第二十七話 魔女の放課後 二
静かに扉を閉めると辺りを伺うように見回す氷川。
「よぉ......タピったのにまだ飲むのか。太るぞ」
「なんでタピったの知ってるの?」
しまった。無駄に口を滑らせてしまった。
「昨今の高校生は放課後はタピるべきだって幽が言ってたからな」
「あんま、信じない方が良いと思うけど......」
「俺もそう思います」
すまん、幽。俺の犠牲となってくれてありがとう。森の賢者は伊達じゃないな。
「けどまぁ、あながち間違ってもないかな。今日は二件回ったよ」
二件周った事を指し示す為に右手でピースサインを作る氷川。
「じゃあ昨日は?」
「......二タピ?」
今度は左手でピースサイン。無表情な顔と合わさって、これは......。
「これが彼の有名なダブルピースって奴か!」
「は?」
喰い気味で返された。何この人凄く冷たい! 多分夏場は重宝される。一家に一人は置いておきたい。観賞用としては最高品質だと思います。
「えっと.....カフェラテを一つ下さい」
極低温で凍り付けられた俺をよそにゆっくりとカウンターに腰を降ろした氷川はマスターに注文する。
「かしこまりました。さぁ、陣君。仕事に戻ろう」
「......うっす」
空になったプレートを流し台に置き、サロンをつけて手を洗う。
「本当、ラテ好きだよな」
カウンター越しから話しかける。氷川は鞄から取り出した筆記用具とノートを開き、教科書に目を向けている様だが意識はこちらへ向けているのだろう。薄墨色の綺麗な髪から覗く小ぶりな耳がぴくぴくと忙しなく動いている。
「まぁ、美味しいし。それに私、一度気に入ったものって、ずっとそればっかなんだよね」
「へぇー......そうなのか。そしてその視線は何を意味しているのか聞いていいか?」
「は? なんで?」
少し顔を伏せる氷川。髪の隙間から赤紫の瞳が揺れている。ほんのりと耳が色付く。
「いや、俺の方を向きながら勉強って出来るものなのかなって」
「出来ているけど? なに? 気になんの? 私の事が」
「いや、気になるだろ。お前さっきからずっと象形文字書いてるぞ」
「......これはあれ、象形文字の授業の課題だから」
「まじかよ。俺同じクラスなのに初めて聞いたぜ」
「......カフェラテまだかなー」
「その話題転換は無理があるぞ......」
俺は諦めて氷川の注文にとりかかる。
グラインダーで極細挽きにしたコーヒー豆を専用のホルダーに詰め込むと、少し力を入れる。それをマシンにはめ込みスイッチを押す。すると、マシン全体から大仰な音が鳴り、先ほど挽いた粉を通しとろみのある液体が零れ始める。これがいわゆるエスプレッソだ。
同時進行で俺はピッチャーと呼ばれる器具に牛乳を注ぐ。そしてマシンの隅に備え付けられているノズルを沈めるとレバーを引く。ごぽごぽとお湯が沸くような音が。発射されたスチームが中で気流を作り液体をかき混ぜる。
そうして温めた牛乳を先ほど抽出したエスプレッソに注ぎ、カフェラテを作る。
「......相変わらず凄いね。結構練習したの?」
遂にノートを畳んだ氷川は食い入るように俺の動作を見つめていた。すげーやり辛いんだけど......。
「そりゃあ......まぁ」
ぶっきらぼうに応えると、注ぎ終えたカップをカウンター越しから氷川の前へと差し出す。
「おまたせ」
「アリガト」
彼女は素直に礼を言うとちびりと唇を縁につける。飲むときに少しだけより目になっているが、俺はそのことを指摘するつもりはない。
静謐を取り消す様に氷川が話をふる。
「烏羽は将来何になりたいの」
「特にこれと言ってないけど.....そうだな、主夫とか?」
「意外と務まりそうなのがちょっとムカつく」
冗談交じりにそういうと口の端を少しだけ持ち上げる。くすくすとススキのように揺れる彼女に合わせ、薄墨の髪が光を返す。
「......氷川は?」
話の流れから自然と、俺はそう口にした。
「私は......私は。一体何になれると思う?」
空気が変わった。それまで仏頂面ながらも笑みを携えていた彼女の顔つきが、途端に引き締まる様に硬いものへと移り変わる。
俺は少しばかり目を見開いて、口を噤む。数秒吟味する様に言葉を頭の中に浮かべ、言葉を送る。
「なんでも......とは言えない。言わない。なんでもなれるなんて、おとぎ話だ。実際は自分の能力と環境を踏まえて......そこそこの落としどころを見つけるしかないからな」
氷川はじっと俺を見つめていた。魔性が眼球から這い出てくるように俺の傍まで手を伸ばす。受け入れるように俺は微動だにしない。
「けどまぁ......俺よりは随分と多い選択肢だと思うがな。贅沢な奴だ」
少しも視線をそらさない。
「本当に主夫になろうと思ってたの? 小さいころから」
「いや、ガキの頃は......何だったかな。思い出せないけど、今とは多分違った。違うことは分かる」
これは嘘だ。俺は一度も忘れた事は無い。けれどやっぱりまだ氷川には言いたくない。
「そっか......そっかぁ。じゃあさ、烏羽にとっての私って......何?」
噛みしめるように目を閉じ、直ぐに開く。そして唐突なことを聞いてきた。
「あん? そりゃ......同じクラスメイトで......あと、客と店員? か。それぐらいじゃないか」
「じゃあさ、私にとっての烏羽ってなんだと思う?」
赤紫が鈍く光る。どろどろとした何かが瞳の中で蠢く気配を感じた。普段感じる魔性とは別の、危険な何か。
「同じクラスメイトで......客と店員......でしょうか」
あまりの迫力に言葉が改まってしまったが、彼女を前にすれば誰だってそうなるだろう。収まり悪く後頭部を掻く。すると、
「――内緒」
魔女が楽し気に笑った。




