第三十四話 一陣の風が吹いて
ここから第二章が始まります
俺の前後を、二人の異なった――けれど確かな美少女が陣取っていた。
観覧車乗り場からやや離れた広い道、ミクラムから駅へと向かう様々な人たちが我先にと足を速め通り過ぎる。中には、この光景になにか面白いものでも見出したのか、ちらちらと鬱陶しい視線を寄越しながら、けれども足は止めずに去ってゆく人も。
俺は度重なる気持ちの振れ幅に暫し気を手放す。ただただ、視界に映るものを認識しては先から忘れる。あー、あのウサギ可愛かったなぁ。そういえば何でウサギって一羽二羽って数えんのかな......。
すり減った神経を補うように俺は二フラムで愛嬌を振りまいていた小動物達を撫でる。勿論今この場にいるわけがないので、俺の手は悲しくも虚空を撫でていた。
「......陣、知り合い? 誰? どういった関係?」
俺の無謀な逃避行は唐突に終わりを告げる。
やけに冷たく、聞き入れる鼓膜に棘を穿つこの声はご存じ氷川霧華。
俺の後頭部に氷柱が刺さった様な感覚がじわりと生まれる。恐らく、ただ一点――俺の旋毛を凝視しているに違いない。魔女の事だ、視線だけで相手にダメージを与えるなんて、当たり前の様にやってのけるのだろう。そんなバカげた話を疑いなく飲み込めるような圧が、俺の背面から放たれている。
「僕はずっとあなたと話がしたかったんだ。けれど、陣はただただ僕を避けるばかり。嫌われてはいない......と思っていたんだが、どうやらその予測は外れているみたいだね」
今度は俺の前方。顎のラインに切りそろえられた、艶めく漆黒の髪をいじらしくつまむと、愁いを帯びた溜息を吐く冬姫 舞桜。男子の平均身長を超す彼女は、優雅な動作でその小さな頭を僅かに振ると、艶を放つ綺麗な唇を小さく開けた。
俺は首を固定されたように彼女の身体を視界に納める。本当に何も変わってないな......。
乾ききった口を巻き込み、少しばかり濡らすと観念して声をあげる。
「オレ、オウチ、カエル」
某宇宙人も喝采の拍手を送ろうかとでも言わんばかりの白熱した演技は、ただただ場の温度を下げただけだった。
「言い訳は聞かないから。早く答えて? ねぇ? 誰? どういう関係?」
背面にかかる圧が強くなった。俺は氷川の方へと身体を向ける。目に飛び込んできたのは妖怪も素足で逃げ出すような、鬼気迫る表情をした氷川だった。妖怪って元から素足じゃない?
「えっと......まぁ別に隠してたわけじゃないし? そもそもアイツ......冬姫とは幼馴染っていうか。ほら、幼少の頃よく遊んでいたけど中学にあがると途端に疎遠になる奴とかいるじゃん? そんな感じ......かなぁー? あはは」
「中学に上がった後も、陣が転校するまでずっと一緒に遊んでいたじゃないか。それに一年生の時も多少交流があった。まさか忘れたわけじゃないだろう? あの時の......僕との思い出を」
「ちょっとだけでいいから口を噤んでいて欲しいなぁ!!!???」
『何おかしなことを言っているんだい?』とでも言いたげに目を丸くさせ、首を傾ける冬姫。枝毛とは無縁に見えるサラサラな髪が傾く首に合わせ滑り落ちる。
「へぇ......幼馴染。毎日、一緒......思い出......へぇ」
「単語を羅列するのやめてくれません? 何? 呪いの詠唱中? 今攻撃すればキャンセルできる?」
無表情でブツブツと単語を口にする氷川をどうすることも出来ずにいた。時折『へぇ』っと何か確信したように相槌を打っているのが余計に怖い。俺も金の脳欲しい。
「そこにいる彼女は......氷川さん、だね。陣と同じクラスなのは知っていたけど......まさかデートするような仲だとはね......知らなかったよ」
俺と氷川のやり取りの間に移動してきた冬姫が俺の耳元で囁く。身長差がない為、まるで影の様に俺の背後にぴったりと吸い付いている。
「僕は陣と言葉を交わすことが出来てすごく幸せなんだ。本当に、ただただ幸福感に満ち溢れている。君と......こうして。長い間見ていた夢が叶ったよ。君に感謝を」
吐き出しそうなほど甘く煮詰められた言葉を詰まることなく放ったのち、冬姫はこれまた、舞台上でスポットライトを一人浴びる役者の様にそっと背後から俺を抱きしめた。顔を左肩にうずめると、熱のこもった吐息を発し俺の皮膚を撫でる。背中に感じる柔らかな感触と彼女の体温は、ぬるま湯に全身を浸からせた様に固まった俺を溶かす。
「この匂い。凄く久しぶりに感じる......。オリヴィエで働いていた時以来かな? どれだけ身体を疲労させても、心に暗い影が落ちていても、君の匂いを嗅ぐと全てが洗われたように思えるんだ」
「え!? 俺そんな臭い!? ていうか離れろ! 匂いフェチ!!!」
俺が暴れると、観念したように『あっ......』とだけ呟いてその場を離れたが、今にも泣き出し様な表情だ。
俺は全身を大きく振り回しながら冬姫に問いかけた。さりげなく自身の体臭も確認する。
「冬姫......お前は一人でここに来たのか?というかこれから帰るんじゃないのか?」
「演劇部の後輩の女の子たちがね、僕とデートがしたいというものだから学校が終わってここに来ていたんだ。彼女たちは先にカフェに入っているよ」
そういうと、駅に併設されているカフェを指差す。中は人でごった返しているのがここからでも分かる。オレンジ色の照明が夜に映え、温かな雰囲気を醸していた。
「よかったら陣、君もどうだい? 歓迎するよ。勿論......氷川さんも、ね」
にっこりと笑みを浮かべ両手を差し出す冬姫。俺はそんな冬姫と未だブツブツ呟いている氷川を見比べると、分かり切っていた事を今更口にする。
「誘いはありがたいが......先約はこっちなんだ。すまん」
俺が何を言うのか、彼女自身も分かっていたのだろう。「だろうね」と小さく呟いて、くるりと踵を返す。俺はどこか悲し気な雰囲気を纏う彼女の背中に声をかけた。
「......嫌ってねーよ。この一年お前を避けてたのは、俺が弱かったからだ」
急かすような風が一陣、背後から流れた。その風はゆっくり俺の前方を抜け、冬姫の髪を僅かだけ持ち上げると彼女のうなじを曝した。
冬姫はその風に身を預ける様に少しだけ立ち止まると、何かを受け止めるように、取りこぼさない様に視線を上げた状態で言葉を漏らした。
「ずるいじゃないか......またそんな優しい言葉を......僕は――」
最後の言葉は本当に小さく......風に流されてしまって、俺の耳までは届かなかった。




