第二十二話 灰色に出来る事 二
噂というものは、無から生まれることは無い。誰かが意思を持って、意図をもって伝聞する。そこにあるのは小さな嫉妬や悪意。
俺は、噂に詳しい友達からある情報を一つ聞いた。それを確かめる為に九名と話す機会を伺っていた。
俺と九名に接点は無い。だから体育倉庫で一人で片付けをしているあの時がチャンスだと思った。
薄暗い倉庫の奥でネットを片付けている九名の後ろ姿に口を開ける。
「氷川の噂......知ってる?」
まるで亡霊の様に突っ立っている俺を見て少し腰を抜かす九名。
「俺には関係ない事だけど......たまたま耳に入ってさ」
「烏羽......か? なんだよビビらせんなよ」
「自分でも驚いてるよ。なんでこんな事してんだろうって。......で、知ってる?」
「だからなんだよ。今その話必要か?」
止めていた手を再び動かし、俺を視界から消す。
「あいつは......氷川 霧華はそんな事しないと思うぞ。そんな人間じゃないと......思う。なんでそんな噂を流したんだ」
「だから! それを俺に言ってどうするんだよ! アイツが身体を売ってようが他校の生徒とヤリまくろうが! 俺には関係ねーだろ!」
口角に泡を吹く彼の言葉を聞いて、俺は確信した。
「俺は......その噂の事とは一言も言ってないぞ」
「!?」
衝動的になったのだろう。テレビのニュースでよく見る『カッとなってやった』というあれだ。
目を血走らせながら、俺の鳩尾に蹴りを放つ。低空から突き上げるような形で繰り出された右足は、ためらいなく俺の下腹部を抉る。顔やら手やらは跡が残るから服の下を狙ったんだろう。こんな咄嗟でもその辺りまで気が回るのは、彼が喧嘩慣れしているのもあると思う。
「うぶッ! ......ぇお」
「クラスの雑魚が、イキんな」
内臓が競り上がってきたような違和感と、こみ上げてくる吐き気。一瞬にして血の気が引いて顔から汗が滴る。
あぁー、馬鹿だなぁ俺。喧嘩とかしたことないし、そもそも殴られたことすら......いや、あるわ。メッチャある。幽にめっちゃ殴られた。初めてあいつと喋った時も突然ぶん殴られたな。どういう星の元に生まれ落ちたんだ俺は。
けど、幽の人離れした力に比べると九名の蹴りは、まだ人間だ。
気が付けば等の本人は体育倉庫から抜け出していた。足の速い奴だ。蹴りを入れられたはずみに盛大にボールを入れた籠を倒してしまった。随分と響いたから、もしかしたら誰か来るかもという焦りがあった。
幽に比べればなまっちょろい蹴りだったが、それでも俺にはかなりのダメージだ。暫く動けそうもない。
そんな時、ゆっくりと倉庫の扉から誰かが入って来るのが見えた。
逆光で良く見えない。カビくさいマットの匂いをかき消すような、心地よい香りがする。
目の前まで来た。漸く顔が拝める......と同時に体感温度が数度下がったような錯覚を起こした。
「......ちょ、烏羽!?」
――あぁ、あぁ最悪だ。
「どうしたの!?体調悪いの!!」
心配そうに、すぐさましゃがみ込み俺の様子を確かめる。なんだ、やっぱり氷川はそんな人間じゃない。
瞳にはうっすらと水分が幕を張っていて滲んでいた。その時初めて気が付いたけど、こいつの睫毛、滅茶苦茶長い。瞳も宝石の様な色を放っていた。綺麗だな。あぁ綺麗だ。
俺は、口を横に結び、無言のまま立ち去る。九名がもし噂の発信源だとすれば、もうこれ以上氷川の評判を下げたくなかった。一緒に倉庫に居るところを誰にも見られたくなかった。俺みたいな端役に、彼女は揺れてほしくはなかった。
俺の憧れた白が灰色に染まって欲しくなかった。
* *
「高校生って噂が大好きだよな。特に目立つ奴の恋愛絡みになると途端に目の色変える!」
こいつの行動は誤ったものだ。俺はそれを許せない。けど、こいつが抱いた氷川への感情は否定できない。
黒でもなく、白でもない。灰色の俺たちは容易くブレる。
氷川の瞳を思い返す。絶対的な力に飲み込まれそうな感覚。瞳の底から湧き出る魔性。
「今回集めたアサ校の生徒も氷川の噂は知ってるみたいだったぜ? 柘榴から聞いた」
あぁ、せめてどっちかに振り切れていたら、もう少しこの息苦しさからも解放されるのだろうか。
「もしかしなくても、氷川は喰われるかもな? あいつ、必死に頼み込むと断れないじゃん? この後上手い具合に二手に分かれるようにしてるし、その時にでも――」
「――もういい。黙れよゴミ屑」
流石に、笑顔を張り付けるのを止めた。
「は?」
「黙れって言ってるんだが......聞こえないのか? 鼓膜が裏返ってんじゃねーか? えぇ?」
「......はぁ? 調子乗ってんじゃねぇぞ! ヒーロー気取ってよぉ!」
――どんな時でも必ずやってきて、弱いものに手を差し伸べるヒーロー。弱者が望んだ手はそんな力強い手であって、求められているのは俺たちの様な人間じゃない。
「ヒーローに憧れてたよ。なんでもできて、なんでも解決できる、完璧な奴に。けど、本当にそんな奴を目の当りにしたらそんな夢も、抱かなくなる」
少しばかり、幼少の頃を思い出す
『いつまで泣いてんだ! ほら! 僕が来たんだ、もう泣くな』
『けど、俺......。またいじめられて』
『またいじめられたら僕を呼べよ! お前の味方だから!』
『うん......。ありがとう。俺はもう泣かないよ。君の前では......ありがとう』
ーーなぁ、コレでいいかよ? ヒーロー。
「確かに俺はヒーローになれない。取るに足らない端役だ。けど、そんな俺にも出来る役はあるぜ?」
九名は俺の言葉を理解できずに少しばかり頭を傾げる。
「......ゴミ箱役ぐらいは担ってやるよ。ゴミ屑はゴミ箱へだ! お前みたいなやつが氷川を弄ぶんじゃねぇよ! 吐き捨てられたアスファルト上のガム野郎!」
「~~ッッ!!! 口だけは大層にイキってよォ!」
繰り出された右からの拳を間一髪で回避する。だが、俺の顔の先には左ひざが待ち構えていた。ゴスッ!! という鈍い音が骨に響く。顔の右半分が無くなったかと思った!
「あぐっ」
ふらつく俺を床に叩きこむと足を腹にのせて抑え込む。
「底辺が! イキがんじゃねぇ! どっちが吐き捨てられたガムだ! あぁ!?」
ドスドスと複数回にわたって俺の腹を踏みしめる。先ほどの蹴りで口の中を切ったのか、血の味をゆっくりと堪能する。
俺は気を失いそうになりながらもなんとかポケットからあるものを引きずり出して、まざまざと九名に見せつける。
「ごれ......なぁんだ」
「スマホ......まさかお前!? 録音してたのかこのやり取りを!? その為に――」
俺の手の内にあるスマホをみると、これまでの激高が嘘だったように青ざめ始める九名。
そう、おれは初めからこのやり取りをスマホで録音しておいた。噂なんてしらを切ればどうとでもなるだろうし、俺が誰かに言いふらしたところで意味がない。だからこそ録音した。
録音を停止し、今まさに撮った音声を再生する。
『だから仕返しに氷川のありもしない噂を流したって?』
『あぁ! そうだよ! 俺はただの高校生で、なんの力もないからな! それに犯罪を犯す度胸もねぇ! ちょっとした嫌がらせだよ』
『いや、噂ってすげーのな! どんどん広まって、まるでそれが真実みてーになっちまう!』
『今回集めたアサ校の生徒も氷川の噂は知ってるみたいだったぜ。もしかしなくても、氷川は喰われるかもな? あいつ、必死に頼み込むと断れないじゃん? この後上手い具合に二手に分かれるようにしてるし、その時にでも』
あまりに聞きがたい雑音に俺は停止ボタンに指を伸ばす。
「わざわざ俺を煽ったのは自白させるために......!!」
悔しそうに両手を握りしめているが実際は九割ほど俺がただ腹が立って咄嗟にいった事だから、微妙に肯定しづらい。
「くそが! くそが!」
「別にこれでお前をどうこうするつもりはない。一度流された噂はどうしようもないからな。学校でも別普段通りを過ごせばいい。けどな......」
ここだけは、譲れない。
「今度氷川につまらんことをしてみろ。絶対にお前を許さない。いいな」
悔しそうに下唇を噛みながら九名はトイレから出て行った。




