39話 わざわざ来てやったのに!←(来るな)
「わざわざ来てくださってありがとうございます。アンヘル皇子」
アンヘルがリネアの部屋を訪れると、ベッドの上でアベルに治療を受けているリネアが、にこやかに出迎えた。
その傍らで、アレスが彼女の手を握っている。
その光景を目にした瞬間、アンヘルの眉がわずかに動いた。
遠路はるばる駆けつけた婚約者を、寝たまま迎えるなど──。
礼儀としてどうなのかと口にしかけたが、アンヘルは言葉を飲み込む。
アレスは今、神殿でもっとも力を伸ばしている大神官の一人。下手に敵に回すのは得策ではない。
「報告よりずいぶん元気そうで安心したよ、リネア。傷の具合はどうだい?」
「はい。だいぶ良くなりました。今年は無理ですが次の実りの儀式には……なんとか出られそうです」
リネアはそう言いながら、アレスを見つめる。
「はい。そのころには完治するよう、最善を尽くします」
アレスも真剣なまなざしで見返した。
……久しぶりに会った婚約者相手に、何だその反応は。
まるで僕に興味がないみたいじゃないか。
「それはよかった。君は帝国の大事な聖女だ。無理はしないように。それと──婚約者がいる身で他の男性と、そのような“あれ”は……あまり感心できないな」
手を握ったまま見つめ合う二人に、アンヘルはわざとらしく咳払いした。
「そのような“あれ”?」
きょとんとしたリネアの反応に、アンヘルの不機嫌がさらに深まる。
まるで悪いことをしている自覚がないようだ。
「手を……繋いでいることだ」
アンヘルはそう言って二人の手を引き離し、自分が代わりにリネアの手を握ろうとした。
だがその手を、アレスが素早くはじき返す。
「アンヘル殿下、遠路はるばるありがとうございます。ですがリネア様はまだ療養中。
回復魔法を施していない状態で手を放せば、痛みが戻ってしまいます。
個人的な感情でそれを止めるというのなら──それは、リネア様への思いやりを欠く行為ではありませんか?」
アレスの低い声と鋭い視線に、アンヘルは息を呑む。
「そ、そんなつもりでは……」
「でしたら、そろそろお引き取りを。
せめて一報くだされば、こちらも準備ができたのです。
見舞いに来るなら、相手の状態を確かめてから──それが本当の思いやりというものでしょう。時と場合によっては、迷惑にもなりますので」
アレスが静かに手を上げると、神官たちがアンヘルを部屋の外へと導いていった。
***
「あれ、絶対“別れたら惜しくなる俺の女タイプ”の男だわ。粘着しそう。気持ち悪っ」
アンヘルが去ったあと、げんなりした顔でレティアがつぶやく。
あのアホ皇子が来たせいで、鉱山探索の予定がずいぶん押してしまった。
「わざわざ領地まで来る行動力だけは感心しますが……それだけですね」
アレスもジト目でドアを見つめる。
「あれも制裁対象なのでしょう?」
「もちろん。でも──さっきから、ずいぶんご立腹なのね?」
「……え?」
「いや、なんか機嫌悪そうに見えたから。違った?」
レティアが首をかしげると、アレスはしばし沈黙し、虚空を見つめたまま呟く。
「……そうなのかもしれませんね。いえ、そうなのでしょう」
そして、表情を隠すようにそっぽを向いた。
「うん?どうしたの?」
「いえ、なんでもありません。それでは、失礼いたします」
アレスは軽くお辞儀して部屋を出ていく。
その背中を見送りながら、レティアは「ふぅん」とだけ呟いた。
***
(なんだあれは……僕がわざわざ来てやったのに!!)
馬車の中でアンヘルは苛立ちを抑えきれず、頭をかきむしった。
本来なら、リネアが自分の訪問に涙を流して喜ぶ──そんな展開を想定していたのだ。
だが現実は、冷たくあしらわれ、追い出される始末。
(食料支援を続けるよう進言したのも僕だぞ!
こんなことなら、打ち切りをやめるなんて言わなければよかった!!)
舌打ちしながら窓の外を睨むと──
ふと、ピンク髪の少女が視界に入った。
(あれは……あの時の──!!)
「今すぐ馬車を止めろ!」
「はっ!」








