第二十話 過去を語る男
――一年の夏。クマゼミが忙しなく大声をあげる蒸し暑い日だった。
「こんなところに呼び出して......まさか‟アレ”か?」
陣はその時にはもう、気が付いていたみてぇだったな。初夏の風が俺たちの隙間を埋めるように一陣、強く吹いた。
「あのメッセージを読んじまったんだろ? ならもう、俺の目的は一つしかねぇよな? 分かってるよな? 烏羽。えぇ、おい?」
俺の気迫に後ずさる陣。俺は逃げられねぇようにしっかりと校舎をアイツの背面にして迫る。陣の顔には真夏の炎天下に曝されたような大粒の汗が浮き出ていた。
俺は羞恥のあまり、陣をボコってしまおうと思っていた。一発手痛い目に合わせればあの手紙が広まることは無い。
正直言えば、少しばかり胸が痛んだ。悪いのは俺だ。ただ、アイツの運が無かったのさ。
「......お前は本気なんだな?」
顔を青白くさせながら陣が口を開く。
「悪いとは思ってるぜ? 相手が俺で悪かったな」
足の裏を擦る様に滲みよる。俺と陣の身長差はかなりある。陣は身体が細い。これではまるで狩人と鹿だ。知能ある霊長類はプライドを忍ばせる。それが種の発展と起源だからだ。
俺は足を向け近づくと、一息で陣のすぐそばまで寄る。挙動の速さに陣は着いてくることが出来ずに、一拍遅れで俺の方へと身体を向ける。
その隙を見逃す俺じゃないーー。
拳には、陣へ抱く後ろめたさと、広められてはマズいという危機感が握られていた。まるで元からそこにあったかのように、吸い寄せられるように俺の拳は陣の左頬を打ち抜いた。
「え!? なんで!!??」
気を失う、瞬きにも満たない僅かな時間で、陣が口にしたのは驚愕に濡れた悲鳴だった――。
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「とまぁ、些細なことがきっかけでアイツとは仲良くなったわけだが......」
「私たちの短い人生の中での結構なターニングポイントだと思うけど」
へへっと、うっすらと照れ笑いを浮かべながら鼻の先を指で擦る不動明に私は随分と冷たい言葉を贈る。
「俺が言いたいことは、分かったな?」
「分からないけど、分かった体で話を進めて良いんじゃない?」
どうしよう。不動明の目が激しく泳いでいる。膝もバカみたいに音を上げて震えてる。
「何でわかんねーんだよ!」
「なんで分かると思ったのよ」
気が抜けたみたいに、壁に背を預けズルズルと姿勢を崩す。
「まぁ、俺たちの過去はいい。言いたいのはな、あいつの本質だ」
本質という言葉に、私は反応を示す。
「俺はお前と陣の関係を詳しく知らねーが......あいつの性格をどう思う」
「どうって......」
私は記憶を思い起こす。
倉庫での最悪な邂逅。そして、雨に打たれる私を牽いてオリヴィエに案内してくれた後ろ姿。珈琲を注ぐときの手元。端から話を聞く気がない間抜けそうな顔。
そして、何かを隠している時につく、見え見えな嘘。
「あいつの心には、矛盾がこびり付いている。それこそヘドロの様に」
随分と穏やかじゃない言葉選びだ、と私は感じた。こびり付いている事を表すために彼は両腕を胸に抱いて立ち尽くす。
「アイツは周りをよく見ている。見えすぎている。その度に思うんだろうな『手を差し伸べたい』って......。根が善良だから」
確信している様な口調で不動明は言ってのけた。
私たちは曲をなにも入れていないから、モニターに映る映像の音声だけがスピーカーから漏れ出る。外から入る雑音の方が大きいぐらいだ。
「けど、こうも思っている。『その役目は俺じゃない』って。アイツがどうしてそんな考えに至ったのか俺はまだ知らねぇよ? あいつが言ってくれんからな」
少しだけ寂しそうに見えた。
「助けたいものがある。けれどその役割は俺じゃない。苦しいだろうぜ? あぁ苦しいだろうな。俺ならそもそも『助けるもの』を俺が選ぶ。俺に出来ることを俺がする。だが陣はそうじゃない」
――助けたいもの。
――烏羽の役割。
「けど、私は......あいつに救われた。役割は果たしてんじゃないの? 助けたいものが私かどうかは知らないけど......結果救われたなら、それは......」
「それなんだよ」
私の方へ指を突き付け、目を見開く。
「今までのあいつなら、そんな事はしなかった。例えお前が困っていてもお前には辻がいるからな。あいつが出る幕じゃなかったんだ」
その言葉に私は強い拒否感を覚えた。
「御幸はカンケ―ない!!」
「......こいつは驚いたぜ?えぇ?思わぬ地雷を踏んだようだ。......だが詫びよう。俺は女に対して常に学習する男。今のは取り消そう」
それで、と続けるように口を開く。
「陣にとってお前は少なからず、普通の存在じゃない」
烏羽にとって私は普通の存在じゃない――。
まるでその言葉が、酷く濃く、強い甘さを持った猛毒の様にじわりと脳内に染み渡ってゆく。
私だけが、その存在。彼の中での、明確な『何か』
全身に緩やかな痺れが回る。ピリピリとした、快感を伴った刺激だ。
「だが、だ!」
パァン!!!と、突然両手を打ち鳴らし、私の意識を向ける。手放していた気を何とか元に戻し目の前の不動明を見る。
「アイツに取り返しのつかない事をしでかしてみろ? 許さんぞ。俺は俺の周りを悪戯に引っかき回す奴は嫌いだ。俺は友人を一番に思う男だ。えぇ? おい」
剣幕を伴った鬼の形相でこちらを睨み付ける。背筋に氷の刃物を当てられている気分だ。
「私がそんなことするわけ......ないじゃん」
「これは俺の第六感だ」
緊張からか、突然喉が渇きだす。しまった、コップは元の部屋に置いたままだ。よく見ると中央のテーブルにはコップが二つあった。一つは乳酸菌飲料でも入れていたのか空のコップが白く濁っている。もう一つにはオレンジジュースが半分程。不動明に近い方のコップだ。
「ちょっとだけ喉渇いたからコレ、貰うね」
そう断りを入れてコップを手元に寄せる。一瞬躊躇いがあったが、それよりも喉を潤すことを優先した。
「ん?あぁ、構わんぞ」
そう言ってくれたので遠慮がちにちびりと唇を縁につける。
「――おれはもう全部飲んだしな」
「ごめん嘘。メッチャ喉渇いてた」
私は両手で持ったコップを傾け一息で飲み干した。喉を通るオレンジジュースはやけに甘かった。




