40話 おまじない
「ほらお嬢ちゃん、いっこおまけだよ。どうぞ」
市場の果物屋の女性が、リネアへ林檎をもう一つ差し出した。
リネアは林檎を二つ買ったばかりだが、「おまけ」らしい。
「え、いいんですか?」
「最近ここにきた聖女様のお付きの神官様だろ?
こんな辺境にわざわざ来てくれたんだ、歓迎しないとね」
おばさんは豪快に笑った。
リネアは丁寧に礼を言い、買った林檎をウィルへ二つ、そっと手渡す。
昼下がりの街路。
子供が走り、露店から香辛料とパンの匂いが混じり合い、のどかな声が響く。
二人は並んで歩きながら、りんごにかぶりついた。
「北部では、ずいぶん歓迎されてますね。
もっと恨まれてるのかと思いました」
「もともと聖女が不在だった土地だからな。
魔物を倒して交易で食料を買ってた場所だ。
聖女が来て実りが増えるなら、期待も大きい。
……レティアは食料自給率も上げるって言ってたし、きっと豊かになる。
あいつ、実力だけは本物だから」
ウィルも林檎にかじりつく。
硬い実の音が、喧騒の中で軽く響いた。
レティアは言っていた。
――この領地を豊かにして、カミラを断罪する、と。
具体的な方法は聞かされていないが、
レティアなら有言実行するだろうと、リネアも疑っていなかった。
「……もし私だったら、何もしてあげられませんでした」
小さくうつむくリネア。
その頭に、ウィルの大きな手がぽんっと軽く触れた。
「ウィル様?」
「うちの母のおまじない。
嫌なことばかり考えてると、頭の上に霊がいるって言われてさ。
こうして払うと、気持ちがすっきりするんだ」
優しく叩かれた額が、じんわりと温かい。
「……はい。ありがとうございます」
リネアが照れながら視線をそらしたときだった。
視界の先で、一台の馬車がゆっくりと停止する。
――地味な装飾で外観は偽装している。
だが、車体の素材や造りの良さは隠せない。
高位の者が乗っていると、ひと目でわかる馬車。
そして。
そこから降りてきたのは――
アンヘル皇子だった。
***
「まじ……最低――ッ!!!!」
リネアの部屋に、叫び声が響き渡った。
テーブルには、度数の強い酒瓶がずらり。
その前でリネアが真っ赤な顔で酔い潰れており、
なぜかウィルまで晩酌に付き合っている。
「どうしたの、あれ……?」
帰りが遅い二人を心配してレティアが覗きに来ると、
隣にはアレスまでついてきていた。
「レ・テ・ィ・アさぁぁん!!」
レティアを見た瞬間、リネアが泣きつく。
「どうしたの? リネア?」
「アンヘル皇子がっ!
アンヘル皇子が酷いんです!!最低です!!!
よりによって、私を口説いてきたんですよッ!!」
肩をがしがし揺さぶりながら訴える。
「や、何それ。どういうこと?」
「ウィル様と街を散策していたら、急に馬車から降りてきて……
祭りで見かけた君に一目惚れしただの、初めて人を好きになっただの、
妾になれだの! そんなこと言ってきたんです!」
リネアは涙まみれでわんわん泣く。
レティアは、リネアの記憶から彼女の淡い初恋を知っている。
優しくしてくれた異性は、彼女の世界にとって宝物だった。
それが――身体が変わった途端、別人として扱われた。
リネアにとってはショックは大きかっただろう。
「婚約してた時の言葉も、好きって言ったのも、全部嘘!?
せめて告白した時だけでも、本当に私を好きでいてくれたって……
思ってたのに……!」
「やっぱり男の人なんて最低です!!
みんな見かけが大事なんです!!」
「いや、リネア。リネアだって可愛いぞ」
ウィルがなだめるが――
「お世辞はいりません!
ウィル様だって、私のこの身体の方が好きなんですよね!?」
完全に絡み酒状態で、詰め寄る。
「俺は見た目より――魂の輝きの方かな」
「え?」
「前に言ったろ。俺は霊が見えるって。
生きてる人間は、魂がぼやっと光って見えるんだ。
だから正直……顔はぼやっとしてる」
ウィルは自分の胸を、軽く叩く。
「リネア、お前の魂の輝きはすごく綺麗だ。
大事なのは、見た目じゃない。――中身だ」
「………」
「ほんとうですか……?」
「ああ。ほんとうだ」
リネアの目が潤み、唇が震える。
そして――
「……うわぁぁぁぁぁぁん!!」
勢いよくウィルに抱きついて泣き出した。
レティアはその様子を、静かに見守る。
(味覚も感じられるよう、ほぼ人間に近い状態にしたけど――
酔う効果は、削除したほうが良さそうね)
***
「……あの子が見つかってないのに戻るのか!?」
揺れる馬車の中。
アンヘルが護衛へ叫ぶ。
だが護衛は首を横に振った。
「皇子、北部で不用意に動けば問題になります。
ここの領地は、帝国であって帝国ではない特殊な場所。
相手は神殿関係者です。一度お戻りを」
そもそも、見知らぬ女性に馬車から飛び降りて求婚とは非常識。
しかも、その少女は神殿関係者で――
皇子には婚約者・聖女カミラがいる。
「いや、彼女にもう一度会えるまで……僕はここを離れない」
「しかし!」
「北部の隣、セドムに滞在すればいいだけだ」
護衛は喉の奥で言葉をつまらせる。
もう止められない。
この皇子は、一度決めたら後戻りしない。
「……わかりました」
しぶしぶ頭を下げた。








