第三十八話 王子様は誘う 一
「――えっと、以上で先生からのお話は終わりです。それじゃあホームルーム終わり! 皆お疲れさま!」
甘南先生の穏やかな声を皮切りに、生徒たちが一斉に席を立つ。いつもの半分程しか授業がないため、随分と時間が経つのが速いように思えた。
「さて、今日はバイトもないし......何するかな......」
俺は引き出しから筆記用具だけ取り出すと、気もそぞろに鞄に手をかける。が、そんな逸る俺の身体を止めるには十分な黄色い声がそこかしこから上がった。
「キャー!! 冬姫様だわ!」
「王子様が何でこの教室に!?」
「尊い......存在がもう、ダメ......神だわ」
「あらやだ! あまりに嬉しすぎて腰抜かしちゃったわァ」
声の上がった方へ向かなくても分かる。この教室に冬姫がやってきたのだろう。彼女のファンがそれを目に入れ、奇声を発したに違いない。後、最後の奴やたらと声が野太かったぞおい。
「あはは......そこまで歓迎されると、恥ずかしいね」
クラスメート達の震える声とは違い随分と落ち着いた、けれど確かに女性の声が俺の後方からする。
教室の床板を踏みしめる音がだんだんと近づいてくるのが分かる。
「やぁ、お迎えに上がったよ、王子様」
俺の肩に冬姫がそっと手を置いた。反射的に後方へと身体を向けると、それを待っていたと言わんばかりに、冬姫の親指と人差し指が俺の顎を優しくつまんだ。
必然的に見上げるようなポーズになった俺と、そっと優し気に俺を見下ろす冬姫の視線が交わる。
「え!? え!? どういう事!? 今、冬姫様が烏羽君の事を王子様って言わなかった!?」
「王子様が王子様を迎えにって......これって暗黒舞踏会!?」
「尊みが深すぎて......あ、倒れそう」
「烏羽 陣......。中々のダークホースじゃない......いいわネ」
先ほど黄色い声をあげていたクラスメートたちは今度は濁った色をした声を荒げる。暗黒舞踏会ってなんだよ。後、最後の奴名前を教えろおい。
「ふーん......烏羽君ってあんな女の子と繋がりあったんだ。意外......ってきり!? どうしたの!? 凄い眉間に皺寄ってるけど! そんな顔初めて見たよ!」
「......ただの顔のストレッチ......ははは......」
「ストレッチにしては鬼気迫ったカンジだけど......」
そんなやり取りが氷川達の方から聞こえた。
「んで......何してんのお前」
依然顎を掴まれたまま、俺は器用に口を動かす。
「ん? 迎えに来たといったんだよ。さぁ行こうか」
「まて、まて。俺の質問に答えてないぞ!?」
慌てふためく俺の袖を引き、冬姫はゆっくりと教室を出ていこうとする。
引かれる俺は縋る様に辺りに目を向ける。視界に映るのはこちらを物珍しそうに見守るクラスメート。誰も助けようとはしてくれないのか、ただただ見守るばかりだ。
次いで蝉の死骸。これはカメムシ目・セミ上科に分類される昆虫の死骸だ。夏の熱気と共に、気が付けばその声と姿を曝け出すが、いつのまに訪れる寒風と共に姿を消す夏の風物詩。奇怪な事に、なぜだかそんな夏の風物詩がこの教室にいた。今年の蝉は慌てん坊さんで随分と大きいらしい。次。
この方向へ出来る事なら首を向けたくなかった。彼女がこの光景に不満を抱くのは自明の理だからだ。だが、冬姫に腕を引かれ、後ろ歩きでもたもたと足を動かす俺は、悲しい事にその方角へと首を曲げてしまった。
「――え!? 鬼!?」
一瞬、鬼が瞳に映った。絵本に出てくるようなデフォルメされた可愛らしい鬼ではなく、古典の教科書に記載されているような古来の鬼。
「あ、なんだ氷川か」
というのもほんの一瞬で。流石にまずいと思ったのかすぐさまいつもの仏頂面に戻る氷川。だがこの状況が気に食わないのだろう。眉間に皺が寄っている。それはもう数えるのも億劫なほど。
「あぁ! 冬姫様が出て行ったわ! どこに向かうのか後を追いましょう!」
「「勿論!」」
教室を出ていく俺たちを追おうと数人の女子が急いで帰り支度に取り掛かった。
「烏羽 陣......。良いものを見つけられたワ。これからの学校生活に張りってもんが出てきたわネ」
「だからお前誰だよ! 覚えてろよ! あっ、ちょ......冬姫! もっとゆっくり歩いてくれ! 痛い痛い! 前向かせて! 俺の足が向いちゃいけない方向に......俺を抱きかかえるな、匂いを嗅ぐな――」
喧騒にまみれた教室を尻目に、俺と冬姫は廊下を駆け抜けた。正確に今の状況を説明すると、“俺を抱えた冬姫”が廊下を駆け抜けた、だ。
「ふぅ......あなたは随分と人気者なんだね。二人きりでゆっくり話したかったんだが気が付けばこんなところに来てしまった」
「ねぇ、客観視って言葉知ってる? 知ってるよね? 高校生だもんね?」
冬姫の分かりにくいボケに、枯れた喉を奮い立たせツッコミをいれつつ、息を整える。俺をおぶって走っていた冬姫は少しも息は乱れていない。
「僕を馬鹿にしているのかい? 当たり前じゃないか」
どうやらボケではないらしい。えぇい分かりにくい!
辺りを見渡す、どうやらここは礼拝堂の裏の様だ。決して俺は怖くて目を瞑っていたわけじゃない。決して。
「この中、普段は使われていないんだ。丁度いいから中に入ろうか」
微塵も躊躇いを見せない冬姫に俺は慌てて声をかける。
「おい、いいのかよ勝手に入って!?」
「学校内の建物に学生が入ってはいけない理由があるかい?」
最もらしい言葉を言ってのけた彼女だったが、それはあまりにも極端な論だろう。
「いや、あるだろ......ってもう入ってる!?」
「さぁ、おいで陣。あなたと話がしたいんだ」
にこやかに手を振りながらその姿を眩ます。彼女の奔放さにはある程度慣れていると思っていたが、前言撤回。幼少期より増してるぞ......。
改めて、豆腐のような形をした建物を視界に納める。校舎と同じように白く無機質に塗りたくられた壁は所々黒ずんでいて、年数を思わせる。だが、作りがしっかりしているのか、倒壊するような危うさは少しも感じ取れない。
重厚な濃い茶色をした扉に立てつけられたドアノブを捻る。手垢に塗れて色を落とした黄金のドアノブがなんの抵抗もなく回り、静かな音を立てて扉が開かれる。
「し、失礼します」
恐る恐ると、全身の筋肉を強張らせた状態で足を踏み入れた。




