第1話 特訓のち死闘
薄く雲が広がる、晴れの空。
迷いの森での激闘を切り抜け、早くも3日が経とうとしている。
僕たちが今いるのは、何の変哲もない小さな村。
本来ならとっくに出発している予定だったが、この先のマウナ山で落石があり、撤去作業を待つ為に足止めされた。
迂回する手段もあったのだが、姫様たちからある提案をされたこともあり、村に留まっている。
その提案とは――
「はぁッ!」
裂帛の気合を込めて繰り出された、姫様の刺突。
それを右の直剣で受け流した僕は、左の直剣で反撃しようとしたが――
「やぁッ……!」
背後から振り下ろされた、アリアの大剣。
振り向き様に右脚で後ろ回し蹴りを放ち、剣身の腹を弾いて斬撃を逸らす。
体勢を崩されたアリアに直剣を突き出そうとしたが、またしても邪魔が入った。
「喰らいなさいッ!」
直線、曲線問わず、いろんな軌道で飛来する【火球】。
リルムめ、またしてもアレンジを加えたようだな。
姫様とアリアから距離を取りながら、【火球】を撃墜する。
その間に2人は立ち直り、リルムを後衛とする陣形を組んだ。
もうわかっただろうが、彼女たちから提案されたのは僕との訓練。
迷いの森での戦いを経験した姫様たちは、自らの力不足を痛感したらしい。
僕からすれば悲観するほどじゃないんだが、やる気になっているところに水を差すつもりもなかった。
ちなみに、リルムが用意した魔道具を用いて、怪我を予防している。
選別審査大会で使っていた物と同質の魔道具だが、任意で効果範囲を変更出来るように改善したそうだ。
その代わり範囲は狭くなったとは言え、この広場くらいなら問題ない。
朝から訓練は行われ、昼前には終わる。
その後は休憩を挟んでから、個人訓練に励んでいるようだ。
流石に数日で劇的な変化は見込めない――と思っていたが、想像以上に成長している。
特に姫様の上達が目覚ましく、今ならもっと楽にミゲルに勝てるはずだ。
恐らく今までは、自分と同等以上の相手がいなかったせいで、思うように訓練出来なかったのだろう。
だが……この程度で満足してもらっては困る。
内心で声を落とした僕は、訓練終了時間が迫っているのを確認して、攻勢に出た。
突然加速した僕に姫様たちは戸惑う――ことなく、落ち着いている。
どうやら、僕がそろそろギアを上げるとわかっていたらしい。
これに関しては時間から逆算したはずなので、褒めるには至らない。
ただし、対処そのものは見事。
姫様が最前線で僕を迎え撃ち、背後でリルムが力を溜めている。
その一方でアリアは隙を窺っており、こちらにも意識を割かなければならない。
中々上質な連携で、これなら大抵の敵には通用するはずだ。
しかし、ここは敢えてその上を行く脅威を演じよう。
おもむろに左の直剣を投げ放った僕に対して、姫様は大盾を構えた。
不意を突いたつもりだったが、完璧に防がれてしまう。
ところが――
「【閃雷】」
「え……!?」
「うッ!」
姫様が直剣を受け止めた一瞬の隙に、魔法を発動してリルムを狙い撃った。
双剣による手数の多さは、何も接近戦に限られない。
いかに堅固な防御力を誇ろうが、その力を発揮出来なければ無意味。
胸を撃ち抜かれたリルムの魔道具が赤く発光し、戦闘不能となった。
そのことにリルムは憮然としつつ、大人しく受け入れている。
残るは姫様とアリア。
そう頭が考えた瞬間、死角からアリアが大剣を振り上げた。
【神域】を通して見えた彼女の顔には、極めて冷たい表情が張り付いており、紛うことなき本気だと察せられる。
優しい彼女が訓練では全力を出していることに胸中で満足した僕は、それに応えるべく力を解き放った。
「【降雷】」
「……ッ!?」
上空から落ちた雷によって、剣身を圧し折られた大剣。
ほぼ握りだけになったことで空振りに終わり、そのときになって反転した僕は、そのまま肘をアリアの鳩尾に叩き込む。
途轍もない衝撃があったようだが、アリアは倒れることなくこちらを見据えていた。
それでも魔道具は赤く光っているので、脱落したことに違いはない。
あと1人。
油断なく振り返って、静かに神力を練り上げる僕。
輝く神力を高め、最後の攻防に備えている姫様。
リルムとアリアは戦闘態勢を解いて、こちらをジッと見つめている。
空気がピンと張り詰め、遂にそのときが訪れた。
「【白牙】」
地面に亀裂が走り、瞬間移動の如き速さで放たれる単発突き攻撃。
発動後に動いては間に合わないが、姫様は素晴らしい反応を見せた。
完全に追い付いてはいないものの、大盾の面積を利用して、間一髪で【白牙】を受け止める。
だが、不完全な状態だったせいで体が仰け反り――
「ここまでです」
「……はい」
首筋に直剣を添えて、告げた。
姫様は無念そうにしながらも笑みを浮かべ、大きく息を吐き出す。
そこにリルムとアリアが歩み寄り、それぞれの思いを口にした。
「あ~、もう! また負けた~! ちょっと、お姫様! もっとしっかり守りなさいよ!」
「うるさいですね。 リルムさんこそ、わたしに頼らないで自分でなんとか出来ないのですか?」
「お、お2人とも、喧嘩しないで下さい。 わたしなんて、武器破壊されたんですよ……? ショックです……」
訓練中から一転して、騒がしくなった美少女たち。
頭では僕に勝てないとわかっていても、やはり負けるのは悔しいのだろう。
尚も姦しく言い合っている3人にこっそり苦笑を浮かべた僕は、今日の総括を述べることにした。
「リルム、軌道を不規則にしたアレンジは良かったぞ。 以前より避け難かった」
「それはどーも。 結局当たんなかったけどね!」
「そう拗ねるな。 欲を言えば、緩急が欲しいところだな」
「緩急?」
僕のアドバイスを聞いて、それまで不機嫌そうだったリルムが聞く耳を持った。
態度こそ子どもっぽいものの、彼女もこの訓練に真剣なのは同じ。
それゆえに僕は、出来る限りのことをしようと決めている。
「そうだ。 格下相手なら気にするまでもないが、強敵と戦うときは軌道だけじゃなく弾速にも変化を付けてみろ。 一定の速度で撃たれるよりも、嫌なはずだ。 最速で撃って確実に当てられるなら良いが、【火球】は元々そこまで速い魔法じゃない」
「なるほどね……。 わかった、ちょっと試してみる」
「言うまでもないが、他の魔法との組み合わせも大事だ。 キミがどれだけの魔法を使えるのか知らないから、その辺りは自分で考えてみてくれ」
「りょーかいよ、シオン大先生」
最後の最後で、ふざけたように言ってのけるリルム。
そんな彼女を前に苦笑を禁じ得なかったが、すぐに表情を改めてアリアと向き合った。
僕に見つめられたアリアは、緊張した面持ちでこちらの言葉を待っている。
彼女は自分を卑下しがちなので、言葉に気を付けなければならない。
「アリア、キミの剣技と体捌きは見事の一言だ。 この数日で、更に磨かれている」
「……有難うございます」
「嘘でもお世辞でもないぞ? ただ、足りない部分があるのも否定出来ないが」
「それは何ですか?」
褒められたときよりも、足りないと言われたときの方が食い付きが良い。
向上心の高さがそうさせるのだろうが、自信を失わないようにしてやらないとな。
「さっきも言ったが、アリアの剣技のレベルは相当高い。 だが、唯一警戒が疎かになる瞬間があるんだ」
「警戒が疎かになる瞬間……」
「あぁ。 それは、背後や死角から攻撃するときだ。 心理的に当たると思ってしまうのかもしれないが、高レベルの聖痕者や魔族に死角は存在しないと思っている方が良い」
「……わかりました」
「しかし、神力を制御した気配の消し方に関しては、飛躍的に上手くなっている。 キミほどの使い手の気配が掴み難いのは、相手にとっては脅威だろう。 これからも、その調子で訓練して欲しい」
「は、はい、有難うございます!」
落ち込みそうだったアリアにプラスの材料を与えたことで、最終的には持ち直したらしい。
デリケートで扱いは難しいが、素材としては超一級品。
リルム同様、今後が楽しみだ。
そして最後に待ち受けているのは、『輝光』である姫様。
力強い眼差しでこちらを見ており、逸る気持ちを抑えているのがわかる。
もっとも、僕が彼女に求めるのはただ1つ。
「自己採点は何点ですか?」
「……35点です」
「随分と厳しいですね。 僕の採点では60点くらいありますが」
「それは甘過ぎますよ。 良くて40点と言ったところでしょう」
相変わらず強情な人だな。
まぁ、それだけ自分に高いハードルを課しているのだろうが、それは段階を踏んでこそ。
いきなり高い目標を設定しても、辛くなるだけだ。
とは言え、それを伝えたところで受け入れるとは思えない。
だからこそ僕は、事実だけを告げる。
「最初は【白牙】に反応すら出来ませんでした」
「はい……」
「次の段階では、大盾を弾かれていました」
「そうですね……」
「しかし今日は、不完全ながら防ぐことが出来ました」
「……」
「納得は出来ないかもしれませんが、確実に姫様は強くなっています。 近いうちに、【白牙】を完全に止めることも可能でしょう」
「ですがそれは、シオンさんが訓練終了間際にしか使って来ないと知っているからです。 本来の戦い方をされたら、手も足も出ないと思います……」
沈痛な面持ちで俯く姫様。
視線を巡らせると、リルムとアリアも似たような顔をしていた。
彼女たちにとって僕との訓練は、着実に力を付けると同時に、自信喪失の危険も孕んでいる。
そのことは僕もわかっているが、気休めは言わない。
ただし――
「アリア、迷いの森で僕が言ったことを覚えているか?」
「え……?」
放置することもしないが。
僕に問い掛けられたアリアは、しばし呆気に取られていたが、すぐに思い当たることがあったようだ。
「謙遜の下には卑屈があり、自信の上には驕りがある。 周りに惑わされることなく、キミはキミらしく成長して欲しい……そう仰っていました」
「その通り。 あくまでも敵は、魔蝕教や魔族に魔王。 僕より強いかどうかなど、はっきり言ってどうでも良いことだ。 そうじゃないですか、姫様?」
「……そうですね。 すみません、シオンさん。 わたしたちは、大事なものを見失っていたようです」
「わかってもらえれば、それで良いんです。 リルムとアリアも、焦らず力を付けてくれ」
「ふんだ。 あたしは別に、最初から焦ってなんかないわよ」
「わ、わたしはすぐに落ち込んでしまうタイプですけど……シオン様の教えを胸に頑張ります」
苦笑しつつも、立ち直った様子の姫様。
ぶっきらぼうに言い捨てながら、顔が赤いリルム。
真剣な表情で、誓いを立てたアリア。
3人の状態が問題ないと判断した僕は、1つ頷いて声を発した。
「では姫様、そろそろ昼食にしましょう。 アリア、お願い出来るか?」
これは恒例行事で、朝の訓練が終わったらそのままランチタイムに入る。
訓練に使わせてもらっている広場は村外れの空き地なので、ゆっくりするのにも向いているからな。
僕にとっては楽しみな時間で、今日もアリアの美味しいご飯が食べられる――と思っていたのだが――
「あ、それなんですけど……今日はソフィア様が準備をして下さいました……」
「はい。 シオンさん、たくさん食べて下さいね」
がっくり肩を落としたアリアに反して、姫様はニコニコと笑っている。
そう言えば、彼女の手料理を食べさせてもらう約束をしていたな。
アリアの料理を食べられないのは残念だが、姫様の料理も興味深い。
だからこそ僕は期待を抱いていたのだが、スススと身を寄せたアリアが、小声で耳打ちして来た。
「シオン様、こちらを……」
「これは?」
「胃薬です。 食べる前に飲んで下さい」
「……わかった」
この時点で僕は、おおよその事情を悟った。
鼻歌交じりに用意している姫様を視界に捉え、隙を見て胃薬を飲む。
アリアをチラリと見ると、彼女も準備万端のようだ。
唯一、リルムだけは素のままだが、大丈夫だろうか。
密かに戦々恐々としていた僕をよそに、とうとう姫様がランチボックスの蓋を開ける。
中に入っていたのは、初めてパーティで昼食を摂ったときと同じ、様々な種類のサンドイッチ。
狙ったのかどうかは知らないが、当時のことを思い出して急激に空腹を感じた。
そして、どんなおぞましい物が出て来るかと怯えていた僕を良い意味で裏切り、見た目は悪くない。
疑問に感じた僕は思わずアリアを見たが、視線に気付いた彼女は力なく首を横に振っている。
やはり、希望はないのか……。
諦めの境地に辿り着いた僕がどうするか迷っていると、何も知らないリルムが口と手を出した。
「ふーん、お姫様にしては美味しそうじゃない。 もーらい」
そう言ってサンドイッチを手に取った彼女は、躊躇なく1口かじり――
「辛ッ!? 酸っぱ!? 苦ッ!? 水! 水ちょうだいッ!」
ある意味、予想通りの反応を示してくれた。
いや、正直に言うと予想以上か。
辛くて酸っぱくて苦い味と言うのが、想像つかない。
顔を赤くしたり青くしたりと忙しいリルムに、アリアがそっと水の入ったコップを渡す。
それを奪い取ったリルムは一気に飲み干し、噛み付く勢いで姫様に言い募った。
「ちょっとあんた! 何て物を食べさせんのよ!? 死ぬかと思ったじゃない!」
「またそんな嘘ばかり言って。 美味しくないはずがないでしょう」
「本気で言ってんの!? ちゃんと味見はしたんでしょーね!?」
「え? していませんけれど」
「しなさいよッ!」
料理が下手な人の特徴の1つとして、味見をしないことが挙げられるらしいが、姫様もしっかりその枠に入っているようだ。
ますます食欲が失せたが、食べないという選択肢はないんだろうな……。
それでも尚、僕が躊躇していると、アリアが思い切った様子で手を伸ばした。
「い、頂きます……!」
これぞ、まさに必死。
サンドイッチを食べたアリアは、冷や汗を流しつつも笑顔を取り繕って、なんとか言葉を絞り出す。
「お……美味しい、です……」
「ほら、見て下さい」
「メイドちゃん……あんたそこまで……」
アリア、無茶をするな。
目尻に涙を溜めながら口を動かしている彼女に、同情の念を禁じ得ない。
姫様は満足そうに微笑んでいるが、リルムは信じられないとばかりに絶句している。
場が混沌として来たが、当然の帰結として――
「さぁ、シオンさんもどうぞ」
こうなるだろうな。
視線を移すとリルムは両腕で大きく✕マークを作っており、アリアは笑顔のまま体を震わせている。
どう考えても食べられそうにないが、食わず嫌いは良くない。
仮に次回以降拒否するとしても、1度は食べてみなければ。
そう決意した僕はサンドイッチを手に取り、口に含んだ。
瞬間、走り抜ける強烈な辛味と酸味と苦味。
なるほど、リルムが言っていたのはこう言うことか……。
何をどうすればこんな味になるのかわからないが、確かに酷い。
心配そうにこちらを見守るリルムと、辛うじて復活した涙目のアリア。
そして、幸せそうな姫様。
美少女たちの前で1つを完食した僕は、水を飲んでから正直な感想を述べた。
「不味いですね」
「……え?」
「僕は料理に詳しくないですが、このサンドイッチの味が最悪だと言うことはわかります」
「そう、ですか……」
リルムに貶されてもへこたれなかった姫様だが、僕の酷評を受けてしょんぼりと俯いた。
これには流石のリルムも気の毒そうにしており、アリアはオロオロと狼狽えている。
それでも、僕に発言を撤回するつもりはない。
本当に姫様のことを思うなら、ここは無慈悲だとしてもはっきり言うべきだ。
そう、悪いことだけじゃなくて良いことも。
「ですが、姫様が一生懸命作ってくれたことは伝わって来ました。 味は悪かったですが、そのことが僕は嬉しいです」
「……! シオンさん……」
「姫様さえ良ければ、また作って下さい」
「はい、今度こそ美味しいと言わせてみせます……!」
「楽しみにしています」
瞳を潤ませながら宣言した姫様に、僕は微笑を浮かべた。
すると姫様は瞠目して顔を赤らめ、リルムとアリアも似たような感じである。
彼女たちに何があったのか良くわからないが、言うべきことは決まっていた。
「さぁ、食べましょう」
「え!? シオン、本気!?」
「当然だろう、リルム。 いくら不味いとは言え、食べられない訳じゃない」
「で、ですがシオン様、体調に影響はないでしょうか……?」
「アリア、心配はいらない。 このサンドイッチは不味いだけで、人体に悪影響を及ぼすことはなさそうだ」
「気持ちは有難いですけど、無理して食べなくても……」
「大丈夫ですよ。 姫様の頑張りは、決して無駄にはしません」
「シオンさん……」
両手を胸の前で組んで、感激した様子の姫様。
そんな彼女をよそにリルムとアリアを見ると、2人は顔を見合わせて溜息をついてから覚悟を決めたらしい。
その後は、昼食と言う名の死闘を繰り広げ、全員で協力してなんとか強敵の打破に成功する。
そして今回、初めて自分の料理の破壊力を知った姫様は、アリアに弟子入りを志願するのだった。




