60話 契約成立
「アンヘルが帝都に来ているの!?」
幽閉された塔の個室で、皇妃ミネルバは二人の騎士の報告に顔を輝かせた。
息子の罪を庇う形で、自分まで塔に幽閉されてから数か月。
衣食住に困らないとはいえ、いままで皇妃としてもてはやされてきた彼女には 孤独こそが苦痛 だった。
「それでもちろん、会いに来てくれるのでしょう?」
期待を込めて問うと、騎士達は言いづらそうに視線をそらした。
「……まさか、来ないの?」
無言の肯定。
「で、でも私を塔から出すよう尽力してくれているのでしょう?」
わずかな希望を求めるように問うと、騎士たちは顔を見合わせ――
「……いえ、それが……」
「断罪書に署名し、捺印されました」
その言葉を聞いた瞬間、ミネルバの手からセンスが滑り落ちた。
***
「本当にローレを生贄に捧げたら、力をくれるんでしょうね?」
揺れる馬車の中で、カミラが低く問いただした。
ここは帝都の貴族が住む西地区。
皇位継承戦とは別の日程で「聖女たちの集まり」が開かれており、西部の聖女ローレも帝都に滞在している。
「ええ。彼女ほど豊穣の力が強い聖女なら、主に捧げる価値があります」
アレスは淡々と答える。
「正直、クレーネでは力が足りません。主が得た力はそのまま私の力。
ローレなら、あなたに豊穣の力を移し、さらに――願いを一つ叶えることができます」
「一石二鳥というわけね。来年こそ実りを増やして、アンヘル皇子を皇帝に」
その時――
ガシャッ!
馬車が急停止する。
「何事!?」
外に出たカミラの前に、騎士を引き連れたアンヘルが立ちはだかった。
「アンヘル皇子!? どうしてここに――」
アンヘルはカミラを無視し、アレスに歩み寄る。
「今の話、本当なんだろうな?」
手には盗聴の魔道具。
カミラの顔が、サッと青ざめた。
アレスはにたりと笑う。
「もちろんですとも、皇子殿下」
***
「ローレ様、お迎えの馬車が整いました」
神官に促され、ローレは帝都観光へ向かう。
今回はリネアに会えるかもしれない――そう思うだけで胸が高鳴った。
(でも……話しかける勇気まではないわ)
リネアは魂が入れ替わり、いまはピンク髪の少女になっていると聞いた。
本当のリネア様に会ったらなんて挨拶をしたらいいのかしら?
そんなことを考えていると――
ガタン!
馬車が急に止まった。
「どうしました?」
「前方に皇族の馬車が……止まれと――」
神官の言葉が途切れた。
ドサッ
矢が神官の胸を貫いていた。
「えっ……?」
恐怖に固まるローレの前へ、アンヘルとカミラが姿を現す。
従者たちはすでに全滅していた。
そして――背後からゆっくりと現れる 大神官アレス。
「いいですか、カミラ様。
なぜ彼女が殺されるのか、理由を主に説明してから捧げるのです。
理由を告げず殺しても効果はありません」
黒い剣を握りしめ、カミラはローレに歩み寄る。
「聖女ローレ。あなたは 私の力を増すための生贄 になるの」
「生贄……?」
「あなたの力は私がもらって、魂は魔族サモニズアに捧げる。
そうすれば私は願いを一つ叶えてもらえるのよ」
ローレは震えながら叫んだ。
「サモニズアって……伝説の大魔族の!?
復活したらどうするの!?」
「平気よ。時間回帰で力を使ってるから、復活までは数百年かかるって言ってたし」
黒い刃がローレに振り上げられ――
カッ!!
森をまばゆい光が照らした。
「な……!?」
木々の間から兵士が次々と姿を現す。
そして――
「今の話、すべて聞かせてもらったぞ」
騎士に守られながら、皇帝が現れた。
「アンヘル……お前まで聖女カミラに加担するとは、失望した」
「ち、違うんです父上! 私はただ――」
「何を言っているの!! アンヘル皇子が 自分から 参加すると言ったのよ!」
焦ったカミラが叫ぶが、
パァン!
アンヘルがカミラの頬を叩きつける。
「黙れ、この薄汚いメギツネが!! 捕まえろ!!」
カミラはアレスの腕を掴む。
「アレス!! あいつらをなんとかして!!」
「それは――お願いですか?」
「そうよ!! だから早く――」
その瞬間、アレスの瞳が 赤く光った。
「違う! 提案――!」
遅かった。
「契約は成立しました。
せいぜい魂が奪われすぎて死なないことを祈ってください」
冷酷な声音が、森に響き渡った。








