第14話 正しいこと
僕が魔家に戻ったのは、深夜になってからだった。
中の魔明は消され、静寂が広がっている。
音を立てないように入口を閉めた僕は、取り敢えず着替えようと思ったが――
「遅かったわね」
リビングのソファーに座っていたルナから、声を掛けられた。
まだ起きているとは思っていなかったので驚きつつ、淡々と返事をする。
「少し手間取ってな」
「そう。 とにかく、体を拭きなさい。 そこにタオルを置いてあるから」
立ち上がったルナが指差した方に目を向けると、確かにタオルが置いてあった。
それも4枚。
どうしてこの結果になったのか察した僕は、苦笑してルナを見る。
すると彼女は憮然としながら目を逸らし、やはり不満そうに言葉を紡いだ。
「最初に用意したのはわたしなのよ? それなのに、あの痴女たちがあとから追加したの。 本当に邪魔よね」
「そんなことはない。 この有様だからな、数は多いに越したことはなかった」
「……それ、わたしだけでは足りなかったって言いたいの?」
「違う。 ただ、姫様たちの気持ちも有難いって話だ。 言うまでもなく、ルナもな」
「何か釈然としないけれど……許してあげる」
やはり不服そうなルナに改めて苦笑を浮かべ、僕は3枚のタオルで体を拭いた。
残りの1枚は、お風呂に入ったあとに使わせてもらおう。
そう考えた僕はバスルームに向かおうとしたが、一歩踏み出す寸前でルナが声を滑り込ませた。
「ねぇ、シオン。 どうして何も言ってくれないの?」
「何のことだ?」
「とぼけているの? それとも、本当に自覚していないの? 今の貴方、凄く辛そうよ」
ルナの問い掛けに、心臓が小さく跳ねた。
隠していたつもりだが、まさか気付かれていたとは。
とは言え僕も、自分の気持ちを正確に把握出来ている訳じゃない。
それゆえに、話せることは限られている。
「心が乱れている自覚はある」
「やっぱり。 あの女に言われたことが、そんなに堪えた?」
「……聞いていたのか?」
「まぁね。 魔道具マニアと同意見なのは気に入らないけれど、わたしも腹が立ったわ」
「彼女を責めるな。 気持ちは、わからなくもないからな」
「じゃあ、シオンが間違っていたって言うの? 襲われていたあの女を、助けるべきではなかったって?」
「……そうは言わない」
「痴女姫に聞いたわ。 貴方が旅に同行したのは、正しいことだと思ったからだって。 つまり、貴方の行動基準は正しいかどうかなのね?」
「全てじゃないが……そうだ」
「それなら、今回のことはどうなの? あの女を殺すか、生かすか、どちらが正しいと思う?」
ルナに詰め寄られた僕は、すぐに答えを返すことが出来ない。
最初は助けるのが正しいと思った。
しかし、修道女は死にたいと言っている。
この場合、彼女の意思を尊重するべきなのか。
それとも……。
タオルを握り締めて懊悩している僕を、ルナは黙って見つめていたが、唐突に背を向けた。
それが何を意味しているのか、一瞬わからなかったが――
「やめろ」
「放して」
「彼女を殺すつもりだろう?」
「そうだけれど、何か問題があるの? あの女は死にたがっているのでしょう?」
「それはそうだが……」
「シオンは答えを出せないようだから、わたしが代わりに始末してあげるわ。 そうすれば、貴方は余計なことを考えずに済むじゃない」
ルナの言葉は、僕にとって甘い囁きだった。
確かに彼女が手を下してくれたら、僕はこれ以上悩む必要がない。
どうせ、名前も知らないような相手。
死んだところで影響は皆無。
だが――
「……何のつもり?」
直剣を生成して、ルナに突き付けた。
理由はわからない。
ただ、彼女をこのまま行かせられないのは、はっきりしている。
思考がグチャグチャになって、吐き気がして来た。
それでも……逃げる訳には行かないんだ。
「彼女を殺させはしない」
「どうして? それが正しいことだから?」
「……違う」
「あら? 貴方は正しいことをしたいのよね? だったら、おかしくないかしら?」
挑発的な笑みを浮かべるルナ。
対する僕は、恐らく厳しい顔をしているだろう。
この場で優位に立っているのは、明らかに彼女。
もっとも……それも、ここまでだ。
1つ深呼吸した僕は、自分に言い聞かせるように思いを口にする。
「僕がそうしたいからだ」
「ふぅん……あれだけ正しいことに拘っていた人が、急に利己的になったわね」
「そうだな。 あの修道女は死にたがっている。 もしかしたら、そうさせてやるのが正しいのかもしれない。 だが、僕はそれを許さない」
「矛盾しているわよ」
「あぁ。 結局のところ僕は、自分が望むことをしたいだけの、わがままな人間なんだ」
自分の醜さを認め、真っ向からルナに言い放つ。
それを受けた彼女は、真剣な顔になった。
次は何を言われるかと、身構えていたが――
「それで良いのよ」
柔らかな微笑を咲かせたルナを見て、目を見開く。
まさか、肯定されるとは思っていなかった。
意外な展開に戸惑っていると、ルナはクスリと笑って僕の頬に手を添える。
体が冷えているからか、それとも別の理由か、彼女の温もりがとても心地良い。
緊張が解けた僕が直剣を消すと、ルナはこちらを見つめて言葉を紡いだ。
「シオン、正しさなんか、100人いれば100通りあるのよ」
「ルナ……」
「勿論、一般的な常識とかルールは存在するわ。 でも、それすらわたしは、あやふやなものだと思っているの」
「そうなのか……?」
「えぇ。 だって、わたしにとって人を殺すのは、生きる為に必要なことだったの。 人を殺さなかったら、わたしが死んでいたもの。 だから、わたしはその選択が間違っていたとは思わないわ。 きっと、ろくな死に方はしないでしょうけれどね」
自嘲気味に笑うルナ。
彼女がそうなら僕も同じか、もっと酷い結末を迎えそうだ。
そんなことを考えていると、今度は不機嫌になったルナが言い募って来た。
「そもそも、わたしのときは殺してくれなかったくせに、あの女のときは悩んでいるのはどうして? わたしとあの女の、何が違うって言うのよ?」
確かに、ルナも死にたがっていたのは同じ。
ところが、そのときの僕は迷うことなく却下した。
それは何故かと聞かれて考えてみたが……答えはこれかもしれない。
「たぶんだが……ルナは、自分から可能性を捨てるように見えたんだ。 だから、それを止めたいと思った。 しかし、あの修道女には本当に生きる希望がないのかもしれない。 大事な人を失って、1人になる辛さは知っているからな」
自信を持ってそうだとは言えないが、それほど間違ってはいないと思う。
僕の説明を聞いたルナは神妙な面持ちで沈黙したかと思えば、どこか拗ねたようにそっぽを向いて声をこぼした。
「だったら、貴方がなれば良いじゃない」
「何……?」
「希望がないって言うなら、貴方があの女の生きる希望になれば良いのよ。 ……わたしのときみたいに」
「僕が……」
「本当は嫌だけれどね。 シオンは、わたしのものなんだから。 でも……貴方が辛そうにしているのを見る方が、もっと嫌なの」
「……有難う」
「お礼を言われることではないわ。 それに、ずっとでもないわよ? あの女が、自分で希望を見付けるまでの話だから」
「……と言うことは、ルナもそうなんだな?」
「わたしはずっとよ」
間髪入れずに言われて、思わず苦笑する。
そのことが不服だったのか、ムスッとした顔でルナが言い返して来た。
「シオンも一緒よ」
「一緒? 何がだ?」
「いつまでも、エレンって女に言われたことだけをしていないで、もっと自分の意思を持ちなさいってこと。 今回は、その切っ掛けだと思いなさい」
「……そうだな」
正しいことに力を使う。
この想いに嘘はなかったが、それはエレンに言われたから。
つまり僕は、エレンの望みを叶えたかっただけで、本当は正しいことになんか興味はない。
いや、それすらも違う。
他の選択肢がなかっただけだ。
エレンを失って自暴自棄になっていた僕には、彼女の望みを叶えると言う生き方しか残されていなかった。
だが、今の僕はどうだ?
本当にそれしかないのか?
違う。
僕には仲間がいる。
様々なことを経験した。
まだまだ未熟とは言え、それは間違いない。
僕はエレンから学び、エレンに守られ、エレンに逃げていた。
ニーナと会って囚われないと誓いながら、囚われたままだったんだな……。
しかし、今度は違う。
もう、エレンに甘えるのは終わりだ。
ここからは、自分の道を歩いてみせる。
静かに瞑目した僕は深く息を吐き出し、ゆっくり目を開いて宣言した。
「ルナ、僕はあの修道女を生かしたい」
「そう」
「彼女の意思に反するかもしれないが、死なせない」
「良いんじゃない?」
「ただ、僕は彼女に恨まれているだろうから、手を貸して欲しい」
「それは断るわ」
「……そうか」
ルナに拒否された僕は、少しばかり落ち込んだ。
ところが――
「だって、必要ないもの。 ねぇ?」
ルナが階段の方に向かって呼び掛けると、姫様とリルム、アリア、そして――修道女が現れた。
動揺していたとは言え、この距離でも気付かなかったのは不覚。
まぁ、彼女たちに害意がないからではあるが。
それはそれとして、姫様たちの姿を見た僕は衝撃を受けている。
「シオン、さん……」
「ぐすっ……シオンのばかぁ……」
「ひっく……うぅ……」
姫様はポロポロと涙を流し、リルムは鼻をすすり、アリアは口を手で覆って嗚咽を我慢。
彼女たちに心配を掛けたことを申し訳なく思うと同時に、嬉しくもあった。
敢えて何も言わなかった僕は姫様たちに頭を下げ、修道女と向き合う。
彼女はこちらを見ては目を逸らすと言う行為を繰り返していたが、泣きながら微笑みを浮かべた姫様に優しく背を押されて、覚悟を決めたらしい。
何度か深呼吸を繰り返した修道女は、こちらに真摯な眼差しを向け――
「ごめんなさい……」
深々と頭を下げた。
それに対して僕はどう答えれば良いかわからず、黙り込んでしまう。
すると彼女は、頭を下げたまま懺悔を始めた。
「助けてくれたのに、酷いことを言ってごめんなさい……。 貴女は何も悪くない……ううん、命の恩人なのに……。 わたしのことを、そこまで真剣に考えてくれてたのに……」
ポツポツと、修道女の涙が床に落ちる。
それを見た僕は小さく息を吐き、歩み寄った。
彼女は怯えたように震えたが、構わず肩に手を置いて頭を上げさせる。
涙でクシャクシャになった顔を正面から見据え、噛んで含めるように言い聞かせた。
「すぐじゃなくて良いです。 いつか、希望を持って生きられるようになって下さい。 それまでは、僕が手を貸します。 困ったことがあれば、遠慮なく言って下さい」
「……ッ! うん、有難う……!」
堪え切れなくなったように、修道女が抱き着いて来た。
震える体を優しく包み込み、あやすように背中を撫でる。
姫様たちの涙混じりの声も聞こえるが、努めて気にしていないように振る舞った。
ルナをチラリと窺うと、興味なさそうなふりをしながら目が少し潤んでいる。
強がりな彼女も含めて少女たちを泣かせてしまったことは、反省しなければならない。
だがこれも、必要なことだったと思える日が来るだろう。
そのまましばしのときが経つと、なんとか落ち着きを取り戻した修道女が体を離し、羞恥に塗れた顔で口を開いた。
「ご、ごめんね? もう大丈夫よ」
「それは良かったです。 ただ、無理はしないで下さい」
「えぇ、有難う。 あ……遅くなったけど、わたしはサーシャ=リベルタって言うの。 貴女は?」
「僕はシオン。 シオン=ホワイトです。 よろしくお願いします、サーシャさん」
やっとのことで自己紹介した僕たちは、笑顔で握手を交わした――が――
「よろしくね、シオンちゃん」
「……ちゃん?」
「え?」
「……もしかして、知らないんですか?」
「えっと、何が?」
キョトンと小首を傾げるサーシャさん。
それを見た僕が少女たちを眺めると、一斉に目を逸らした。
どうやら、全員が忘れていたらしい……。
盛大に嘆息した僕はサーシャさんと目を合わせ、聞き間違えようのないほどはっきりと声を発する。
「僕は男です」
「……へ?」
「ですから、男性です。 女性じゃありません」
「あ、あはは……。 う、嘘よね? だって、そんな訳……」
ふらりとよろけたサーシャさんは、顔面蒼白とさせて姫様たちを見渡したが、現実は変わらない。
全員が僕の言葉に無言で同意しており、それを悟った彼女は――
「男性……わたし抱き着いて……はぅ……」
失神した。
咄嗟に抱き留めたが、このことは言わない方が良さそうだ。
先に説明していなかったとは言え、ここまでの反応は予想外。
もしかしたら、サーシャさんは男性恐怖症なのかもしれないな……。
そうなると、やはり周りのサポートが必須な気がする。
前途多難な予感を抱きつつ、いろいろと吹っ切れた僕は、どこかスッキリした気分だ。
その後、気を失ったサーシャさんを姫様たちに任せてお風呂に入り、冷え切った体を湯船で温めるのだった。




