第十四話 或いは依存という名で 一
私は酷く弱い人間。
弱く、脆いから先立って自衛する。
怒られるのが嫌だから、怒られる前に勉強をする。追い抜かれるのが嫌だから、先に走る。
嫌われるのが嫌だから――期待に応えた。
どうすれば自分が傷つかずに生きていけるか。そういう風に考え始めたのは、いつの頃からだっけ......。そんなことも、もう忘れた。
気が付けば私は他人が求めるものになっていた。求められる理想を演じていた。
周りから羨望の眼差しを向けられ、両親からは手のかからない子だと、手放された。
私が張った防壁は確かに完璧だった。けれどそう言った視線は防壁を潜り抜けて、私の幹を少しずつ少しずつ削っていった。
肥大した私という樹木は、傍から見れば大層立派に見えるだろう。けれど目に見えない内側のは削られ、今にも折れそうになっていた。
友達が、両親が、蟲に見えた。勝手に私を肥大させ勝手に私を貪る、群がる蟲に。
本当はそんなことはない。私が勝手に思い込んで、そう都合のいいように解釈をしているだけ。
ぐるぐると頭が回る。寝ているのか起きているのか分からない日々が続いた。
浅ましい私と、浅ましい私に群がる人。本当に、嫌になった。
色々積み重なったあの酷い雨の日。私は半分眠っているような感覚で学校を飛び出した。普段とは違う道をたどり歩いていると、何の変哲もない小さな公園が目に移った。
なんだか酷く懐かしい気分だった。小さいころにお父さんと公園で遊んでもらった記憶が少しだけ蘇った。確か、鬼ごっこをして遊んでいた。だからかな......気が付けばその公園に引き寄せられていた。
公園に着いて漸く、自分の惨めさに気が付く。傘もささずにずぶ濡れ。差した所で凌げるような雨じゃなかったけど、この姿はあまりにも惨め。
『よし! 霧華が鬼だ! お父さんを捕まえてごらん』
『まって! パパ!』
『驚いたな! 霧華はもうそんなに早く走れるのかい?』
――違うの。違う違う違う、チガウ。私は誰にも見られない所で練習していただけ。負けるのが嫌だからこっそり走っていたの。パパ、知ってた?
『うん! だってパパがいつもいってた! じまんの子だって!』
『あぁ! そうとも! 流石だ! 才能の塊だ! 霧華だったらなんにでもなれるぞ!』
――才能なんてない。時間を費やしただけ。皆は知ってる? こんな私を......。
「私は......結局何かになれない......なんにでもなれるけど......何かには」
気が付けば、土砂降りの雨を背に受けていた。冷えた身体を隠すように、膝を抱えて蹲くまる。
まるで私は鏡面だ。誰かの期待を映し出す偶像だ。向けられた期待に添える偶像を映し出す鏡面。そこに映る私はきっと私じゃなくて......。
背中を穿つ雨の感覚が無くなってきた。随分と雨に打たれて体温が下がり続けていた。
「あれ? こんなところに女の子が落ちてる?」
パシャリと水たまりを誰かが踏みつける音が横から聞こえた。
「ねえねぇ? もしかして泣いてんの?」
顔を伏せていたから見ることが出来なかったけど、多分同じ年頃の男子。しつこいぐらい「ねえねえ」と連呼して、まるで珍しい虫でもつつくように私の背中を刺激する。これと言った特徴のない、ありふれた声音。
顔をあげる気すら起きなかった。どうでもよかった。ここでこいつに襲われようが、本当にどうでもよかった。
「~~~ッ! 無視かよ! クソが!」
小心者なのか、強引に襲われるようなことは無かった。唾を吐き捨て、ザブザブと足音が遠のいていく。
安堵から来たものか、はたまた、全てを放り捨てる一歩手前で立ち止まってしまった煮え切らない思いからか、良く分からない色をした溜息を零した。
それからしばらくして、またパシャリと音が鳴った。雨が地面を穿つ音じゃない。誰かが傍の水たまりを踏んだ音だ。パシャパシャ......と続けて四回ほど聞こえると、止まった。
少しの間を置いて、また水たまりを弾く音が聞こえた。
「――氷川......霧華」
どこかで聞き覚えのある男の子の声だった。どこだっけ? あんまり記憶にない。だから御幸の声じゃない。けど、多分同じクラスの――。
声の主が誰か分かった瞬間に傍の男の子が溜息を吐き、肩を強引に引っ張ると、私を立ち上がらせた。その顔はなんとも言い表しにくい、難しい表情だった。
――烏羽 陣。
クラスの中でも特に目立つような存在じゃない。成績が良いわけでもないし、運動が得意というわけでもない。本当にそこらへんにいる男子の一人だ。特徴をあげるとすれば......名前の通り、烏みたいに真っ黒な長い髪ぐらい。
関わりなんて、全くと言っていいほどなかった。同じクラスだけど会話をまともにした覚えもない。
けれど、そんな彼と一度だけ関わるきっかけがあった。
それはいつの日かの体育の授業。
授業内容は体育館での男女混合のバレーボール。私は未央と凪、あと御幸とその他何人かでグループを作っていた。
適当にボールを回し、それなりに励んでいた。授業が終わると先生は日直にボールとネットの片づけを指示し、直ぐに体育館から姿を消した。
何人かがその手伝いに体育倉庫に出入りしているのを視界に納めつつ、汗を拭っていると一人の生徒が体育倉庫へ赴く姿を見つけた。
それが烏羽だった。
すぐに疑問が浮かんだ。彼は体育委員でもなければ日直の九名の友達でもない。手伝いというわけでもなさそうだ。
彼が体育倉庫に入って暫くすると、何かが倒れるような音がした。他の皆は離れた所に居たし、休み時間の喧騒で聞こえない様だった。近くにいた私だけが気が付いた。
そのあとすぐに九名が体育倉庫から出てくると、何かから逃げるように、怯えるようにそそくさと体育館を後にする。
流石に無視はできなかったから、急いで倉庫の扉を開けた。
中はジワリと熱を籠らせて蒸し暑く、また薄暗いのもそれを助長させていたように思える。
「......ちょ、烏羽!?」
入り口のすぐ横にある古臭い、低いマットの上に、烏羽がお腹を抑えながら片膝をついていた。顔には脂汗が張り付いていて、どうみても普通じゃなかった。
「どうしたの!? 体調悪いの!!」
急いで傍まで駆け寄ると、彼は下唇を強く噛んで立ち上がり、私が見えていない様な素振りで、急いで倉庫を出て行った。
「......え?」
突然のことで、頭が困惑した。呆然と、立ち竦んでしまっていた。
なにも分からない。彼は本当に大丈夫なのだろうか、強がりだろうか。胸が締め付けられるように痛んだ。無視をされたことに顔が赤くなるのが分かった。
「......なによ......アイツ」
抜け殻の様な私の口から辛うじて出た言葉がそれ。彼の背中はもう、見えない。
――これが私と烏羽の最悪な邂逅。




