第二十四話 茂可家の苦難
左右の部屋から漏れ出す騒音に満たされた廊下を炭家 礼は機嫌よく歩く。
つい数十分前までの彼女からは想像できないほどの上機嫌っぷりは、当の本人にしか分からない。誰もいない廊下で騒音にかき消されながら鼻歌を混じらせる。
「マジ暇だったけど、まぁ最後はそこそこ面白かったかなー」
目的の部屋までたどり着くと、おもむろにドアを開く。中では誰かが歌っているのだろう。マイクに乗せたエコー音と機械的なメロディが耳を塞ぎたくなるほどのボリュームで鼓膜を震わせる。
「あぁ、礼。彼女は?」
部屋に入ってきた礼に一番最初に気が付いたのは心配そうな表情を見せる茂可家 命。あらゆる方向に切っ先を向ける黒いツンツン頭はハリネズミを彷彿とさせる。
「んー? マジで体調悪いっぽくて、こんまま家に帰るってさー」
礼はちらりと命の方へと顔を向けると、最低限の会話をし即座にソファーへと腰を下ろす。真っ赤なソファーへと溶けるように爪先が深く沈み込む。
「そうか、それならいいんだ......いや、良くはないが」
彼が心配性なのは生来のものと分かっていたのでこれ以上深く関わることを止めた礼。お気に入りの黒と金のポーチからイヤホンを取り出すと、すぐさま自分の世界にこもり始める。
「なんかさぁー。カンジ悪くない?」
その一言で、空気が変わる。耳を劈くような声量で歌っていた織山も反射的に口を閉ざす。部屋の中にいる一部の人間を覗き、皆が冷や水をかけられたような錯覚に陥る。本所呼子は分かっていないのかはたまた空気が読めていないのか尚も歌声のないメロディーに身体を揺らしている。
一言でこの部屋を塗り替えた張本人――美茂柘榴は大仰なため息を吐いて、言葉を重ねる。
「そっちの氷川さんも、こっちの炭家さんも。せっかくこうやってさ、皆が皆楽しもうって頑張ってうちらが企画したのに、全くそんな素振り見せないじゃん」
「......へー。そう」
名前を出された二人のうちの一人、礼は尚もイヤホンを付けたまま、まるで他人事の様にから返事をする。その言葉を受けて柘榴は頬を赤く染め、鼻息を荒くさせる。
「そーいう態度の事なんだけど? 分かってる? うちがどれだけこの日の為に費やしたか!?」
「ぜんぜ、知んないケド。もしかしてマジメに怒っちゃった系?」
憤る柘榴に対して挑発するように深紅の長い舌を覗かせる礼。
二人を宥める様に、間に命が割り込む。持ち前の手足の長さを利用して互いを遠ざける。
「まーまー!せっかくなんだから楽しくやろう! ねぇ! 九名君も辻君もそう思うでしょ!」
何とかこの場を収めたい一心で傍に居た二人に返事を促すが、声は返ってこない。
先ほどトイレから帰ってきた辺りから九名の表情はどこか青ざめており、思いつめる様に時々眉間に皺を寄せていた。
もう一人の辻はというと、途中まではカラオケを楽しんでいた様子であったが何時頃からか腕組みをして微動だにしない。
「えぇ......」
「いえーいえー」
だんまりを決め込む二人に弱気な声をあげる命と、未だノリノリな呼子の声が一瞬重なる。
「ひ、氷川さんは体調不良で帰ったんだよ、な? な? だったらもう......放っておこうぜ! その方が本人にとってもいいだろうしな! うん」
周りの空気を押しのける様に織山海里が命の肩を激しくつかむ。唯一の味方だと言わんばかりに『な!』っと連呼して命の肩を何度も叩く。命も次第に元気を取り戻し文字通り暗い部屋を明るくするために奮起する。
「よし、それじゃあ皆で楽しくカラオケを再開しよう! 氷川さんの分まで!」
「あ、あーしはパスで」
見計らったように礼が挙手しハッキリと宣言する。その言葉が口を衝いて出た時には既に帰宅の用意を始めていたのか、自身の料金をしっかりとテーブルに残し、足早に部屋を出て行った。
「えぇ......」
本日二度目の深いため息が、静まり返ったカラオケルームに轟いた。
* *
欠けた人物を補うように部屋で会話が埋め尽くされる。
「なにあれ!? 信じらんない! 見た皆、炭家さんの態度! ありえなくない!?」
「まぁまぁ、落ち着きなよ美茂。礼も確かに悪いけどさ......」
「悪いけど、なに?うちも悪いの?どこが?」
しまったーーと命は心の中で小さく舌打ちをする。場を鎮めようとするあまり、無駄な事を口走ってしまった。
先ほどから美茂の機嫌は酷く悪い。誰のせいかと言われれば、礼しかいないのは分かっていたが彼女の態度も仕方ない様に命は思っていた。
そもそも今回のこの集まり、建前上は『他校との交流を図ったカラオケ』だ。だが、腹の内側を言うと『美茂柘榴と辻御幸』の繋がりを作るだけの機会である。
そもそも今日日、他校との交流会なんてものはわざわざ開かなくても気になった者同士でSNSでいくらでも繋がりあえる時代だ。
これは美茂柘榴が企画した美茂柘榴の為だけのもの。そして、この場に集まった人間もほとんどが彼女が強引に引っ張ってきた者たちだ。
織山は同じバンド仲間として強引に。命は「どうしても副会長の力を貸してほしい!」という無下にできないお願いで。本所はこの中で唯一の美茂の友達だから分からなくはないが......。
十代田高校の九名と辻以外の人間がどのように集められたのかは知らないが、こちらとそう大差ないだろう。命は強く握った掌を開く。くっきりとあとが残る程だ。
炭家礼は命が強引に誘った。一方的にこちらに助けを求めた美茂は阿佐ヶ谷南高校生徒会副会長の命にまるで買い物でも頼むようにこう言ってのけた。
「副会長さ、結構人徳あるじゃん? じゃあさ適当に女の子選んで連れてきてよ! お願い!」
はじめ、何を言っているのか理解できなかった。『適当に?』『女の子を連れてこい?』
あっけに取られていた命を置き去りに美茂はさっさと友達の輪に加わり、気が付けば姿を消していた。
「あの時はっきりと断っておくべきだったな」
知らず言葉が漏れていた。随分と遅い後悔だった。
「......は? なに?」
腕を組み、『私は今機嫌が悪いです』というポーズをとる美茂に命は呆れた声を吐き出した。
「キチンと断らなかったのは俺が悪い。あいつの態度も悪い、けど、一番はお前の傲慢さだ。もう少しその傲慢さを無くせば可愛げがあるのにな」
その気は無かったのだが、随分と棘の含む言い方になってしまった。口から零れ落ちた言葉は二度と収集がつかないので諦めて受け入れる。
まるで射られた的のように、聞き入れた美茂はわずかにバランスを崩す。
「......え?」
「やっぱ皆で楽しくカラオケは無しだ! すまんな!」
ここ一番の曇りない笑顔を見せると少し多めの金額をテーブルに叩きつけ、礼を追うように部屋を出ていった。




