Ⅻ 家族
「へーかー、こいつ死んじゃったよ。まだ体半分残ってるくせに情けないのー。」
高く見積もっても百五十より小さい少女の振り回したツヴァイヘンダーが海蛇の巨体を輪切りにしていく。
耳に障る哄笑は絶えず、血の雨が辺りに降り注いだ。
彼女に名前はない。人々が気付いた時には大剣をその手に血と殺戮を愛する魔女と呼ばれていた。
切り裂いた拍子に溢れた海蛇の胃の内容物を蹴り飛ばし、再び兇刃を振り回した魔女を尻目に、エルランディードとロバートは灰に変わりゆく街を見渡した。
何もかもが終わってしまった地獄の風景だ。
「あの海蛇は火を噴かなんだ。しかし、街と民は炎の底、か。」
「下手人が他に? まさか、あの冒険者が……。」
「いや、それはなかろう。余と奴らの間にそんな時間はなかった。抵抗する者を討ち、逃げる者を殺し、街を焼き尽くす。常人ではそれなりの手間がかかるだろう。」
加えて、エルランディードは海蛇の負っていた傷から感じる魔力の残滓でリーブラたちが海蛇と敵対したことも確信していた。
異常に巨大化した魔物、未だ正体を現さぬ謎の敵。
少し追っただけでこれだけ怪しい案件に引き合わせてくれるとは、とエルランディードの期待が膨らむ。
「この街は最早どうにもならぬ。発つぞ。」
「御意に。」
散った者たちを集めるためにロバートが傍を離れると、空気が震えた。
絶念を露に転がる無数の亡骸を見るエルランディードの眉が僅かに歪んでいる。
ただそれだけで大気が畏怖に震撼したのだ。
彼自身が“王の表情”ではない言う負の想念を出した顔をしていることは重大なこと。
ただ眉を歪めた、それだけに見えて彼の器中では民草を無為に虐殺された瞋恚が荒れ狂い、一頭のドラゴンとなって疾呼を轟かせている。
「余は王ぞ。人の、亜人の、獣人の、獣の、虫の、草花の、生あるもの全ての王ぞ。営みを外れ、快楽で余の民を摘んだ罪科の裁き、如何にせん。」
金紅の波動に頭を垂れるが如き様相で街の炎が鎮まっていき、遥か天空の雲は穴を穿って陽光を差し入れる。
彼の怒りを知った魔物は逃げ出し、獣はその輝きを見上げた。
「陛下、命じて下されば我がツヴァイヘンダーを以て必ずや怨敵を斬り潰してみせましょう。」
エルランディードの怒りで狂気を鎮められた魔女が大剣を捧げて跪く。
この世で唯一人、彼女を人に戻すことができる王に信仰の形を示すために、名も無き少女は命という楔を欲した。
求道の輩となってしまえば、彼女はどんな敵も無限に討ち滅ぼしてしまえる。
四肢を落とされようとも。
心臓を抉られようとも。
首を刎ねられようとも。
必ず、だ。
「良い。断罪は余が手ずから行わなければ意味がない。余のみが“罪”に刃を立て、精算をしてやれるのだ。他の者では一つの人殺が増えるだけに終わってしまう。」
「御身の思うがままに。」
「だが、そちの働く場もあろう。その時は忠誠を見せて貰うぞ?」
「仰せのままに!」
今日、この時。
否、街を襲って王に刃を向けた瞬間、未だ謎の敵は命運を蓋がれていたのだ。
エルランディードが焼け落ちた都市にいた頃、リーブラたちは西に馬車を走らせて隣の街に入っていた。
煙や炎の輝きで何かが起こったことを察知していた隣の街に情報を持ち込んだ彼らが領主や各ギルドの代表に全て伝えていた時、燃える街の方角で光の柱が天を貫いた。
次々と変わる状況に対応を決めかねた領主が街を封鎖して厳戒態勢を取ることを決定。
騎士団と依頼に応じた(主に貧乏な)冒険者が街の防備を固めた。
もちろん、休暇中のリーブラたちは宿に入って休息を取っている。
王国領に渡る船も全て停泊するよう命令が出たため、足止めを喰らってしまったのだ。
「ったく、何処も店閉めやがって。拾ってきたのはどうしてる?」
「女衆が風呂に連れていったぞ。」
「ああ、汚かったもんな。それで何か街で起きたことについて言ってたか?」
「いや、それがな……。」
「PTSDだよ。自閉症と、失語症になるのかな? 何も聞けなかった。」
「あー……まぁ、無理もないか。」
人気がない宿の食堂でだらだらと過ごしている以外にない彼らは我が物顔で寛ぐ。
宿の経営者夫婦から非常時に働かない不届き者として冷たい目で見られても何のその。
伊達に帝都のギルドで危険人物扱いされていた訳ではない。
机や椅子に寝転がって無駄な時間を過ごす三人は終いには眠り始め、静かな食堂に寝息を響かせた。
「……肉が一皿……肉が二皿……まだまだ足りない……。」
「……おっぱい論争……集中……。」
「……クラリスの足裏……アキレス腱……HU・KU・RA・HA・GI……。」
男の頭の中などこんなものだろう。
多分、食べることかエロいことしか考えてない思っていい。
一時間後に帰ってきたクラリッサスが凄まじくうんざりした顔で三人を起こすか迷ったことも無理はない。
「別にそう言ったことに興味があることが悪いという訳ではありません。しかし、時と場合や、そもそも立ち居振舞いを考えて――……。」
「(だりー。)」
「(嫌な夢を見ていた気がする。)」
「(何故私まで……。)」
「聞いていますか!?」
「うぇーい。」
「はい。」
「うむ。」
「全く……。もういいです。それよりこの子のことを話し合いましょう。」
隣に座っている鳥人族の少女を撫でたクラリッサスに促された三人は揃って目を向けた。
俯いたまま動かなかった少女も微かに顔を上げた。
しかし、それだけ。
「怖がってるじゃないですかっ。ごめんなさいね? この人たちはママの旦那様と友達ですから、味方ですよ。」
「うんっ!? ママァ!?」
「この子がそう呼ぶんです! あの五月蝿い人がママの旦那様で、貴女のパパになる人ですよ。」
「……パパ……だと?」
目が点になるとはこういうことを言うのだと言わんばかりに驚いたリーブラは妻に向き直った。
「お前いつの間にうわ。」
「ぶち殺しますよー、あ・な・た。」
「げふんげふん。詳細な説明を要求する。」
「…………。湯浴みの際に本人に聞いたのですが、この子には親や身内と呼べる人がいないと。ああ、あの街で亡くなったのではなく、いなかったようです。」
「それはつまり、孤児ってことか?」
「恐らくは。ほとんど話せないので詳しいことまでは分かりませんが。それで、湯浴みの面倒を見ていたら、私を母と。」
少しだけ事情を把握したリーブラはそれ自体に思うことはなく、むしろ失語症について追加の説明を求めた。
しかし、それについてもそれほど良い情報は得られなかった。
簡単な単語が幾らか話せることは分かったが、襲撃のことや長い話を試みると体調に著しい変調をきたしたそうだ。
現にその説明を聞いただけで少女はじっとりと発汗して青褪めてしまった。
「で、お前は引き取りたいんだな?」
「当前です。」
「……リコッテ、ライカ。育児の知識はあるか?」
「はい。」
「問題なく。」
「仮に、仮にだぞ? 引き取らなかった場合、どういうことになるんだ?」
「別の引き取り手を探すことになり、見付からなければ……その時を待つだけかと。ああ、容姿は良いので男性に拾われるかも知れませんが。」
「お前は今日からうちの娘だ。」
新しい家族の頭を撫でたリーブラは席を移動してクラリッサスの隣に座った。
じっと彼を見詰める少女を抱き上げて夫の膝に乗せたクラリッサスは悪戯な笑みを浮かべて何事か囁きかける。
一つ頷いた少女が顔を上げてか細い声でリーブラを呼ぶ。
「……パパ?」
「んー、パパだよー!」
デレデレだった。
リーブラ所持金-1520G
アッシュ所持金-2840G
クラリス所持金50860G
パーティ所持金456280G(+4360)




