。
隣で、エリーも声を失っている。
それは、一方的な蹂躙だった。
最初に、無雑作に踏み込んだ。
3m以上はあろうかという距離を。
そして、軽々と剣を振るった。長大な剣を、まるで羽のように。
突然の接近に驚きながらも剣で受けようとできただけ、優れた剣士ではあったのだろう。
だが、防御が間に合わない速度で襲い掛かった剣は、金属鎧に身を包んだ剣士を、吹き飛ばした。
吹き飛んだ先に居た不幸な選手が一人巻き込まれ、盛大な音を立てて崩れ落ちる。
その非常識な音に驚いた選手たちが動きを止め、『彼』一人に注目を向けた。
多分、一番近くにいた一人が、視線があった。ただそれだけの理由だったのだろう。
次の瞬間に、薙ぎ払われる。
こいつはまずい、と本能的に悟ったのだろう、アイコンタクトを取って同時に仕掛けた二人が、その剣が届く前に横払いの一撃で仲良く転がった。
その隙を狙って背後から忍び寄った男は、ろくに間合いを図ることもしない振り向きざまの一撃で簡単に打ち倒される。
そこからは、一気に混乱の坩堝と化してしまった。
あまりの力の差を見て逃げ惑う選手、何とかして立ち向かおうとする選手があちこちでぶつかり合い、動きが止まったところを等しく刈られていく。
棄権を申し出て間に合った者はまだ幸い、間に合わずに背後から打倒された選手もいた。
様々な形で、そして例外なく無慈悲に。
呼吸を一つするたびに、一人、また一人と打ち倒されていって。
そして、大した時間も経たないうちに、観客の歓声どころかざわめき一つ聞こえない程に静まり返った闘技場の中央に立つのは『彼』一人になっていた。
「……おい、姐さん。ありゃ、なんだ? 人間か?」
「人間ですよ、間違いなく、ね。ま、ちょいと神様に愛され過ぎちゃいますが」
顔色を失ったバトバヤルと、それにつまらなそうに返すドミニク。
剣術大会なぞを主催する側の人間なのだから、本来であれば激しい試合や凄腕の剣士には燃えるバトバヤルなのだが、この光景にはむしろ寒気しか感じない。
これは試合などではなく、一方的な暴力であり、惨殺ショーというべきものだろう。
それを楽しむような感性は、バトバヤルにも観客にもなかった。
「やっぱり、あいつだ……なんで、どうして……」
「レティさん、あいつ、って……あ、まさ、か……?」
苦虫を噛み潰すような表情のレティをエリーが振り返って、その言葉に何かを思い出したような顔になる。
しかし、それが意味するところは。
「あの動きと太刀筋には覚えがある。あいつは……カーチスだ」
「でも、その人って、確か……」
「うん。……私が、殺したはずの、男」
その言葉に、バトバヤルの片眉が上がり、ツェレンが両手で口元を抑える。
護衛に付いている騎士達の間にも、動揺が広がった。
「あの人が死んでたの、私も確認してますよ……?」
「うん、私も念入りに確認してる。でも、あの動きは……他に考えられない」
何よりも、あのまとわりつくような気配。
見られていないのに見られているような、常に彼が張り巡らせた網に掛かっているような感覚は、他に感じたことがない。
「おいおい、死んだはずだってのにどういうこった、禁忌である死霊魔術でも使われたってのか?」
「そうとしか考えられない、かな……考えにくいけど」
死霊魔術。
人間や動物の死体に関与する魔術であり、死んだ肉体を動かしたり、別の魔物に変えることもできる魔術だ。
当然禁忌の魔術であり、普通の人間が使えるものでもない。
何より、当然死体が必要になってくるが、彼の遺体は例の遺跡の最深部にあった。
魔物の数が減ったといえども、そこに辿り着ける人間などそうはいないはず。
「だが、予選前には必ず、不正防止のために魔術がかかってるかの検査をするぞ?
うちの宮廷魔術師の感知を潜り抜ける妨害魔術を使える奴がいるってのかよ」
「そう。もし、そうだとしたら。
そんな連中が参加してる理由は、ろくでもないことのはず」
「そらま、そうだわな……」
カーチス一人でも十分面倒だというのに、その背後にそんな凄腕の死霊魔術師がいるとしたら。
何が狙いであるにせよ、国王であるバトバヤルが何某かの対応をせねばならないはずだ。
自身の命を守ることも含めて。
「お父様、その……彼を失格か何かで参加させないことはできないのですか?」
「そうしたいのはやまやまだが、そいつは無理だ。
魔術による不正を暴けないうちは証拠が足りねぇってのが一つ。
王族が選手を推薦した大会で、予選で異様な強さを見せた奴が原因不明の失格になったら、周囲からどう見えるのかってのがもう一つ。
不正が暴けりゃ、どうとでもできるんだが……」
大会最初の予選という、一番注目を集めるところで披露されてしまった彼という存在。
それを今更なかったことにするなど、到底不可能というものであろう。
であれば、どうすべきか。
バトバヤルが対策を考えているところに、気楽そうな声がかかった。
「なぁに、心配するこたぁないでしょ。
連中、わざわざ面倒な手順を踏んで大会に出てきてんだ、優勝が狙いなのは間違いない。
そんなら、イグレットの奴が優勝しちまえばそこで問題は解決ってね?」
にやり、とドミニクはいつもの自信たっぷりな笑みを見せる。
その言葉と表情に、バトバヤルとツェレンは絶句し、エリーはなるほど、と納得した顔になって。
「随分自信ありげに言ってくれるけど……私が殺れたのは、不意打ちだったから、だからね?」
困ったように眉を寄せたレティが、ぼやく。
だが、ドミニクはまるで意に介した様子もなく、気楽なものだ。
「はは、気持ちはわかるがね。
その時はその時、今は今、今のあんたなら話は別、ってね」
それから、ちらりと闘技場を眺めた。
すでに『彼』がいなくなり、それでもなお静まり返ったままの闘技場を。
「なにしろ、あいつは……虎みたいな奴だが、虎じゃない」
笑みを浮かべたまま、ドミニクはそう切り捨てた。
切り開くと決めた意志は、荒ぶる風に立ち向かう刃。
打ち据えようとする嵐も踏み分けて、前に進むを決めたはまさに己。
それが花開くは、まさに今。
次回:剣の舞・開演
それは流れる水のように。
※派生作品始めました!
「元暗殺者ですが、公爵家令嬢付きのメイドになった結果妙に懐かれてしまって、これはこれでとセカンドライフを楽しんでいます」
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1章で出てきた、リタが主人公の派生作品です。
公爵家にメイドとして勤めるリタの姿をぜひご覧ください!




