36話 根拠はない でもきっと何とかなる(暴論)
「聖女リネアが夜盗に襲われ怪我をしたらしい。それゆえ、今年も北部の援助は続けようと思う」
帝国の会議室で、アンヘルが高らかに宣言した。
本来ならこの会議の議題は、聖女リネアを北部へ送ったため、北部への食料援助を打ち切るか否かというものだった。
「で、ですが……皇子」
皇妃派の貴族が口を挟もうとした瞬間、アンヘルが鋭く睨みつける。
「なんだ? まさか負傷しているのに無視して祈れとでも言うつもりか?」
その一言で、室内が静まり返る。
(……やっぱり、こうなると思った)
皇妃ミネルバは小さくため息をついた。
議題としては上がっても、結論は最初から決まっている。
アンヘルは「優しい皇子」として見られることを好む。食料支援の打ち切りなど通すはずがない。
チラリと隣を見ると、カミラが笑顔を浮かべながらも、怒りを滲ませているのがわかった。
しかし、結局は誰かが「支援続行」を提案しただろう。国防のかなめの領地への援助を正当な理由もなく打ち切るなど、愚策以外の何ものでもないのだから。
(まったく……誰が暗殺者なんて送りこんだのかしら。余計なことをしてくれたわ)
皇妃は、怒りに肩を震わせるカミラと、「さすが皇子はお優しい」と持ち上げられてご満悦なアンヘルを見比べ、再び深いため息を吐いた。
***
「よく来てくれた、歓迎しよう。――聖女リネア殿、第二皇子ウィル殿下」
北部到着から一週間後。
一行を出迎えたのは、北部領主ギーブ・ランドウム。
三十代ほどの金髪で屈強な男。いかにも戦士といった風貌だ。
近隣で魔物が出没したため、一週間ほど領地を留守にしていたらしく、レティアたちに会うのは今日が初めてだった。
その間、彼らは砦から屋敷へ案内され、静養を命じられていた。待遇は悪くない。
“リネアが大けがを負った”という報告を送ったため、アレスも治療の名目で同行している。
暗殺部隊に襲撃されたのち、彼らはアレスの援護で命からがら逃げのび、北部の騎士に救われた―――という筋書きだ。
暗殺者たちはアレスと北部騎士によって殲滅、生き残りはいなかったことになっている。
実際には、レティアとアレスで全員倒し、別の場所にいた暗殺者ギルドの上層部はデーンたちの別動隊に殺され死体を北部に運ばれ現地で殺されたように偽装された。―――これが真実だ。
騎士たちが到着した時にはすべてが終わっており、報告は「北部騎士が討伐」と処理された。
“リネアが重傷を負った”という嘘の報告もその時に送られている。
「ご助力、ありがとうございました」
レティアが代表して頭を下げると、ギーブはふっと笑った。
「助力も何も、北部の騎士が到着したときにはすでに全て終わっていた。我は何もしていない。……だがデーンの報告どおり、なかなか面白いお嬢さんだな。怪我を負ったことにして食料支援の打ち切りを引き延ばすとは――愉快で実に結構」
そう言って、レティアに席を勧める。
「大けがの患者を立たせておくのも忍びないからな」と冗談めかして言われ、レティアは礼を言って腰を下ろした。
(……これは歓迎されてる、のか?)
ぼそっとウィルがアレスに耳打ちする。
アレスは「さぁ、どうでしょう」と曖昧に笑う。
ギーブは、帝国と神殿嫌いで知られている。
北部は常に魔物との最前線で戦っており、その軍事力ゆえ、必要以上に恐れられ帝国と神殿から度々冷遇を受けてきた。
そのため、使者が来ても滅多にギーブ本人が対応することはない。
そんな彼がわざわざ対面してくれたということは――少なくとも、悪い印象ではないのだろう。
「まぁ、小難しい話はさておきだ。……で、貴公ら、自分たちが“嫌がらせ”でここに送られたことは理解しているようだが、本当に鉱山へ行くのか?」
ギーブは地図を差し出した。
そこには、ウィルが“皇室から管理を任された”とされる北部鉱山の位置が記されている。
「この地は、過去に鉱石中から魔物が大量発生し、我々北部の騎士ですら太刀打ちできず放棄した場所だ。……そこの管理をお前たちに任せるとあるがいいのか?」
「ええ、もちろん」
レティアはにっこりと微笑む。
「それで、うちがそちらへ兵を回せるほどの余力がないことも、理解しているな?」
ギーブの視線がウィルとレティアを往復する。
皇妃がこの任務を押しつけた意図は明白だ。
ウィルに“成果を出せるはずのない任務”を課し、ウィルを無能として失脚させるためだ。
北部の魔石鉱山はすでに採掘可能域だった地域にも魔物がはびこり、人類が足を踏み入れられない魔物の巣窟と化している。
ウィルがレティアを見ると、彼女はふっと目を細めた。
「覚悟の上です。ただ、最初だけ兵を数人、お借りできませんか?」
レティアの言葉に、ギーブは腕を組んで笑う。
「ああ、デーンから聞いている。だが、その返事もデーンに伝えておいたはずだが?」
ギーブの口元がゆるむ。レティアはそれを見て、さらに笑みを深めた。
***
「……で、条件が“決闘”なんて聞いてないんだが」
観客席で、ウィルがぼやく。
訓練場を兼ねた闘技場では、騎士たちが観客席を埋め、中央でレティアとギーブが向かい合っていた。
「決闘を了承してしまうのが、あの人らしいというか……」
アレスは眉間を押さえ、ため息をつく。
数人の兵を借りたところで戦況が変わるとは思っていない。
単に、戦闘狂のギーブが“強いと評判の聖女”と手合わせしてみたかっただけだろう。
そのため組まれた決闘だ。レティアもそれを承知で受けている――己の実力を示すために。
「レティア様……大丈夫でしょうか」
リネアは不安そうに、会場とウィルの顔を交互に見つめた。
「ああ、大丈夫だろ、レティアだぞ」
と、ウィルは根拠はないが、やたら説得力のあるセリフを吐くのだった。








