正義 -ジャスティス-
あるところで、行商人は困っていました。
何を困っているって、現在店先で起こっている痴話喧嘩です。
「あなたはいつもそうやって! 自分の価値観ばっかり押しつけるんだから。もうやっていけないわ」
「それの何が悪いっていうんだ」
まさしく痴話喧嘩です。どうやら今店主の目の前にいる男女二人組は恋人同士のようで、女性の方が男性の性格に難ありと非難し、別れましょうと言っているのですが、男性がなかなか納得しない、といった感じの喧嘩になっているのです。
それだけならば、店主の少年も他人事で済ませられたのですが。
「それだったら、この行商人の子についていくわ」
「やめろ、行商人なんて収入が安定しなくて未来が望めない。しかもそいつは少年じゃないか」
指を指された少年──いや、これで結構年は食っている行商人のサファリは随分と困っていました。
なんだかんだ、女性は面食いのようで、今喧嘩している相手の男性もそうですが、造形の整った人物が好きなようです。サファリの価値観になりますが、表面しか見ない女性というのは、大したことがないと思われます。
さっきから何かと引き合いに出されているサファリは、引き合いに出されるたびに男性から鋭い視線を受けて、困っています。肩を竦めるくらいしかできないでいますが、さてはて、これは困りました。痴話喧嘩のおかげで、サファリの店に注目する人は多いのですが、障らぬ神に祟りなしとばかりに皆、退散していくのです。これでは行商人を勤めるサファリも、お客が来なくて商売上がったりというものです。
終わるのを待つつもりでしたが、喧嘩が始まってから、時計の長針は半周回りました。さすがにこれ以上は困るので、迷惑だと直球に伝えようか悩んだサファリですが、まあ、サファリとて外聞が気になるものなのです。あまり素っ気なく言って、自分の印象を悪くされても困りますので、妥協案を提示することにしました。
サファリはああでもないこうでもないと延々怒鳴り合う二人の間に割って入り、まあまあ、と二人を宥めに入りました。
「お二人さん、喧嘩するほど仲がいいとは言いますがね」
「「よくない!!」」
息ぴったりの同時攻撃にサファリは少々たじろぎましたが、続けます。
「では本当にお二人の仲が良くないのか、試してみてはいかがですか?」
「試すって、どうやって?」
そこに疑問を抱くのは当然のことでしょう。ですが、二人が興味を持ったのは確か。サファリはしたり顔で告げます。
「ここに、タロットカードがあります」
サファリは使いなれたタロットカードを広げてみせます。サファリの華麗な手さばきに、二人は喧嘩をしていたことも忘れ、魅入りました。
近くの空きテーブルに、そのカードたちを展開し、サファリは不敵に笑みました。
「これで、占いをしましょう」
「占い?」と男性は疑わしいような目でサファリを見ましたが、サファリは涼しい顔で「気休め程度に」と微笑みました。サファリの落ち着き払った対処に男性は面食らったようで、それきり黙りました。
女性はというと、やはり占いと聞くと興味を持たずにはいられないような性分のようで、きらきらとした目でサファリを見、「そんなことができるんですか?」とサファリに畏敬の眼差しを向けてきました。サファリはその眼差しを受け流しつつ、カードを切ります。
今回は見世物のように様々な形でカードを切りました。ちょうど、トランプでやるように。女性も男性も目を輝かせ、通りすがりの子どもなんかが、「ママ、あそこでなんかすごいのやってる」と母親を引きずり込んできます。
サファリはいつぞや、高名な占い師、ハクアに好評を得ていました。占いの腕前はそこそこなのです。ハクア曰く、占い師でも食べていけるだろうとのことでしたが、サファリは占い師ではなく、行商人の道を選びました。
客寄せのためなら手段を選びません。占いだってそうですし、今やっているカードパフォーマンスだって、客寄せのための手段に過ぎないのです。
サファリが今回やるのは、恋人同士の相性占いにうってつけの愛の架け橋という占いです。自分で様々に切ったカードを、女性に渡し、適当にカットするように言いました。
サファリの手並みを見せられた後であるため、女性は恐る恐るといった感じで山札を三つに分け、適当に戻す、という単純動作をやりました。サファリは、男性にも同じようにカットするよう求めました。
それから、カードを展開していきます。愛の架け橋の形は、まず手前左側に八枚順番に重ね、その右側に二枚カードを並べます。向こう側に同様の三列を作ったら、二つの列の真ん中を繋ぐようにカードを一枚置き、最後の一枚を二つを繋ぐ一枚のカードの脇に横向きで置きます。
「僕から見て手前側がお姉さんの[過去][現在][未来]、奥側がお兄さんの[過去][現在][未来]となっています」
「この真ん中にかかっているのは……」
「この占いの醍醐味、愛の架け橋です。二人の相性を占う一番のカードになります」
「じゃあ、そのカードだけめくりゃいいんじゃねぇの?」
男性の投げ槍な発言に、サファリは少々むっとしながらも、説明しました。
「いいですか? タロット占いというのは、展開されたカードを順序だてて解釈していくことにより、より深くカードが示す未来を理解するところに意義があるのです。それを飛ばすとはいただけない」
「お、おう……」
サファリの占い師らしい迫力に男性は圧されて頷きました。今のサファリは行商人ではなく、完全に占い師の状態に入っています。高名な占い師に評価されただけあって、サファリはしっかりタロット占いの手順というものを大事にするようです。
「ではまず、お姉さんの[過去]から見ていきましょう」
[過去]には[恋人]の正位置が出ました。正位置とは占い師の方から見て、正しい向きということです。逆さまになっているカードを逆位置と言います。
サファリの解釈が始まりました。彼が腕につけているブレスレットがしゃらん、と鳴り、サファリの表情が神秘を含んだものになったため、男性も女性も、サファリのパフォーマンスに寄せられた野次馬も、サファリの一挙手一投足に目を奪われます。
サファリは[恋人]のカードを一瞥し、こう紡ぎました。
「このカードはご覧の通り、恋人、恋仲を示すカードです。これがお姉さんの[過去]に出たということは、お姉さんはお兄さんとの恋愛を過去のものとして見ていると考えられます」
「そう! その通りなの」
どんぴしゃで当たったようです。となると、女性は新しい恋にでも目覚めたのでしょうか。サファリは淡々と[現在]のカードをめくります。
出たのは[月]の正位置。
するとサファリはこう解釈します。
「このカードは夜の月明かりしかない闇夜の不安を示すカードです。お姉さんは正直今のお兄さんとの関係性を不安に思っている、と受け取れますね」
女性は何も言わず、息を飲みました。
サファリは構わず、[未来]のカードをめくりました。
出たのは[月]とは対照的な[太陽]のカードです。
「ほう……」
サファリは興味深げに息を吐き、それからすらすらと述べます。
「このカードは恋愛関係などではいい意味を持ちます。具体的に言うと結婚を象徴し、円満な家庭という意味を持ちます」
「はあ!?」
女性が信じられない、といった声を上げます。無理もないでしょう。半刻も滔々と喧嘩をしていた相手と結婚など、思いもしません。
女性は少し胡散臭げにサファリを見ますが、サファリは占い師になるとあまりそういう目を気にしない質らしく、淡々と次のカードへ手を伸ばします。
続いては、男性の[過去]です。出たのは[愚者]の正位置。
「一目惚れですか」
男性は唇を引き結びました。恐ろしいほどに当たっていたのです。
「[愚者]とは後先を見ずに行動することを象徴しているカードです。逆位置だと悪い意味もありますが、これは正位置なので、悪い意味ではないと思いますよ。お姉さんには一目惚れだった。後先が見えないくらい。
恋は盲目と言いますか」
明かされた心情に男性は頬を朱に染め、俯きます。否定のしようがありません。女性はそれを胡乱げに見ました。男性もこれで面食いなのでしょう。
そんな二人の思いはさておき、サファリは次のカードをめくりました。男性の[現在]に出てきたカードは[女教皇]です。
「このカードはタロットカードの中で唯一本が描かれているカードです。よって、知的な恋愛を求めていると思われます。落ち着いた恋愛をしたいと思っているようですね」
男性はうんうん、と頷きました。彼女を止めているのは、男性が客観的に落ち着いて考えた末、やはり彼女がいいと思ったからなのでしょう。
だんだんと結末が近づいてきます。次にめくられるのは男性の[未来]のカードです。
出てきたのは、[力]の正位置。
「[力]のカードは獰猛なライオンをか弱い少女が抱きしめているという構図から理性を表すカードとされています。つまり、理性をもって、お姉さんに接することができるような人間にお兄さんはなれるということです」
恋占いとしてはまずまずの結果が出ました。では、そんな二人の愛の架け橋とは?
めくれたのは[審判]のカードです。
「審判を下す人が必要ということですね。また、[審判]には再生、復活という意味もあります。今お二人は喧嘩をしてばかりですが、その関係が修復されると考えるのが妥当でしょう。そんな二人を妨げるのが、このカード」
サファリは最後の一枚をめくりました。そこに描かれているのは、剣と天秤を持った女神です。
「ふむ、これは[正義]というカードで、名前の通り正義を表したり、公平を表します。お兄さんは正義感に囚われ、お姉さんは真剣にお兄さんと向き合っていないことが、この結果に繋がったのでしょう」
二人の縺れた関係を修復するには、それぞれの正義という価値観と向き合うことが必要、という結論を出し、サファリの解釈は終わりました。
男性も女性も、この占いの結果に思うところがあったのでしょう。互いに謝り、仲直りをして、一件落着となりました。
観衆からも歓声が上がり、拍手が終わる頃、サファリは行商人としての仕事を再開しました。
タロットカードナンバーⅩⅠ
正義
基本的な絵柄:片手に剣、片手に天秤を持った女神。
カードの持つ意味:名前の通り、正義。公平さも表す。




