第五十三話 余韻は暫く
一夏さんの声を聞き入れた不動明の表情が一度死ぬ。
「Oh」
「ああー! 幽君じゃない! 久しぶり! 元気してた!」
「え、あれ? 二人とも......知り合い?」
未だ事情が飲み込めていない私の眼は一夏さんと扉をいったりきたりする。
「うん! えっとね、前に彼から告白されたの! ね!幽くん!」
「......YES」
観念したのか、漸く扉からその大きな姿を現し店内へとやって来る不動明。
合点のいった私はにやけつつ、彼の脇腹をつつく。
「なるほどね、だから店に入って来れなかったんだ? 振られたから」
「振られたと合点するのは早くないか!?」
「違うの? 振られたんでしょ?」
「......YES」
「幽君久しぶり! 相変わらず大きいねぇ~! また身長伸びた?」
憔悴する不動明とは相反して級友にでも再会したような明るさで接する一夏さん。
一夏さんを見ていると、彼への対応は『友達の飼い犬』程度のように思えた。すこし彼に同情する。
「......一夏くん、そろそろ彼らを座らせてあげたらどうだい?」
見計らったようなタイミングで救いの手を差し出すマスター。
「あ......ご、ごめんなさぁい! 久しぶりでつい」
「......YES」
「不動明が本格的に壊れた......」
「さぁ! 二人ともカウンターまでどうぞぉ!」
一夏さんの少し間延びする話し方を耳に入れつつ案内されてカウンターまで移動する。
ペンダントライトがほのかに橙を灯し、手元のメニューを照らす。
「私は......カフェラテで。不動明は何する?」
傍に置かれたお冷グラスに口を付け、横に座った不動明に尋ねる。
「......YES」
「はぁーい! いつも頼んでたハニーミルクでいい?」
「......YES」
ここまで行けば逆に夫婦を超えているんじゃない? と疑問に思う。
一夏さんとマスターが私たちの注文したドリンクの制作に取り掛かっているのをカウンター越しに眺めていた。
「そっかぁー、幽君と霧華ちゃんってお友達だったんだね」
「んー......私たちって友達、なのかな?」
「絶妙に答え辛い質問だな」
「あ、あれ? もしかして聞いちゃマズかったかなぁ?」
「そんなことないですよ......クラスメイトです。えぇ」
不安そうに顔を曇らせる一夏さんの表情を見るや慌てて返す不動明。あの不動明が他所の家に預けられた小動物みたいになってる......。
大仰な機械から蒸気がもれ、一面が白く濁る。これは牛乳を泡立てる工程らしい。背を向ける一夏さんを見ながら陣から教わった事を反芻する。
ごぼごぼと泡だった音を立てて数秒すると、少し高くなった音が辺りに響く。腹の底から響くよう。振り返った彼女の手にはカップと銀色のミルクピッチャーがあった。器用にカップの中へ泡立てたミルクを注ぎ、腕を振る。この時の振りで表面に浮かぶ模様を描くらしい。
陣はいつもこの作業を、背を向けて行っていた。いつも私がじっと見つめるから気恥ずかしい、とか言ってたっけ。
「じゃじゃーん! 霧華ちゃんおまたせー!」
カウンター越しにカップを差し出される。
「わぁ......綺麗。そういえば一夏さんのラテって初めてかも」
栗色をした淡い茶色の上に細かい白が幾つも走り、葉を描いている。
「いつも陣君が作るもんね。どれだけ忙しくても、霧華ちゃんの注文は陣君が作るからねぇ~」
「そ、それはたまたまだと、思います......よ?」
歯切れ悪く彼女に返す。あぁ......もう。
「はい! 幽君はこっち!」
隣に座っていた不動明の前にも一つのグラスが差し出される。円柱をした長く透明なグラスには白色の液体が並々注がれ、縁には山盛りのホイップクリームが添えられていた。
「あ、甘そう......」
見ているだけで胸やけしてきそうなほどだ。
「悪いかよ......えぇ?」
むっとした顔でストローに口をつけると、ズズッと液体を吸い込む。一口でグラスの中身が半分ほどまで減った。
私もカフェラテに口を付ける。まず初めに目が覚めるような苦み。その後に温められた牛乳の甘さが広がり、余韻を残す。
「にしても、陣と王子が......な」
喉を潤した不動明が手元のグラスを見ながら口を開いた。流石に脅迫文の事は大ぴらに出来ないからか、濁しながらぽつりと漏らす。
「幼馴染......なんでしょ。二人って。一年の時はどうだったの?」
「あん? そういえば......俺と陣は一年の夏の終わり頃からつるんでるが、あの王子と一緒にいるところは一度も見た事ねーなぁ......たまたまって訳でもねぇだろうし」
「この前、陣とミクラムにデートしに行った帰りに、冬姫さんと出会ったんだけどさ。なんか久しぶりってカンジだったかな。同じ学校なのに......」
「ほーん。そうか......って、ちょっとまてぇ......。今サラッと流したが......なんて言った?」
「あぁ、ごめん。ゴリラには人間の言葉は聞き取り辛いよね? こーのーまーえー」
「そういう事じゃねーんだよ! 馬鹿にしてんだろ! いや、馬鹿にしすぎだろうが!!」
「あ、結構頭いいゴリラなんだ?」
「いいぜ、売られた喧嘩は秒で買う男だ俺は」
「冗談。怒んないでよ」
「怒らせるようなことを言うなよ......」
苦々しく顔を顰めた不動明が残りを勢いよく飲み干す。すると、
「冬姫......?」
少し離れていた所でコーヒーカップを磨いていたマスターさんが、細い目をやや広げてこちらに反応を示す。
「それって......」
同じように一夏さんも何か思い当たる節があるのかどこか困惑した様な表情でマスターさんの方へと視線を送る。
「一夏さん......? マスターさんも......。もしかして、なにか知っているんですか?」
気になった私は二人に声をかけた。
「う、ううん。何でもないの! ただの聞き間違い! 忘れて」
けど、二人とも何事もなかったように即座に仕事に戻る。
「――氷川、あまり踏み込むな」
何かを察した不動明は先程とは違った声音で私を止める。一度一夏さんをみて、また手元のグラスへと視線を移す。
「う、うん......」
釈然としないまま、私はカフェラテに再び口を付けた。カフェラテの苦みが舌に残って、少しの間消えなかった。




