第四十四話 フレンチトーストの味
周囲のざわめきで、件の人間がこの教室に足を踏み入れたのだと知る。
「やぁ、陣。迎えに来たよ」
現在俺は冬姫の恋人となっている。勿論これは偽りだ。
話は少しややこしくなるのだが、現在彼女は何者かから脅されている。故にそれを防ぐために俺は冬姫の恋人役として学生生活を送らなければならなくなった。そして俺も脅されている。助けてくれ誰か。
恋人役を担う、と言った手前彼女とこうしてクラスメートの前で堂々とやり取りしなければならないのだが、少々気が滅入る。冬姫が悪いわけでは決してないのだが......。
「あぁ、悪いんだが今日は弁当作ってなくてな......。購買まで行かなくちゃあならないんだ。少し待っててくれるか?」
いつもは持参した弁当で昼飯は済ますのだが、今日に限っては徹夜したのもあり、弁当を作れなかった。
すると、冬姫は綺麗な形をした唇を薄く伸ばし笑みを浮かべる。うん?
「あの、その......陣。実は今日、あなたの為にお弁当を作ってきたんだ......良かったら、どう......だい? 勿論無理にとは、言えないけれど」
頬を軽く染め、黒髪の先を手繰る様に指で絡める。
俺は今、間抜けな顔を曝しているだろう。え? あの冬姫が......手料理を?
幼少時代を知る俺だからこその疑問だ。彼女は料理からほど遠い世界の人間だったハズ。指先から徐々に体温が失われてゆく。
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『じん! お母さんとフレンチトーストをつくったんだ! いっしょにたべよ?』
あれは小学校の低学年の頃だったか。土日の朝、互いの家によく行き来していた時期に冬姫は親から習ったというフレンチトーストを振る舞ってくれた事があった。
当時の彼女は今のように王子様然としたふるまいではなく、年相応の可愛らしい女の子だった。髪型は今と変わらず黒髪のショートボブだったように思える。
『まおって料理できるんだな! すごいね!』
『お母さんにおしえてもらったの。好きな人と結婚するためには必要なことだって』
『そうなのか......女の子は大変だな。それじゃあいただきます』
『うん! めしあがれ!』
『うごあぁあああああああ!!!!????』
あの時のフレンチトーストを今でも思い出せる。
見た目は黄金色に輝くおいしそうなフレンチトーストだった。フランスパンをスライスして作られた本格的な見た目で、カラメルの香ばしい匂いが食欲をそそる。
だが、一口淹れた途端血が逆流したかのように全身を何かが駆け巡った。
どうしてあの見た目からあのような味に終着するのか未だに俺は分からなかった。確かにおいしそうなフレンチトーストだった。けれど味といえば雑誌を噛みしめているような、そんな不快感。おかしい。どんな調味料を入れたらこのような味になるのだろうか。
『じん!? どうしたの』
俺の挙動のおかしさに慌てて駆け寄る冬姫。
『いや、あまりに美味しすぎて......。凄いな、まおは』
流石に面と向かって不味いとは言えなかった。冷や汗を隠しながら俺は笑みを浮かべ、
――憧れるよと、つい焦って口を動かしていた。
『憧れ......』
ぼぅっと意識を手放したように反芻する冬姫。その表情から俺は目を離せないでいた。
『舞桜、おかあさんが呼んでいるぞ! さぁはやく行ってあげなさい!』
暫し見つめっていた俺たちの間に割り込んできたのは、冬姫のお父さんだ。
『......僕の苦労を、君に味わわせるつもりは無かったんだ。すまないね』
眉間に深い皺を寄せ、ふぅと一息吐くお父さん。
表情を見て、悟る。あ......冬姫のお母さんも同じなんだな、と。
俺は暫しフォークでぶっ刺したフレンチトーストを見つめると、一息に口に放る。
『うごあぁあああああああ』
『陣君!?』
二度目というのに、衝撃は何も変わらなかった。味覚が暴力を振るい口腔を駆けまわり、味蕾が反旗を翻す。
『無理をしないでくれ! 彼女たちの腕前は僕がよぅーっく知っているから!』
心配げに俺を揺するが構わず目の前のフレンチトーストを貪る。
『まおが......作ってくれたんです。食べないわけないじゃないですか』
冬姫のあの誇らしげな顔を思い出す。彼女の小さな白い指に巻かれた絆創膏は一枚では無かった。
『美味しいですよ、このフレンチトースト......ほんのちょっぴり……なんというか、四割……いや、八割だけ味が前衛的なだけです』
『......君は、いい男だ』
無心に食らう俺の横に来ると、冬姫のお父さんも一切れ手で鷲掴み口に放る。
『『うごあぁあああああああ』』
二人して奇妙なうめき声をあげた。
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走馬燈を見ていたのだが、これは死ぬ直前なのだろうか。
あの後、お父さんと俺は二人してトイレに駆け込んだ。めでたく彼女の父親とはゲロ友になったわけだ。
「陣?」
冬姫の声で漸く俺は目の前に差し出された弁当箱を認識する。
「冬姫......いや、舞桜。ここで喰うなんて、折角のお前の弁当がもったいない。場所を変えよう」
ちょいちょいと指で天井を指し示す。冬姫も納得いったのか軽く頷くと弁当箱を右手にもち、もう片方の腕を俺の腕に絡める。絡めた手の先を自身の制服のポケットに仕舞い、がっちりとロックされてしまう。
「ちょ......っと、あの?」
咄嗟の事に挙動不審になる俺を押さえつけるように冬姫は俺の方へと身体を寄せる。
「仮とはいえ、せっかくあなたとこうして恋人になれたんだ。少しばかり夢を見させてはくれないだろうか」
俺は何も言い返せず、成されるがまま彼女に引っ張られていく。
なにが恋人だ......。まやかしじゃないか。
心の奥底で暗い声がやけに響いた。




