星 -スター-
小粋な男子たちのお話。
大きな大きな街の近くに小さな小さな森があります。
その中に「鉛筆屋」という変わった店がありました。
「ようこそいらっしゃいました。私はここ、鉛筆だけを売っている鉛筆屋の店主エマ。木々特有の温かみのある香りと炭素の放つ独特な匂いに、しばし浸っていきませんか?」
そう言って出迎えてくれるのは金髪を片側に高く括った少女。森の木々を映したような緑の瞳が印象的なこの店の看板娘、エマです。
この少女の言うとおり、店に一足踏みいると木々の温もりと炭素の匂いが混じり合ったなんとも言えない芳香が鼻をくすぐります。特徴的な匂いではあるけれども、不思議と落ち着くその空間。すぅ、と深呼吸をすると、奥の方から「いらっしゃい」と変声期を迎えたばかりのような少し違和感のある少年の声がしました。
会計用と思われるカウンターの向こうに、バンダナを頭に巻いた少年がいました。生真面目そうな少年ですが、頬に黒い粉がついているのは愛嬌でしょうか。
「こんにちは。初めて来たんですが、本当に鉛筆ばかり置いてあるんですねぇ」
「ああ、鉛筆屋だから。どのような鉛筆をお探しで?」
店はさして混んでいる様子でもないのに、少年は客をさっさと処理したいのかそう問いました。
「色鉛筆ってありますか?」
「あっち。入り口はエマの趣味で木の材質とか芯の硬さが違うだけの本当に鉛筆ばっかだから。あ、エマってここの店主な」
「存じてます。先程お会いしましたよ。個性的な勧誘をされました」
「ああ、やっぱり」
少年が渋い顔で頭を抱えます。けれど、すぐ切り替え、ところで、と言いました。
「あんた、絵描きではないだろう? たぶん、商人」
「ご名答。何故そうと?」
「なんとなく、雰囲気がエマに似てたから」
少年はちらりと入り口の方に目をやりました。外では元気に彼女が客引きをしていることでしょう。
「で、商人が色鉛筆なんて買ってどうすんの? 俺の鉛筆なんか売っても、儲けにはなんないよ」
おや、この少年、思ったより話しかけてきます。無愛想な口振りと表情に似合わず、ちゃんと客を相手してくれるようですね。
それであれば、と少し引っ掛かった部分を訊ねました。
「[俺の鉛筆]とは?」
「え、ああ。ここの鉛筆、ほとんど俺が作ってんの」
「へぇ、鉛筆職人さんでしたか。これほどの量と種類を、お一人で?」
「まあ、昔のツテとか頼ってるけどね。木削ったり、芯合わせたりをやってるんだ。俺そういう細かいの、好きだから」
ここで初めて彼は微かに笑みを浮かべました。なるほど、頬についている黒いのは芯を削ってできた痕だったようです。そう思い至ると、なんだか可愛い気がしてきます。
すると「じろじろ見るな」とまたむすっとした顔に戻ってしまいました。
「ところで、どうして商人さんが色鉛筆を?」
「プレゼントです」
「誰か、良い人でも?」
「まあ」
ちらりと鶯色の髪が思い浮かび、曖昧に返しました。
「その人が、絵描きさんですか?」
「はい。腕のいい絵師ですよ。だからいい画材をプレゼントしたくて。評判なんですよ、ここの鉛筆」
「本当ですか?」
疑わしげな目を彼は向けてきます。苦笑いが零れました。
「あはは、商人はホラ吹きが多いですからねぇ。でもこれは本当ですよ。もし嘘だとしても、僕の目は確かですから」
「商人、ねぇ……ま、もしよければ、色の選別を手伝いましょうか」
「あなたが?」
「画材は、絵師の感覚を知ってる奴が選んだ方がいいでしょう」
「おや、あなたも絵を?」
「ま、趣味の範疇だけど。何色くらいいります?」
「五十色」
「多すぎ」
「それくらい色数はありそうですが」
「色数があればいいってわけじゃないですよ。色同士を組み合わせて新たに色を作り出すことだってできる。細かい色はめんどくさがりやか、相当手慣れた人かのどちらかですよ。その絵師さんの腕が悪いとは言いませんが。どれだけ多くても三十色以上は迷惑ですよ」
「では、三十色、見繕ってくださいな」
「はいよ。じゃ、番号言うから、その棚から一本ずつ取って」
「え?」
見繕ってくれるというので、こちらに来てくれるものだと思ったのですが。すると少年は苦々しい面持ちで、からからと何かを動かしました。同時に彼の体がすいっと座ったままの格好で動きます。カウンターのやけに大きな扉を押し退けるようにして出てきた彼は、車椅子でした。
「悪いね。こんなんだからさ。そこの踏み段使っていいから、取ってくれる?」
「……事故にでも?」
「いんや。足は二本あるだろ? ……でもまあ、似たようなもんだよ」
彼は短く説明してくれました。彼は以前、木こりや炭坑掘りなんかをやっていたそうです。炭坑掘りの最中、深くまで入った彼は人にとって害となるガスを吸ってしまい、病気で足が動かなくなったのだと言いました。
「命には関わらないものだけど。次、十三番」
「はい。へぇ、それは大変ですね。で、今は鉛筆作りを」
「まあ、これもやってみるとなかなか性に合っていまして。次、十七から二十一番までを一本ずつ。次は三十番を」
「はいはいはいっと。でも、他にも職は色々あるでしょうに。何故この仕事を?」
「エマの父に拾ってもらったんです。その恩で居着いています。次、三十六と三十七を」
「ふむふむ。ではあの子とはずっと一緒に?」
そこでぴたりと少年の声が止みます。不審に思って手の中の鉛筆の本数を数えてみましたが、まだ十数本。振り向くと彼は俯いていました。
「あとは四十から四十七、五十一、六十三、六十五、七十八、八十から八十五、九十二」
「あ、はい」
忘れないうちにと手早く取り、目を戻すと、彼はからからと車輪を回してカウンターに戻っていました。
「ん、三十本で銀貨三十」
「わ、ぼったくり!」
思わず思ったままを言ってしまい、しまった、と思って少年を見ると、予想外にも彼はくすくす笑っていました。
「よく言われる。でもエマが譲らなくてね。強いんだ、あの子」
眩しいくらい──と、彼は口だけ動かして言いました。その気持ちはなんとなくわかる気がします。気にかかる子は不意になんだか眩く見えるものです。それが綺麗だと思うから……好きと感じてしまうのでしょう。
この少年は明言しませんが、おそらく同じように思っているのでしょう。鉛筆の芯の色の目はそんな光を湛えているような気がしました。
と、思索に耽っていると、彼は金も受け取らないうちに、三十本の色鉛筆をまとめ始めました。しかし、梱包するようではなく、手元の木の机に置いて、一本、かりかりと削り始めたのです。
「えっと、何をしてらっしゃるので?」
「ご覧のとおり、先を削ってるんだよ。棒のまんまじゃ描けないだろ」
それは確かに。
「ですが、まさか三十本全部を?」
そう、買った三十本は全部棒状です。ところが彼は「当たり前じゃん」と事も無げに言いました。
「っていうか、鉛筆って削り始めが一番難しいんだよ。特に色鉛筆は普通の鉛筆に比べて芯が脆いんだ。繊細に取り扱ってやらないと、すぐ芯が折れる。折れた芯がどれだけの無駄になるかわかる? 下手なやつだと削り始めを失敗したがために、削り始めだけで鉛筆を当初の長さの半分にしたりするんだ。だから一般的に販売されている色鉛筆ってのはあらかじめ削られている。長く大切に使ってほしいがための店側の配慮なんだよ」
という間に三本目に突入していました。ナイフで角を取り、その面を少しずつ深く削っていき、芯はあまり尖らせすぐずほどよく丸みを帯びた形に。市販の色鉛筆と遜色ない削り具合です。語り止まぬ彼の目を見れば、それは職人の目をしていました。とても一途な人の目です。
しかし彼の手際がどんなによくても、三十本はやはり多い。六本目に入ろうとしたところで、表にいたエマが休憩のために入ってきました。
「さーて、一休み一休み。って、まーたカヤナったら無償で鉛筆削りしてるーっ!」
入ってくるなりそう言って、エマは騒ぎ立てます。
「いいじゃん、削るくらい。こっちは好きでやってんだし」
カヤナというらしい少年は顔も上げずに返しました。
エマも負けじと詰め寄ります。
「あーのーねー、あんたこういう作業好きだからわかってないみたいだけど、これだって立派な労働よ。労働だって金になるの。だからこういうところで金を取るの。じゃないと商いにならないでしょうに!」
「俺、商人じゃねーもん」
「この店の店員である以上、商人なの!」
「ご高説、ごもっとも」
エマの主張には同じ商人として拍手を贈りたいくらいです。
「カヤナさん、というんですね。あなたは昔、炭坑掘りをしていたと言いましたーつまり、それでお給金を頂いていたわけですよね? でもよく考えてみてください。炭坑掘りも元を正せばただの穴掘りなわけです。中にあるものが人様の役に立つとかいうだけで。ということはあなたはただ穴を掘っていただけでお金を稼いでいたということになります。たとえそのせいで体を痛めて辞めてしまったにしても、辞めるまでそうしていたことは事実です。では穴掘りが何故お金になったのか? それこそが労働力なのです。おっと言葉が足りませんでしたね。穴掘りでお金を稼げたのは穴を掘るという労働がお金を出すに足るものだったからです。ですから僕のような行商人は街から街へ商品を運ぶという労働をしているため、それを付加価値として、街の小売屋などより基本的な物価が高いのです。労働というのはそういう意味を持ち、商いにおいて儲けを出すための重要な資金源なのです」
言い終え、ふぅ、と一息吐きます。少し喋りすぎましたね、と思ったら、エマががしっと手を握ってきました。
「あなた、わかる人ね!」
おお、そういえば、カヤナがエマは商人寄りというようなことを言っていましたか。意を得たりとばかりにエマはカヤナに鉛筆削りで金を取るように説得しましたが、カヤナは生返事をしながら三十本目を削り終えました。おまけにわざわざ専用の折り畳める布のペンケースまでつけて、可愛らしくラッピングしてくれました。
「これでぼったくり分は帳消しにしてほしい」
「なるほど」
「ちょっと、ぼったくりって何よ! 鉛筆をほとんど一から作るカヤナの労働力と技術力なら一本あたり銀貨一枚くらい安すぎるでしょうが!」
普通、鉛筆は子どもが持つ小遣いの銅貨三枚程で買えるのですが。エマの言い方にはちょっと、愛を感じますねぇ。
「ではお会計を……ひぃふぅみ。うん、ちょうどですね」
「は? まさか銅貨三枚とかでとんずらする気?」
エマが警戒心を剥き出しに睨んできます。そんなに極悪人に見えますかねぇ。
「僕は商人ですよ」
それだけ言って、手の中の貨幣をカウンターに置き、買ったものを持って立ち去ります。
「「あ」」
二人して固まるのが、背を向けていてもよくわかりました。しめしめ、です。
店を出て、ウエストポーチを探り、カードを一枚、取り出します。エマとカヤナを思い描きながら。
出てきたのはタロットの[星]。
「そういえば、あの二人のときの運命も、このカードでしたね」
独り呟きながら思い出しました。
思えばあの少年、カヤナは本当は絵描きになりたいのでしょうに、今の職に満足しています。でなければあれほどてきぱき的確な三十色など選べません。それでも、幸せそうに鉛筆を削っていたあたり、本当、誰かさんにそっくりです。
削りカスで彼の手が何色にも変わるところも。
あの二人の未来が希望に満ち溢れていますように。
星に願いを。
白い髪に青い海の色の目をした不思議な商人が帰ってから、俺は三枚置かれた金貨を玩んだ。
「お幸せに」
そんなあの細波のような声が囁いたような気がした。
余計なお世話だっつの。
そう微笑みつつ、俺はカウンターの下から別なものを手に取った。思わぬ儲けに未だに呆けている店主兼看板娘にそれを渡して言った。
「お前のこと、好きだ」
へ、と緑色の目が見開かれる。それが映したのは俺が渡した絵。俺が鉛筆だけで描いた銀貨一枚の価値もない──けれど何より神聖なその子の姿を描いた絵。色鉛筆はたくさんあるのに、たった一本の鉛筆で描いた。
「こ、告白するんなら、もっとロマンチックなプレゼント、用意しなさいよ」
案の定、商人気質で気の強いエマは文句をつけてきた。俺は素朴に「例えば?」と疑問を口にする。
「た、例えば……ダイヤモンドとか!?」
そんなもん買う金があったら、この足動いてるっての。
心のうちでそう思いながら笑った。
「なんだ知らねーの? 鉛筆の芯はご存知のとおり炭素だけど、ダイヤモンドも元を辿れば炭素なんだぜ?」
それが、鉛筆画の意味だよ。
そう言ったら、彼女は。
彼らの未来はまた別のお話です。
タロットカードナンバーⅩⅦ
[星]
基本的な絵柄→星空の下で少女が如雨露を持ち、地面に水をやっている。
カードの持つ意味→希望、星




