冬の朝・出立の日
翌朝、朝日が昇る前にレティは目を覚ました。
目を開ければ、間近に見えるエリーの顔。
昨晩の寝る直前に覚えている距離より近い気がして、なんだか少し、照れくさい。
抱き合った姿勢、足を絡めていた記憶はないのだけれど。
これはこれで、いっそう近づいている気がして、悪くない。
すぅ、と息を吸いこんだ。
鼻をくすぐる、華やかで甘い、エリーの匂い。
実は、こうやってエリーが寝ている間にエリーの匂いをかぐのが、最近の密かな楽しみだ。
吸いこむ度に胸の奥に暖かいものがじんわり広がり、身体の奥まで熱を帯びるような感覚。
身体も、心も、満たされるような感覚。
この感情を、なんと呼んだらいいのだろうか。
エリーに聞いてみればいいのに、聞くのはなんだか恥ずかしい。
だからいつもこうして、こっそりと浸っている。
ふと、エリーの顔を見つめた。
無防備で少しあどけなさも感じる寝顔。
……昨日索敵しとくとか言ってなかったっけ、なんて、ちょっと思ったりしながら。
観察するのに都合がいいから、それは黙っておく。
いつまでも、こうして眺めていたいけれど。
窓の外が、少しずつ明るくなり始めてきた。
そろそろ、起きなければいけない時間になる。
残念だけれど、起こさないといけない。残念だけれど。
「エリー、起きて。そろそろ時間だよ」
「んっ……あふぅ……あ、レティ、さん……おはようございますぅ……」
可愛い。そう思って、思わず抱きしめそうになるのを、なんとか踏みとどまる。
「ほら、しっかりして。今日はまた仕事に出かけないといけないんだから」
「わかってますぅ……は、ふぅ……ちょっと昨日、寝つきが悪くてぇ」
大きな欠伸を一つ。もぞもぞと身じろぎをされると、そのくすぐったさに身じろぎしてしまう。
そう。こうやって起こそうとしている当のレティが、まだ布団から出ていない。
エリーも起き抜けからしばらくして意識がある程度はっきりしてきたころには、そのことに気づいていた。
だが、そのことを指摘するつもりは毛頭ない。
互いの思惑が一致した結果。
布団の中で起きる起きないのやりとりが延々続くことになった。
そうは言っても、約束の時間に遅れるわけにもいかない。
時間に間に合うようにと、二人ともしぶしぶながら布団から抜け出して出かける準備を始める。
しゅるり、と無造作にシャツを脱ぎ、無雑作に、かつ体積が最低限になるように畳む。
と、視線を感じて、エリーの方へと振り返った。
「エリー? どうか、した?」
「あ、いえ、その。
なんだか、前よりも肉付きがよくなったかなぁって」
「……そう?」
言われて、自分の腕に目を落とす。
相変わらず細く、筋肉の筋ばかりが目立つ腕だが、言われてみれば少しだけ前より太くなったかもしれない。
「筋肉がついてきたのだったら、それはそれでいいのだけど。動きが重くならなければ」
「あ、そういう感想なんですね……レティさんらしいですけど」
呆れたようなエリーの声に、他に何があるのだろう、と小首を傾げる。
どこまで教えてあげるべきだろうか。
変に教えてレティが色気など身に付けてしまえば、変な虫がわんさとよってくるに違いない。
しかしこのまま無頓着なのももったいないにも程がある。
などとエリーが悶々としている間に、レティは衣服を身に着けてしまっていた。
「エリー、そのままだと寒くない?」
「え、あ、は、はいっ、着替えますね」
慌てて自分の寝間着を脱ぎ、着替えながら、先程のレティの姿を改めて思う。
やはりここは、自分も思い切るべきだろうか、と決心して。
「あの、レティさん」
「ん、何?」
「今度、ヌードデッサンもさせてもらえませんか!」
そう、これは芸術のために必要なこと。技術の練習なのだ。
という大義名分のままにぐぐいと押してみたが。
「え、やだ。
全裸だとさすがに寒いし」
一度瞬きをしたレティは、きっぱりと断った。
それはもう容赦なく、ばっさりだった。
「そんな!? じゃ、じゃあ、暖かくなったら、その時には!」
「え……なんでそんな必死なの……変なの」
今度は、レティが呆れたような声を漏らす。
それでも、あまりにしょんぼりと気落ちするエリーがかわいそうだったのか、小さく笑って。
「もう、じゃあ、暖かくなったら考えるよ」
そう言った途端に、エリーががばっと顔を上げた。
「言いましたね!? 聞きましたからね!? 絶対、絶対ですよ!?」
その必死な形相に、苦笑を漏らしながら。
少しだけ、意地悪な気持ちが湧き出てしまった。
「うん、考えるのは、ね」
「そ、そんなっ! あ、でも、それでもまだ可能性がっ!」
そんな自分の言葉に一喜一憂するエリーの表情を見ていると。
本当に、真面目に考えてあげようかな、などと思ったりもするが。
結局そのことは口に出さず、見守るだけだった。
そんなどたばたを繰り広げながらも準備はし、きちんと時間通りに集合場所へと着くあたり、こうしていてもプロ意識はしっかりしているらしい。
ともあれ商人の店に着くと、商人と先についていたドミニクが待っていた。
「ああ、お二人ともおはようございます。今日はどうもありがとうございます」
「おはよう、お二人さん。
で、イグレット、結論は出たかい?」
出迎えた二人のそれぞれの挨拶に、それぞれ返して。
ドミニクの問いかけに、やはり直接目の当たりにすると若干感じる胡散臭さに一瞬だけ言葉に詰まる、が。
「うん、決めた。
私は、あなたから剣を習おうと思う」
まっすぐにドミニクを見据えながら、はっきりと、そう告げる。
途端、ドミニクの自信たっぷりの笑みが、実に楽し気なものへと変わった。
ぱんっ、と両手を打ち合わせて、すり合わせながら。
「よおし、話は決まりだ! ならこっちは、きっちりしっかりやらせてもらうよ。あんたもしっかりついてきな。
ああ商人さん、道中の休憩時間に軽くイグレットと手合わせするくらいは構わないだろ?
もちろん護衛はきっちりやる、おまけに休憩時間にちょっといいもんが見られるって寸法だ、お得なもんさ」
「ええもちろん、お三方の腕はよく存じておりますし、しっかりやってくださるのはわかっております。
で、そこで見聞きしたことを酒場や取引先で話してしまうのは仕方ないことですよね?」
「はっはっは、お前さんも抜け目ないねぇ、いいよ、あたしゃそういうの好きだよ!」
すっかり意気投合したらしい二人のやり取りに、やはり少しだけ後悔してしまうけれども。
ふと、隣に並んでいるエリーと軽く視線を交わし、肩を竦める。
隣に彼女がいるのならば、きっとなんとかなるだろう。
そんなことを、思っていた。
雑多な荷物。騒々しい人々の行き交い。
ここには、人の暮らしの縮図がある。
そして、生き様や誇りも。
次回:商人の心意気
意気に感ず、を実感する。
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