第十五話 或いは依存という名で 二
彼が私の腕を引いてどこかへ向かおうとしている。目的地はすぐそばの建物の様で、まるで初めからそこへ向かっている様に、ブレずに階段を上る。
色がやや落ちた、頑丈そうな扉の前につくと躊躇いもなく彼は中へと進む。手作りの看板が揺れる扉とぶつかり乾いた音を立てた。知り合いの店?
中は随分と広く感じた。置いているアンティーク調の家具は落ち着きを与えてくれる。ミモザのドライフラワーが逆さに吊るされているのが見える。淡く仄かに黄色を灯す小さな花の群れは慎ましくも美を放つ。
正直、烏羽のイメージとは合わない。もっとこう......アニメっぽいというか、フリフリのメイド服を着た女の子がたくさんいるようなお店に通っている印象がある。
「いらっしゃいませー!......って陣君! どうしたのそんなびしょ濡れで!? 傘は!?」
随分と綺麗な店員さんだ。全身から優しさが滲み出ている。髪も毛先までしっかりと手入れされているし、爪も綺麗。何より、身体のプロポーションがすごい。私に無いものを全部持ってる。
ニコニコとした顔が途端に崩れ、心配そうにこちらへとかけてくると、烏場から一歩引いた位置にいた私を一目見て、頬を赤らめる。えっと......?
「あ゛ぁー......ぶっ壊れました。流石にこの風だと折り畳みじゃきついっすね」
烏羽はどこに何があるのか把握している様に、迷いなくタオルを見つけ、こちらに放ると自身の髪を出鱈目に乾かす。濡れそぼった毛先が彼の輪郭に纏わり、黒い影を生む。まるでホラー映画に出てくる怨霊の様だ。
「このままでは風邪をひいてしまう。先に彼女に着替えてきてもらいなさい。お嬢さん、着替えはあるかい?」
カウンターから一人の老人が姿を見せた。老人は烏羽と同じぐらいの身長で、ゆっくりとだが確かな足取りでやって来る。私たちの年代の子に話しかけるには、やや固く思われる口調と落ち着き払った態度が逆に私を攻めているようで、すこし怖かった。
「......ぁ、あります」
「それならばよかった。そこにスタッフルームがある。申し訳ないがシャワーは無いんだ。けれど、そのままでいるよりは幾分かマシだろう。急いで着替えておいで」
途端、にこりと顔の皺を深め、一つの部屋を指さす。私はそれに従い濡れそぼった身体を引きずり扉を開ける。ぽたぽたと身体から水が滴る。
「ねねね! 陣君陣君! 今の子って!」
「マスター助けてください! この人に襲われそうです!」
「えー! ひどーい! 私まだ何もしてないよぉ!」
「する気だったんですか!? 何を!?」
「君たち君たち、今はお客さんがいないからいいけれど、もう少し静かにねーー」
扉を閉める間際、そんな会話が耳に入り込んだ。
なんだか学校で見る烏羽と違って見えた。教室で見かける烏羽はどこか学校生活で燻ぶっているように見えた。いや、彼とそこまで親しくないからこの感想は間違ってるのかもしれないけれど......けど、やっぱりここでの烏羽と違う。
ぐしょぐしょに濡れて随分と重くなった白いカーディガンを脱ぐ。
スタッフルームとは言っても、大した設備があるわけではなさそうで、彼らの荷物や店の備品が狭い空間に押し込められていた。
「この匂いって......コーヒーの香り、かな」
数分前まで雨とコンクリートと草木の匂いで肺を満たしていた。けど今はコーヒーと焼き菓子のような甘く香ばしい香りが全身を包む。
濃い茶色で縁取られた姿見を見つける。アンティークなのか、はたまたただ使い続けているだけなのか随分と年季が入っているのが見てわかった。
そんな姿見には幽鬼のような青白い私が像を結んでいた。これが私......笑える。
その後、互いに着替え終えた私たちは、マスターさんが淹れてくれたコーヒーを飲みながらぽつぽつと話した。
親友には話せない事、親には相談できない事、本当にどうでもいい事。話す必要は無かったのに、烏羽にはなぜか話してしまった。
彼はその話に「おう」とか「へぇ」とか相槌を打つ位しかしなかったけれどその態度が少しだけ、心を軽くした。
親身になってくれる友達とは違う。好きなことをしなさいと端から放り投げる親とも違う。新鮮さが彼にはあった。
誰もいない家に帰り、薄い水色をしたベッドの上で深く目を閉じる。
思い返すのは彼のぶっきらぼうな態度。嫌ではない。何故か分からなかったけど、その顔を思い浮かべながら私は意識を手放していた。久しぶりに底からの眠りに落ちた。眠ることってこんなにも簡単だっけ。
あの日の事を私は忘れない。忘れてしまうようなどうでもいいことじゃない。
【俺はお前の在り方を、魔女を否定しない――】
私が私を否定して生きてきたのに、彼はそんな私を否定しないと言ってくれた。こんな生き方を、認めてくれた。
身体の奥がジンと熱くなる。じわじわと広がって全身を幸福感が支配する。この快楽に飲み込まれそうになる。息が荒い。はしたない顔をしそうで、ついつい顔を伏せてしまう。
「.....あははッ」
気が付けば口の端から涎が零れていた。これは私のものなの......? それすらも定かじゃない。取り繕うようにお礼を言ったけど、ぎこちなくなってしまう。
――私は見つけた。
私が休める場所は、彼の元。そこにしかない......。




