第十二話 魔女は烏を御呼びの様で 二
興奮冷めやらぬ一夏さんを何とか引きはがし、二人そろって店を後にする。
「ここの階段、急だから落ちるなよ」
前方の氷川に声をかける。
「心配性。どうせエスコートするなら前を歩けばいいのに」
小悪魔の様に含みのある笑みをこちらに送りながら、軽やかに階段を下る氷川。
「俺の親切心を揶揄うな」
なんだか調子が狂うな......。
氷川霧華という少女。同じクラスの奴らが彼女の特徴をあげるとするなら『ダウナー系』『ミステリアス』『内も外も完璧な超人』といった声が多く上がるだろう。
けれどどうだ、今目の前にいるこの少女は確かに気だるさを漂わせてはいるが、年相応の女子高生だ。
これはクラスの奴らが知らない側面なのだろうか。これこそが彼女とでもいうのか。じゃあクラスでの彼女の振る舞いは本心からではないというのか?
そんなことは無い。あれも立派に彼女の一部だ。求める声に呼応する一つの偶像――。
「......なに突っ立ってんの?」
気が付けば、彼女はすぐそばの――あの時と同じ公園のベンチに居た。
「あぁ、今行く」
慌てることなく、悠々と彼女の元まで足を進める。
住宅街が寝静まり始めるにはまだ少し早い時間。近隣の家々にはそれぞれ違った明かりが灯り、暗闇に窓辺が浮かぶ。
コンクリートジャングルに縁取られた空は暗闇を含み、星明りがどこか遠く感じた。東京の空が、遠い。
赤いレンガが地面に埋め込まれ、ベンチまでの足元を確固たるものとする。足裏から返って来る反動がやけに硬い。
彼女は古ぼけて色の落ちたベンチにもたれかかり、空を見上げていた。何もない、全てが遠のいたこの空を。
「東京の空なんかみて楽しいか?」
俺もまた、真似するように上を向き、星を探す。うわー、全然見応えねー。
「楽しい、楽しくないって判断基準で見てない。見たかったから見てみた」
彼女の細く華奢な咽喉ぼとけが喋った。
「それで? 話ってなんだ」
前置きもなく、本題に入る。
ゆっくりと顔を元の位置に戻すと、どこか照れくさったような表情を作り始める。なんなんだよさっきから......。
「あの......さ、カラオケの件」
「カラオケ? あぁ、アサ校とのね」
「ついてきてくれたり......しない、よね......?」
不安と羞恥で身体を震わせながら、そっと上目遣いでこちらをみる氷川。
「......ッ」
危なかった! もう少しでやられるところだった。何度かこの魔性を感じていたおかげで間一髪頬の肉を噛んで自意識を保てた!!
「どういうことだ?」
「いや、こっちの台詞。なんで急に吐血してんの? え?」
「これは持病だ気にするな」
「烏羽は気にした方がいいと思う」
口の端から零れる血をごしごしと拭いながら手で制する。
「本当に......どういうことだ? 行きたくなければあの時断ればよかったろ」
断れないと知っていても、あえて口にする。
「確かにそれはそうなんだけど......」
彼女の煮え切らない態度に俺は無言を貫く。
「やっぱ、付き合いとかあるじゃんか......。御幸も未央も絶対行くだろうし......行かなかったらハブられるし......」
「俺の知ったことかよ」
いや、ホント。勝手にしてくれ......。
と、言いかけた所で不意に思い出した事がある――。
「そもそも俺はそれに呼ばれてないからどうしようもない。どういった建前で着いていくんだ。『氷川に呼ばれたんでついてきました!』『いやぁ、話を聞いていたんだけど僕もカラオケに行きたくなってね、良かったらご一緒しませんか?』とかか? 馬鹿だろ」
「う......」
苦虫を噛んだ様に顔をぎゅっとさせて縮こまる氷川。
言いたいことは分かる。乗り気じゃない集まりに、更に苦手なカラオケ。そして他校の生徒が多数。久田はこういった時に手を貸すような人間には思えないし、辻は他校の女子が取り囲むのが目に見えている。残った氷川は一人きりで他校の男子生徒やらと話を合わせなければならない。
正直楽しいも糞もないだろう。きっと男子は迫ってくるはずだ。氷川は果たしてその求められる声を振り切れるだろうか。
はぁ、と深くため息を吐く。我ながら柄にもない事に頭を悩ませているのは自覚している。
俺と氷川は客と店員の関係だ。けれどその前におなじクラスメイトでもある。
「知ってたか?」
きょとんと俺の方へと顔を向ける氷川。
「何が?」
「俺は、結構カラオケ好きなんだ。最近はもっぱらバイトが忙しくてな......。友達でも誘って行こうと考えていたところだ」
頭を掻きながら、斜め下を向く。恥ずかしいことを言っている自覚はある。気持ち悪い顔もしている事だろう。
「当日、どこのカラオケに行くか連絡しろよ。んで途中で気分でも悪くなったってトイレに行く振りをして部屋を出ろ。俺の部屋を連絡しておくから、そこに来い。あとはまぁ......誰かしらが適当に処理してくれるだろ」
一人の顔が、思い浮かんだ。
「......ちゃっかり、連絡先聞き出すの上手いね? ナンパ慣れしてる?」
長い薄墨色をした髪を耳にかけながら、スマホを取り出す氷川。空気に触れた耳が紅潮しているのを俺は見て見ぬふりをした。
「光栄に思いたまえ。初ターゲットは魔女・氷川だ」
皮肉を衝きながら互いのアドレスを交換する。
彼女の耳元のピアスが街灯に照らされて黒く煌めく。
「当日、ちょっとは楽しみになった......カナ」
そういうと彼女はひとりでに公園の出口へと向かい、一度立ち止まる。
「いつも......ありがとう。そう見えないかもだけど、ちゃんと感謝してるから」
夜の公園に、彼女はやけに映えた。
思い起こすのは、あの時。土砂降りの中、死にそうな雰囲気で蹲っていた氷川。あの時なぜ雨曝しになっていたのか理由は未だ聞けていないが、俺は一つの確証を得た。
あの時の行いは正しかったのだと。俺の選択した行動は、間違いではなかったのだ、と。
「魔女のあんな笑顔が見れたんだ......これぐらいの代償は払うべきだろうな」
そう口にして、俺はスマホの画面を操作してとある人物に電話を繋げた。
「あ、もしもし幽? あのさ、今度カラオケ行かない? え? 今それどころじゃない? なんで......吟ちゃんの隠しルート!? はぁ!? 今すぐ家に行くから! ちょっと待ってろーー」




