第二十一話 灰色に出来る事 一
俺は部屋を出るとその脚のまま、階段へと向かう。即座に目的地へと向かわずに五階と四階を繋ぐ踊り場で暇を潰していた。辺りからは様々な歌謡曲のメロディーがくぐもった状態で俺の耳を揺さぶる。
氷川達が入った部屋は三階らしいので、ここに居ても俺と氷川が出会うことは無いだろう。特にやることは無く、騒音に耳を預けながら爪先を弄る。
数分すると、誰かが階段を駆ける足音が聞こえた。ヒールのような固い音では無かったが床を踏む足取りは随分と軽い。俺はちらりと階下を隙間からのぞき込んだ。傍から見ると変質者だな、気を付けよう。
階段を上り切り、少し広くなったスペースで氷川が少し息を整えているのが見えた。一体どうしたんだ? そんなにあの集会が嫌だったのだろうか?
そのまま迷いなく、伝えた俺たちの部屋へと向かう氷川。ちらりと見えた耳が少し赤い。
相変わらず氷川霧華は彼女らしかった。駆ける姿も凛として背筋は伸び、しなやかな四肢は見惚れるほどだ。光に照らされる薄墨色の髪が宙を舞い、まるで降り注ぐ粉雪の様にきらめきを散らしている。仏頂面なのに、その表情さえ息をのんで見守る程だ。
「本当にすげーな、お前は。なんで俺みたいな奴と......」
ついつい皮肉が口を飛び出す。だけど、そんな彼女との何気ない会話を思い出して笑みが零れる。存外、年相応の女子高生だったな。
そろそろと四階まで降りて氷川が部屋に入るのを確認する。......よし、入った。
その様子を見届けていた俺はすぐさま階段を駆け下り、三階を目指す。
くすんだ肌色の階段を踏み、一段一段確かめるようにゆっくりと下る。三階に着き、少し広くなったスペースで壁に寄りかかりながら待っていると、目的の人物が姿を現す。
俺は現れた人物に出来るだけフレンドリーに声をかける。
「よぉ、奇遇だな九名君」
突然声をかけられた驚きか、はたまた俺がいることの驚きか、目を見開いて口を開ける九名。
「なんでお前が俺の連絡先知ってんだよ? 交換した覚えはねーぜ?」
どこか焦っている様にも見える。
「酷い奴だな、俺とお前の仲だろう? というのは冗談で......話があって教えてもらった、随分と気前の良い友達だな」
「誰だよ、めんどくせぇ......」
そう言って後頭部を乱雑にかき乱し、すぐさまどこかへと向かおうとする九名の後ろ姿に声をかける。
「あぁ、氷川をお探しで? 教えてほしいか? 居場所」
「あ?」
「ここじゃ何だし......連れションしよーぜ、九名君よ」
満面の笑みで俺は九名の肩に手を置くと、トイレへと誘う。決して怪しいものでは無い。断じて!
すっと表情を消した九名は、俺と共に口を閉ざして向かう。
* *
男二人、男子トイレで向き合う。
使用中の人がいなかったのは僥倖と言えるだろう。ここなら監視カメラとかもないしね!
「......なんで、飛び出してきた氷川を追ってきた?」
俺は満面の笑みを張り付けながら問う。うーん、この笑顔やっぱり気持ち悪いのかな、九名の反応が鈍い。フレンドリーに接しているつもりなんだが......。
「何を根拠に? てゆーかお前何なの?」
あくまで冷静を装って俺の問いかけに返す。けど苛立ちは隠そうとしていないようで、先ほどから足をパタパタと踏みつけている。
「あの時もそうだったけどさ......お前うぜぇんだけど? なにヒーロー気取ってんの?」
俺に詰め寄ると息が降りかかりそうな距離でじろじろとこちらを睨み付ける。彼の逆立った髪が皮膚を貫く。いてぇ。何でコーティングされてんのこの髪!! 木工用とかじゃない!? 大丈夫!?
それでもなんとか笑顔を保ちつつ、言いたいことを言う。
「あいつ――氷川の噂は色々あるよな。親が大企業のトップだとか、実は異世界から転移してきたお姫様だとか云々。俺もそうじゃないかなぁって思うことあるぜ? どう見てもそう考えた方が腑に落ちるからな。けど......一つだけ俺が『許せない噂』がある。前にも言ったよな?」
――あいつが生徒と濫りに体を重ねている。何度も何度も。
あぁ、あぁバカかよこいつら。そんな出鱈目な噂をちょっとでも信じてんじゃねえよ。それで、俺もバカだろう。そんな噂に踊らされてる一番のバカだ。
「口に出すのも謀られる。吐き気がする。そんな噂の出どころはさ......やっぱ君でしょ? 九名 真一君」
暫しの沈黙の後、諦めた様に彼は口を開く。
「......だからなんだよ。はぁ? お前に関係ねーよな?」
「認めるのか」
「......しってるか? あいつの親が経営してる会社のせいで俺の父親の会社は潰れたよ。親父は俺の憧れだった!毎晩毎晩遅くまで仕事して、僅かな休日は俺らの為に費やした! その親父が......落ちぶれる様を俺は見たくなかった!」
「だから仕返しに氷川のありもしない噂を流したって?」
「あぁ! そうだよ! 俺はただの高校生で、なんの力もないからな! それに犯罪を犯す度胸もねぇ! ちょっとした嫌がらせだよ。嫌がらせのつもりだったんだが......」
九名の表情が怪しく曇る。
「いや、噂ってすげーのな! どんどん広まって、まるでそれが真実みてーになっちまう! しかもこの噂は他校にまで広がってる!」
自分に酔いしれている様に、ふらふらと語り出す九名を俺は冷めた表情で眺めていた。




