第四十三話 月曜日は憂鬱
朝というものは、清々しさに満ち溢れている。
小鳥のさえずりは朝を迎えるにはうってつけの歌であるし、太陽の光は適温のシャワーの様にこの上なく気持ちが良い。
俺はベッドから跳ね上がると、即座にカーテンを開ける。
「あっふぁ......」
カラカラと音を立てて窓を開く。心地よい風が隙間から入り込み部屋を満たし、過ぎ去った。
「陣、おはよう」
気持ちのいい目覚めを果たす俺に声をかける人物がいた。
俺は一人暮らしだし、いつだって部屋に一人だ。だから、普段とは違う今朝がなんだか妙にこそばゆい。
俺は少し照れたように、言いずらそうに顔を逸らす。やばい、ドキドキする......。
「陣......?」
返答をしない俺を、気に掛けるもう一人。艶やかで長い黒髪がいつもと違って見えた。この気持ちって......もしかして。普段見ることのない薄着からはこれでもかと肌が露出している。二の腕、太もも。
小首を傾げるその人物に俺は、胸の鼓動を抑えつつ、気持ちを素直に言葉にして伝えた――。
「――てめぇは地獄に落ちろ!!!!」
* *
「なぁ、おい。いい加減機嫌直せよ? えぇ? おい」
俺の眼前で白米をかきこむ男、不動明 幽は俺の機嫌の悪さに少し居心地が悪そうに顔を歪めていた。もっとも、この男がこの程度でへこたれる様なメンタルをしているわけがないと一年の付き合いで分かっているので、俺は我慢せずに言いたいことを言う。
「あのな、毎度毎度俺のベッドに侵入する癖やめろ! あと、何で気が付いたら薄着になってんだよ気持ち悪い!?」
こいつは何度かこの家で寝泊まりしたことがある。その度に奴は寝ている俺の傍に寄って来るのだ。これが吟ちゃんならなぁ......。いや、昨日の結末を迎えた今、それも手放しでは喜べないか。
「ふむん......。不動明七不思議の内の二つだな」
「不動明一族の七分の二をお前が占めてるじゃねーか」
残りの五つはなんだよ。こえーよ不動明家。
因みに幽の家族と出くわした覚えは無い。こいつの家で遊ぶ時はもっぱら誰もいないときで、それ以外は俺の家となっている。
「残りは......すまん、今のお前にはまだ早い」
「どういう意味でだよ......」
本格的にこいつとの関わりを見直す時期なのかもしれない。
「それにしても、相変わらず料理は美味いな。というか要領が良いっていうのか? よくもまぁ短時間でここまで作れるな」
テーブルに盛られた料理をつつきながら幽が感心したように言った。
「まぁ、あれだよ......将来こういう技術があっても困らんだろ」
俺は少しばかり気恥ずかしくなって味噌汁をすすり顔を隠す。
「専業主夫というやつか」
「世の中そんな甘くねーよ。仮にそうなったとしてもずっとそれが続くかは分からないだろう? いつ相手に見放されるかひやひやして落ち着かねーと思うぞ」
「ふむん......」
白米をかきこむ箸の動きを止め、すこし考え込む幽。空いた左指で何かを数え始める。
「少なくとも二人は安心していいんじゃないか?」
「はぁ? なんの?」
考え始めたと思いきや、突然訳の分からない事を言ってのけた。二人?誰と誰の事だ......。というか何の話だ。
「いや、分からないならいい。俺の出る幕じゃあない」
クックッと押し殺すように笑うとまた、白米をかきこみ始める幽。こいつどれだけ食うんだ......。
謎を残したまま、幽はもうその話をする気は無いようで、淡々と自身の腹を満たしてゆく。
はぁ。月曜は憂鬱だ――。
* *
喧騒に満ちた教室の扉を開け、俺と幽は中へと進む。何時も以上に教室が騒がしいが、まぁ休み明けで積もる話題も多々あるのだろう。
「しかし......あそこからどう行けば良かったんだよ吟ちゃん」
「あの後気絶するように眠ったからな......」
バッドエンドを迎えた後俺たちは風呂に入ると、ゲームを再開する気にもなれず貪る様に快眠を迎え入れた。
「あー......寝足りん」
眠気眼を擦りながら幽は自身の机へと向かった。俺はそれを暫し見守りながらゆっくりと足を進めた。
教壇のある教室前方から窓際に沿って後ろへと向かう。すると、
「陣、おはよう」
と、氷川が声をかけてきた。
「おっす......というか学校で名前呼びはマズいだろうが」
周囲に聞こえない程度に小声で話す。
「じゃあ使い魔さんって呼んだ方がいい?」
「勘弁してください」
揶揄うように目を細める氷川。今日も片側だけ水色のヘアゴムで髪をまとめている。
その部分をじぃっと見つめていると、気が付いたのか氷川が口を開いた。
「あぁ、これ? お揃いだね」
「魔女様が揃えたんじゃないんすかね?」
「正解。よくできました。......だったら分かってるよね? この意味」
依然楽し気に目を細めてはいるものの、俺は突然の寒波に身を凍らせていた。え!? 意味って何!? 全ッ然分からないんですけど!?
ぴくりとも笑顔を崩さない氷川。ここまで来ればこの笑顔は仏のそれではなくむしろ悪魔のものだろう。
「あー......あぁ。あれね? あの意味ね!? 勿論分かっているとも俺を何だと思ってんだ。あーそっちね、はいはい」
全身を舐める冷や汗を隠しながらなんとか言葉を返す。この隙に何とか考えなければ......! えぇっと......俺とお揃いのヘアゴムを付ける意味......。
俺が氷川から受け取ったあの日。氷川という魔女と交わした使い魔という契約。ただの口約束で拘束力なんてありはしないお人形遊びの延長線上のちゃちな約束。
だが、俺はこの契約を破棄するつもりはない。
氷川という偉大な白が俺を認めてくれた。承認欲求を満たされたあの快楽。そして決して抜け出すことは叶わないとさえ思う程の魔性。
どうやらそう思っていたのは俺だけではなく、氷川もそうであるらしい。じゃないとわざわざ同じヘアゴムを付けたりはしないだろう。
手を差し伸べた先の責任は互いを絡めた。
「――契約の印、だろう?」
俺は手に嵌めていたヘアゴムをそっと氷川だけに見せた。幸いなことに今は冬服の装いなので、これがばれることはあまりない。
綺麗な水色のヘアゴム。氷川の薄く色付いた唇と似てなくもない。
「......うん、百点あげる」
椅子に座っていた氷川が見上げるようにこちらに目を向けた。長く長く伸びる睫毛は重力に逆らうように天井の方へと顔を向けている。
「そりゃあ良かった。契約主の機嫌を損ねなくてなにより。まぁ俺としては点数なんかよりも物を頂きたいがね」
軽口を衝く。
俺はサッとその場から立ち去り、足早に机へと向かう。
あぶねぇ!! 良かった! どうやら当たっていたみたいだ! なんかカッコつけてスカした雰囲気で『契約の印だろう?』とか痛いこと言ったけど満足したみたいだ。脇汗がすごい!
内心の波乱っぷりを精神力で押さえつけつつ、漸く自分の机へとたどり着くと鞄をおろし、椅子に掛ける。ん?俺の椅子、こんなに柔らかかったか......?
「やぁ、おはよう陣。早朝から彼女に腰かけるなんてなかなかの王子様っぷりだね。僕としても尽くし甲斐があるよ。さぁ、感触をもっと味わってみてくれ」
ははは。おかしいな。昨今の椅子はペッパー君よりも高性能らしい。人肌の体温を保って、柔らかくて、すべすべの太ももで、なおかつ顔が良いと来ている。
これでは少子化問題や晩婚化も頷けるというものだ。
「ハハッ、この椅子随分と顔が良いなぁー」
「ッ......! 顔が良いだなんてそんな......照れるよ、陣」
椅子が突然照れだし、その拍子で俺を突き飛ばす。
「ぐぇッ!?」
突き飛ばされた先には温厚な袴田君が静かに読書をしていた。ふくよかで丸みを帯びたマスコットキャラクターみたいな彼の背中におもっきり頭突きをお見舞いしてしまう。袴田君は突然の攻撃に潰れたカエルの様な鳴き声を放ったのち、机に突っ伏してしまった。ごめん、袴田君。
「あ、あぁ、すまない陣!」
我に返った俺の椅子――もとい冬姫は咄嗟に俺の方へと駆けだすと優しく手をひいて上体を起こしてくれた。
「あのな......なんで朝っぱらから俺の机に待機してんだ......」
打ち付けた頭頂部を摩りながら冬姫に顔を向ける。これでもし、万が一髪が生えてこなくなったら彼女に将来面倒を見てもらうことにしよう。
「ん? 彼女が彼氏の椅子に座ることがそんなにもおかしな事かい?」
平然とした顔でそう言ってのける冬姫。
彼女の声量は特別大きなわけではなかったが、それでも教室内には響き渡ったようで、
「え......今、王子様が烏羽君の彼女って」
「もしかして、ふたりとも付き合っているの!?」
「それにいま二人して抱き合っていたようにも......」
ざわざわと俺の周りがさざめいた。
と、同時に朝礼を告げるチャイムが鳴り響く。
「おっと......もうこんな時間か。それじゃあ陣、また昼休みに」
言いたいことを言い残し、冬姫は颯爽と自身の教室に帰っていった。
周囲のクラスメートも疑問を残しつつも、自身の机へと戻っていく。
俺は呆然と立ち尽くす。いやいやいや、何しに来たんだよアイツ。
「みんなおはよう! ......あれ? 烏羽君どうしたの? もうチャイム鳴ったよ?」
気が付けば教室の扉をあけ、担任の甘南先生がひょっこりと頭を飛び出させていた。
「先生......青春って何ですかね」
「え、えぇ......?」
俺の突飛な質問に困り顔を作る先生。
「いえ、何でもないです......」
先生を困らせたいわけでは無かったので、早々に話を切り俺は席に着く。
「......」
先生はもの言いたげな顔をしつつも、朝のホームルームに取り掛かった。
席に着いて改めて周りを観察する。どうやら一度ついた火はなかなか消えるものでは無く、未だこそこそと先ほどの話で盛り上がっている様だ。
氷川はつまらなさそうに、顎に手をやりじっと机の端を見ていた。
「やっぱり付き合ってるんだよ二人」
「えぇー? 釣り合わなくない? だって王子様だよ?」
「それこそ辻君とじゃない?」
「そのカップルはヤバみしかない! 見てみたいなぁ~」
――あぁやはり、月曜は憂鬱だ。




