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彼女にしてもらえないの? じゃあ奴隷になるね!  作者: 村田天
終章【追いかけっこの顛末】
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31.怒りとバニーガール


 文化祭初日の午前中は、まだ近隣の人もそんなに見られず、ゆるい雰囲気の中始まっていた。


 俺は設営でそこそこ働いたので当日の仕事は周囲の女子によって免除された。だから二日ともダラダラ過ごすつもりだった。


 そして、午前中は空き教室を見つけて軽く寝た。文化祭でみんながセカセカ働いているなかの睡眠はとても贅沢に感じられて、満足した。


 昼寝部屋から出ると、廊下は既にそこそこの賑わいを見せていた。


 あくびをひとつした。なんか食おうかな、と思って適当に教室を覗きながら校内をウロウロする。


「あれ? 星島先輩」


 階段の踊り場に星島先輩がいた。はりきってバニースーツを着ていた。

 もっともはためにははりきっては見えないだろう。ものすごく恥ずかしそうに身を縮めて、しかし大喜びしているのがわかる。怪我にだけは気をつけて欲しいが相変わらず楽しそうに生きている。包帯だらけのムチムチバニーガールは当たり前だがとても異様で、目立っていた。


「なんでそんな格好してるんすか」


「あ、あの、うちのクラス、ウサギのクッキー屋さんなんですけど、だいたいみんなウサ耳にメイド服で……」


「はぁ」


「一着だけ、これがあるということで……私に白羽の矢が当たりました」


 この人は普段クラスでどんなふうに過ごしているんだろう。友達は少なそうだ。治安の悪い高校なら間違いなくいじめられているタイプな気はするが、うちの高校のどことなくのほほんとした雰囲気だとそこまでいかないかもしれない。

 ちょっといじめられているのか、ここまで突き抜けていると案外普通に受け入れられているのか。あまり考えると陰鬱な方向に行って暗い気持ちになりそうだったので思考を切り上げた。変態部分以外は意外としゃっきりしてるし、根が図太そうなので楽しくやってると思いたい。


「今、私自由時間なんですが、木嶋くん少し一緒にまわりませんか?」


「……その格好で?」


「木嶋くんは恥ずかしいとかなさそうですし……」


「俺はまったくないですけど」


 多少目のやり場に困るくらいだし、たとえスケベ丸出しの目で胸の谷間を見たところでこの人は気にしないだろう。

 実際通りすがりのオッサンから純朴そうな下級生まで、さっきからチラチラと見られていたが、先輩は満更でもなさそうな顔しかしていなかった。だから俺も堂々とジロジロ見ようと思う。


「私、お店とか入るのに勇気がいるタイプなんです……一緒に入ってください」


「はぁ……どうせヒマだからいいですけど……」


 ムチムチバニーとクレープ屋に入ってクレープを買った。教室の食事スペースは埋まっていたので、それを持って昇降口近くのベンチに腰掛けた。


「私ね、小さいころから気が弱くて……夜もこわかったし、幼稚園もこわかったし、人がたくさんいるのもこわくて、もうなんでもこわくて……」


「……」


「でも、あるときに、なんだったかテレビだか本だかで、見たんですよ。なんでも受け取りかたしだいで、楽しめるほうが得だって」


「はぁ……」


「それで、その言葉に天啓を受けてしまいまして……そう生きることにしたんです」


「……思ったよりほがらかな理由ですね」


「あ、今のは込み入った細部の闇部分をはぶいたバージョンですので……よろしければ込み入った……」


「いいです! いいです! 簡易版で十分です!」


「私……なかなか要領よく、ちょうどよく生きれないタイプなんですよね……」


「それはなんとなくわかりますわ……」


「木嶋くんも……そうでしょう?」


「……まぁ、そっち寄りですね」


 ただ、案外自己評価ではそんな人は多いような気もしている。


「明日河さん、いろいろ出てるんですよね」


「今日は演劇部と吹奏楽部、明日は軽音部のヘルプで歌うらしいです」


「歌! すごいですね」


「演奏は発表したいけど、恥ずかしいからなるべく歌いたくはないというメンバーが集まってしまったバンドがあるらしく……」


「あぁ、明日河さんならうってつけですね!」


 星島先輩が手を合わせてニコニコと喜んだ。


「木嶋くん、演劇部もうすぐですよ。観にいきましょうよ」


「へっ」


「木嶋くん、明日河さん観たいですよね?」


「まぁ……そうすね」


「じゃあ、観にいきましょう!」


 この先輩、変な人だけど、不思議なくらい邪気はないんだよなあ。


 体育館に向かう途中、外の渡り廊下に陽が射していた。鳥がチュンチュン鳴いている。生徒だけではなく近隣の人も多く見られるがみんなのんびりした顔をしている。


 文化祭は、盛り上がれる一部の生徒のものだ。そうでもない生徒には、休みの日に学校に駆り出されてる感が強い。

 でも、その風景だけは、なかなかのどかな休日にも感じられた。


 体育館に入ると、演劇部が始まったところだった。


 客席は近所の人と生徒とまばらに入っていて、満席というわけではないがほどほどに盛況。


 劇はヘンゼルとグレーテルだった。

 子ども二人を捨てようとする悪い母親は、どこかの段階で実母から継母へと変えられたと、いつだったかなにかで見た。


 劇は簡単な歌と踊りも入っていて、俺の知ってる童話とは少しだけ違っていた。昴は途中眠ってしまった二人を起こす、露の精の役だったが、その昴の役所も初めて知った。あれ、こんなのいたっけ? そう思った。

 たしかに、見栄えがあると映える役だし、主役ほどは出番も多くないのでちょうどいい役所だろう。


 劇が終わり、ずっと同じ体勢で座っていたので疲れた。

 椅子の列から外れたところに移動して、背中を伸ばした。


「あれ、明日河さん」


 星島先輩が笑顔で手を振っているほうを見ると、まだ衣装のままの昴がこちらへ歩いてきていた。軽く手を上げる。


 昴と目が合って、注意散漫になっていたのかもしれない。


 小学生のようにふざけてはしゃぎながら出口を目指す数人に勢いよくぶつかられた。


 そのままよろけた俺は、すぐ近くにあったバニーガールの胸の真ん中に顔面をばふんと押し付けるように止まった。なんだこのエアバッグ。


「……」


「……」


 ぶつかった後方から騒がしさに紛れた謝罪が聞こえたが、すぐ遠ざかっていった。


 数秒、なにが起こったのかわからず、息が苦しくなってやっと顔を上げた。


「すいません!」


 即座に謝る。ここは謝るしかない。感触などを思い出すのは家に帰ってからだ。とっさに間違えて「ありがとうございます!」とか言わなくてよかった。


「い、いえ……大丈夫ですか?」


 星島先輩は怒っていなかった。

 よかった。そう思ったのも束の間、べつの場所から強烈な怒気を感じる。


 いつの間に移動したのか、近くで昴が恐ろしく冷たい顔をしてじっとにらんでいた。

 

「おま……顔色悪いぞ」


「……悪くない。もう行くね」


 昴は練習のせいなのか声が少し枯れていた。

 もう少しなにか言うかと思ったのに、それだけ言って足早に去った。


「木嶋くん……明日河さん、怒ってましたね……」


「……そうですね」


「なんだか申し訳ないです……」


「先輩はなんも悪くないです」


 突然おっぱいに顔を埋められた被害者が申し訳なく思う必要はまったくない。


 昴は怒っていた。理由も状況からしてだいたいわかる。

 でも、こんなことは、以前はそこまで怒るようなことではなかった。いや、怒りはするが、あんな怒りかたはしなかった。

 なにより星島先輩にまで敵意をぶつけるように無視して去るのは、彼女らしくない。

 いろんなことにピリピリしているように見える。たぶん、相当疲れているんだろう。


 結局その日はそれ以降昴を見かけることはなかった。



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