第二十三話 正しい選択
「はぁー......いって......」
俺はトイレで一人寂しく痛みを噛みしめていた。起き上がろうとすると腹部に強い痛みが走る。九名の奴、本気で蹴りやがって......。
ふと見た鏡には随分と小汚い男が映っていた。流石にこのまま部屋には戻れないから洗面台で口から滴る血を洗い流し、身なりも整えてから出る。
すると、入ってきたときには無かった『清掃中』という看板が入り口に立てられていた。はて? 清掃員は入ってきていないはずだが......。と疑問を浮かべながらトイレから出ると、一人の女の子が傍の壁にしゃがみ込んでスマホを弄っていた。
「......君、なかなかカッケ―事、すんね~」
え......誰?
「すいませんお金なら勘弁してください! 俺今月買いたいゲームがたくさんあって!!」
「いや、カツアゲじゃないから?」
そういうと困った様な笑い顔を作り、女の子は短く折られたスカートを軽く叩き立ち上がる。
随分と長い髪は不思議な色を宿していた。なんて表現すれば良いんだろうか。くすんだ様な灰色、六月の曇り空を模したアッシュグレー?
腰に届きそうなほどの長髪は、しっかり手入れされているのかシュルシュルと音を立てて真っ直ぐに垂れる。
「氷川ちゃん......だったっけ? が体調悪いって出て行ってから全然戻らないじゃん? 茂可家――あぁ連れが心配だってうるさくてさー。異性じゃトイレに入れないからって言うんだけど美茂も呼子もカラオケに夢中で話聞いてない系でさ。結局あーしが来たんだけど、ぜんぜ、いなくて」
じっと俺を見つめるギャル(仮定)の女の子。ちょっと雰囲気が氷川に似てなくもない......かな。
タイプ的には久田に近いだろう。短いスカートに、校則を全否定するかのようなアッシュグレーの髪、浅黒い肌と深紅の爪。だが、不思議と不快感は無い。こちらを軽視するような発言もしない。
「諦めて部屋に帰ろうとしたら男性用の方から聞き覚えのある声が聞こえた」
「あぁ......九名.....」
「ヤバ気な雰囲気だったから、暫く耳を澄ませてたんだけど」
どうやら彼女が気を使ってあの看板を立ててくれたようだ。だからあのタイミングで誰も入って来なかったのか。
「あんなに他人の事でおこな奴、初めて見たし。君、結構カッコよかった」
「はぁ......」
正直言って俺も頭に血が上っていたから少し恥ずかしいんだが、それでも彼女は俺をほめてくれる。耳がじんわりと熱くなってきたのが分かる。あれ? 大丈夫俺!?
「向こうの九名とか、辻よか、全然イイじゃん。ね、交換しよーよ」
そういうと真っ赤な指先を画面に走らせORコードを見せる。指先よりも真っ赤な舌がチラリと覗く。
「あーしの名前は『炭家 礼』君は?」
「あーしは烏羽 陣と申します」
「やば、なにそれウケる。あーしの真似?」
ケラケラと笑みをこぼしながら俺のスマホを操作して互いの連絡先を交換する。
「九名と知り合いってことは、そよ校っしょ? またネ☆」
そういうと、赤に彩られた指先を俺の鼻頭にちょんと突きつけ、足早に去っていった。
――――
階段を上るのにも苦労する身体を引きずり漸く部屋の前まで戻ってきた。顔に出来たいた痕はこの長い髪で何とか誤魔化せそうだ。ふぅ......一度息を整えてから入るか。いや......なんて言って入ろうか。
浮かび上がった馬鹿馬鹿しい言葉を飲み込み、これまで通りの俺を演じればいいと頭を振るう。
「おーっす只今。悪いな二人とも、うんこしてたら遅くなった」
軽い扉を開け中へと進む。薄暗い部屋には二人の姿が見える。
「あ! 烏羽! やっとき......あんた、ちょっと遅くない?」
「そのテンションの上がり下がりは何?」
がたっと勢い余って立ち上がるも、すぐさま座り直す氷川。
「クックッ......随分とまぁ男前の顔つきになったじゃねーか? えぇ? おい」
幽がマイクを通しながら言葉をかけてくる。エコーがかかっているのが腹立つ。あと、小指を立てるな。
恥ずかしい事だが、幽にはバレているようだ。そっと口元に指をあてる。幽も分かってくれたのか軽く頷くと、それ以上余計なことは言わなかった。
幽と氷川の組み合わせは正直言って不安だった。だが、部屋の中には曲が流れており二人ともリラックスした姿勢で出迎えてくれた。良かった、無音だったらどうしようかと胃を傷める心配は無いようだな。
「おい陣、こいつの選曲、あまりセンスがないぞ!」
「はぁ? あんたの方がでしょ? なに『森のくまさんメドレー』って」
「ふん、この曲の良さが分からんとは。小学校からやり直してくるんだな」
「ねぇ、烏羽聞いて。こいつやたら歌声にビブラートかけてくるの。滅茶苦茶ウザくない?」
俺は詰め寄る二人に笑顔を浮かべながら近くのソファーに腰かける。
「よし! なら俺が真の選曲センスというものを見せてやる」
傍にあった電子目次録を操作して曲を選ぶ。俺がカラオケに来て一最初に歌う曲はいつも決まっている。
部屋中に軽快なギターの音が響く。アップテンポの曲に自然と身体はリズムを取り始める。一言では言い表せない事がたくさんあったが、だからどうしたというんだ。
「またあの仮面バンドか。お前いつもそれだな」
幽が呆れた様にため息を吐く。
「烏羽、女の子と一緒にカラオケ来ていきなり自分しか知らない洋楽を歌うのはどうかと思うけど。そんなんじゃモテないよ? まずは流行りのポップスとかドラマの主題歌とかさ、あるじゃん」
「ああ゛ぁ!? おまえらうっせーな! あ! ほらお前らのせいで冒頭歌い損ねたじゃねーか!」
向かい側で呆れながらも楽し気な幽と、ぐだぐだ言いつつもしっかりと俺の歌を聞き入ろうとしている氷川を視界に映し、やっぱり俺の選択は間違っちゃいなかったと、静かに胸の中に秘めた。




